『図書新聞』に『吉田修一論』が紹介されました

三輪太郎さんに『吉田修一論』を紹介していただきました(2018年12月15日号)。
 私が唸ったのは、村上春樹・村上龍・吉田修一、三者の描写を比較するくだりだ。村上春樹は街を匿名化抽象化し、村上龍は街を固有化具体化するが、吉田修一は街を半ば現実化し半ば非現実化する、と酒井は分析する。そういえば、吉田は長崎を描きながらも歴史の記述を故意に落とす(近作『国宝』は例外)。その代わり、「通過点にすぎないような中途半端な土地」を作中に散りばめる。おかげで吉田の長崎は長崎でありながら長崎であることに縛られず、「どこか他の街でもありうる」透過性を高める。ついでにいえば、私自身の夢に反復再帰する街も、いたって平凡な路地である。無意識というものは、非凡よりも平凡を好むらしい。
 見かけのカジュアルさに反して、本書には思考を誘発する侮りがたい力がある。
ありがとうございました!