「東京新聞」読書欄にて池内紀さんに『〆切本』書評を書いていただきました。

東京新聞(2016年10月9日付)の読書欄にて、池内紀さんに『〆切本』をご紹介していただきました。

言い訳にも文学の豊かさ
ふつう生産者と消費者のあいだに取り次ぎがいて、納期をきめる。
会社に「納期厳守」のビラが貼ってあったりする。守れないと迷惑をかけ、たびかさなると、取り次ぎに愛想づかしをされる。これが社会のルールである。
文学の場合、生産者は書き手、作家、物書き。読者が消費者で、取り次ぎは編集者。納期はしめ切り。「〆切」などとヘンな文字をあてたりする。
時がたち、日が過ぎて、やがて約束の〆切日。まにあわない、遅れそう、まだ仕上がらない−このあたりは御の字といわなくてはならない。〆切がきて、やっと取りかかった。この場合も上々のケースである。まるきり手をつけていない。ハナから忘れていた。催促されると謝るどころか逆に怒り出す。これさえもまだ可愛い。では、どのような事態がもち上がるのか。
おかしな、不思議な、とてもたのしい〆切文学のアンソロジーである。たぶん世界に二つとないだろう。通常の生産の場合はビラ一枚ですむことが、文学では千変万化する。
(略)
さらに不思議でおかしいのは、泣きベソをかきつつも、編集者が少なからず〆切破りをいとしんでいることだ。実際、名作の多くは常習犯の手から生まれた。納期が文学性をおびて、モノガタリになる。〆切には文学の豊かさが鉱石のように埋もれている。

池内さん、ありがとうございます!