#9 暗闇と希望 2017.04.27 東京の実家に預かってもらっていた猫が星になった。 院生の頃、ある夕方帰宅すると仔猫が私の玄関にいたのだった。捨てられたのだろうか、野原で生まれて親とはぐれたのだろうか。飢え、渇き、野生で勝ち目のない戦いをしてきたのは明らかだった。バージ …
#8 秋に傾く 2016.12.29 8月の終わりぐらいに、南カリフォルニアでは百日紅が満開になった。裏庭ですいかずらがまたオレンジの色に燃え立つ。9月、学期が始まった。学部の上級ゼミふたつ、院の授業ひとつ。 今学期は人数が去年の秋学期の倍で、必然的に仕事量が多い。それでも、 …
#7 国境のむこうから 2016.08.10 4週間程の一時帰国のあと、南カリフォルニアに戻ってきた。 日本では参議院選挙を迎え、その後都知事選に沢山の人の意識がシフトしていったその週、私が戻ってきたアメリカを揺るがしたのは人種問題だった。二日立て続けで白人警官によってルイジアナと …
#6 蘇生の空間 2016.08.03 学期に追われるうちにずいぶんとあいだがあいてしまった。 気がつけばキャンパスで見事に咲き誇っていたはずのジャカランダの木々も紫の花びらが散ってしまう季節になった。3月の終わりに行ったハーバード大学での比較文学研究の学会の記憶がまだ新しい …
#5 完全菜食主義者であること 2016.01.18 I 人間には行方不明の時間が必要です、というのは茨木のり子さんの詩の一行。 そもそも研究者だから、授業とミーティング以外行方不明みたいな生活をおくっていると言われるかもしれない。それでも、後期資本主義経済のめまぐるしい時間の流れから自由 …
#4 追悼としてのとある翻訳 2015.12.04 先日のパリでの悲劇的なテロについて、ここのところ毎日考えていた。その前日にベイルートとバグダッドでもテロが起きていた。それぞれ43人と45人の死者数を出したとされ、負傷者の具合によってはあがるかもしれない。その2週間前にはロシアの旅客機が …