図書新聞に『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』書評掲載

図書新聞(2014年12月13日号)に松本潤一郎さんによる、大森晋輔『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』の書評が掲載されています。
一つの人称を構成する諸条件を吟味してゆくクロソウスキーの探究を、本書で大森氏は「伝達のドラマトゥルギー」という視座を軸に巡りなおし、神学、哲学、演劇、小説、翻訳、絵画といったクロソウスキーの携った諸相を、詳細に検討してゆく。「誰しも条件付けを免れない以上、私たちを条件づけているものが何かを知ることにすべては集約されるだろう」というクロソウスキーの言葉に忠実に、氏はみずからの生と経験を、クロソウスキーを通して遡行する。
−−−−−−−−−−−−
再構成と脱再現の作業が複雑に交錯する過程で、「伝達(コミュニケーション)」という語も、既存の枠組から逸脱し、新たな意味を示すようになる。
−−−−−−−−−−−−
〈宗教は民衆の阿片である〉と述べたとき、マルクスは宗教を否定ではなく批判したのであり、無神論と有神論の対立そのものが宗教の体制に含まれることを踏まえていた。科学と宗教は敵対しない。そのことにマルクスは、ニーチェ同様、自覚的だった。その点でクロソウスキーは、ニーチェとマルクスの思考を継承している。今日クロソウスキーが再読される所以の一つであり、大森氏がみずからの思考と生を、特異性の解放に向けて、クロソウスキーの理路に寄り添いつつ内在的に検証している点に、本書の特異性はある。本書を構成する言葉は、それ自体が構成過程に措かれた身体から遊離した空論ではない。斬れば血が溢れでてくる受肉-血肉化された言葉、それゆえ信頼に満たされ、「伝達」への切実な信に裏打ちされた言葉である。

ありがとうございます。
本書の「結論」の1行、「しかし、クロソウスキーがシミュラークルやスペクタクルといった言葉に込めたものは、そうした「錯覚」への志向とはむしろ全く逆のベクトルを持つ」へと向けて、辿られた論考の「斬れば血が溢れでてくる」ことばが、より多くの読者へ届くことを願っています(*「錯覚」とはここではネットなどのヴァーッチャルなものこそを無味乾燥な現実の向こう側にある真の現実だと誤解すること)。