男の愛 たびだちの詩

  • 著者:町田康
  • 装画:巻田はるか
    ブックデザイン:鈴木成一デザイン室
  • 定価:本体1700円+税
  • 四六判上製/224ページ
  • 2022年1月7日 第一刷発行
  • 978-4-86528-064-7 C0093
まったく男が男に惚れるってのは厄介(やっけぇ)なもんだ。
昭和浪曲でも人気のご存知「清水次郞長」が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!
文政三年、「正月元日に生まれた子供は将来、途轍もない賢才になる。ところがもしそうならなかった場合は極悪人になる」という言い伝えから、生まれてすぐ養子に出された長五郞=次郞長。生来の荒くれ者である次郞長が、養父母との確執や同級生・福太郞への初恋を経て、国を捨てやくざの世界で「男になる」までの心理を繊細かつ軽快に描く。

福太郞はあのとき黙っていた。と次郞長は思った。
おいらの弁当箱から金魚が見つかったとき福太郞は黙っていた。それは別にいい。おいらが勝手にやったことなのだから。ただ、おいらが家に帰るとき。あのときも福太郞は黙っていた。おいら、別に何を言って欲しかったわけじゃあない、ただ、「次郞長どん、またな」と、たった一言、言ってくれりゃあ、おいら笑って家に帰ったんだ。
ところが福太郞はなにも言いやしねぇ。言わねぇばかりじゃねぇ、こっちを見もしねぇんだ。見もしねぇで、米吉やら丑吉やらとふざけてやがった。あんまりじゃねぇか、福太郞。あれじゃあ、おいら、あんまりにも甲斐がねぇじゃねぇか。福太郞よ、あんたにとっておいらはいったい何だったんだよ。福太郞ってなんなんだよ。おいらってなんなんだよ。牛ってなんなんだよ。毛虫ってなんなんだよ。みんなみんな蓑虫なのかよ。
このように混乱するうちに昼間の疲れから次郞長はいつしか眠りに落ちていたが、その頬には一筋の涙が流れていた。
(『次郎長、五年がんばる』より)
「よしじゃ、そうと決まりゃ、熊五郞、おめぇ、ちょっと行って仁義切ってきてくんねんか」
「嫌だよ」
「なんで」
「なんでもかんでもあるかい。俺はやくざだが始めたばかりでまだ仁義の切り方を知らねぇ。広吉、おめぇ、行け」
「俺も知らねぇ」
「なんだ、なんだ、てめぇたちゃ、だらしがねぇにも程があるぜ。偉そうにやくざだなんだと言いながら仁義も知らねぇんじゃどうしようもねぇじゃねぇか」
「面目ねぇ。けど知らねぇもなあ、しようがねえ。すまねぇが次郞、おめぇ、行ってきてくれ」
「バカヤロー。俺も知らねぇ」
「がくっ、って口で言っちゃったじゃねぇか」
「げらげらげら」
「げらげらげら」
「げらげらげら」
と三人は楽しく笑った。蝉が鳴き始めていた。
(『仁義の技法』より)



目次
雲不見と呼ばれた男はえぐい奴だった
次郞長という名前の由来
次郞長と福太郞/次郞長の計略
水遣りからの解放/次郞長の思い
次郞長はどこにも居られない
次郞長、五年がんばる
次郞長の決意
次郞長東奔
次郞長、甲田屋を放逐される
蕩児、浜松で儲けて帰還する
次郞長、甲田屋の主になる
天保六年暮れのあり得ない出来事
次郞長、やくざになる
博奕場にて/やくざの生活
​やくざの喧嘩
小富の恐怖
次郞長と小富の確執
棍棒持って殴り込み
小富ぼこぼこ。
次郞長、国を売る。
仁義の技法
旅烏の悲しみ
兄哥と呼ばれる男になりたい/どえらいところで道聞いて
次郞長、男になる
町田 康(まちだ・こう)
一九六二年大阪府生まれ。作家。九六年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。