仲俣暁生さんによるソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』書評掲載

「婦人公論」2017年9月号の本の紹介コーナーにて、仲俣暁生さんによる、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』評が掲載されています。

古来、歩くことは思索と深く結びついてきた。「哲学者の道」と呼ばれるものは世界各地にあるし、古代ギリシャには「逍遥学派」と呼ばれた哲学者たちがいた。さらに歴史を遡れば、そもそも直立歩行こそが人類誕生の契機だった。
だがそれだけではない。歩くことは、バラバラになりかけている世界を二本の脚で縫い合わせ、全体性を回復させることでもあるのだーー本書はそんな刺激的な視点で綴られた、人とその「歩行」という行為をめぐる長大なエッセイである。
(略)やがて読者は「書くこと」や「読むこと」が、「歩くこと」にきわめてよく似ていることに気付かされる。(略)
〈歩くことの理想とは、精神と肉体と世界が対話をはじめ、三者の奏でる音が思いがけない和音を響かせるような、そういった調和の状態だ〉。本書の魅力は、アフォリズムのように響くこのようなきっぱりした彼女の声にこそある。

ありがとうございます!

大澤真幸さんによる『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』書評が掲載されました

「週間読書人」2017年8月11日号に、社会学者の大澤真幸さんによる、岡本勝人著『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』の書評が掲載されました。


今日、詩を読む人は少ない。しかし、「詩」というスタイルはずっと、日本の近代の精神史にとって、不可欠の随伴者だった。とりわけ、敗戦からしばらくの間は、詩が特別に重要だった時期である。アドルノは、アウシュヴィッツの後には詩を書けないと言ったが、日本では、敗戦の後に、これと逆のことが起きたからである。つまり、真に深い思索は試作においてしかしえなくなったからである。そのような詩のことを「戦後詩」と呼ぶ。
(略)
本書は、鮎川信夫の思想と人生を多角的に論じた評論である。鮎川を「詩人」と呼んだが、彼は、詩だけを書いていたわけではない。詩論はもちろんのこと、鋭い時評的なエッセイを書き、また多数の翻訳も手がけている。本書は、詩を逸脱した鮎川のこうした側面にも目を配っているが、しかし、常に、「詩を読むこと」を中心に据えているところに、本書の特徴がある。また、鮎川の家族的な背景や詩人・文学者たちとの交流についても記述され、単純に時系列を追っているわけではないが、本書は全体として評伝としての意義をも担っている。
(略)
本書を通読すると、鮎川信夫という詩人が、日本の近代化がーー戦争と敗戦の体験を含む日本の近代化がーー通り抜けねばならなかった葛藤を、過剰なまでに敏感に反映しつつ考え、詩を書いていたことがよくわかる。たとえば、父との激しいエディプス的な葛藤。戦争の原因ともなったファシズムや全体主義への批判と個であることへの頑固な執着。田舎に根をもつ者の、都市へと向けられるロマンチックで叙情的な視線。
(略)
本書の中で最も心動かされる話題は、鮎川信夫と吉本隆明の交渉史である。鮎川が、吉本の詩集に感動したのがきっかけで、二人は出会う。鮎川が父を亡くしたすぐ後の1953年秋のことである。吉本は鮎川より四歳年下。二人は意気投合し、深い友情を育む。(略)二人の間に開いてしまったギャップにこそ、日本の近代の謎と困難が隠れているように感じる。鮎川は、吉本との決裂の一年後に、母親の後を追うようにして亡くなるのだが、本書は、もし鮎川がずっと吉本の傍にいて、父や兄のような対話者であり続けたならばどうだったか、と問う。この国の思想は、まったく別の光景を見せたに違いない。

ありがとうございました!

『はじめてのワイナリー はすみふぁーむの設計と計算』の書評が掲載されました


日本経済新聞2017年8月10日夕刊「目利きが選ぶ3冊」に、福山大学教授の中沢孝夫さんによる、蓮見よしあき著『はじめてのワイナリー はすみふぁーむの設計と計算』の書評が掲載されました。

軽やかに企業の楽しさ描く

 日本のワインとウイスキーが熱い。世界的な「味・品質」の獲得が実証されたきたからだ。
 本書は資金、経営、販路、そしてなによりも人生の広がりとしての「ワイナリー造り」の日々を描いた本である。体力、天候、技術、品質、経営ということについて、筆者の語り口は軽やかだ。それゆえ読んでいて楽しい。
 実際には気力、持続力を含めた、いわば骨の折れる時間が長いのだが、もっぱら著者は良いワインをつくり、販売する楽しさを語る。日本の起業・開業の少なさを嘆く声が大きいが、ひとたび歩き出せば、なんとかなる、といった気分にさせられるのである。
 優れた地域づくりの本でもある。

ご紹介ありがとうございます。

管啓次郎さんによる『ウォークス 歩くことの精神史』書評が掲載されました!

比較文学者で詩人の管啓次郎さんによる、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』書評が、2017年8月19日の日本経済新聞読書面に掲載されました!
歩いてヒトははじまった。永遠の真実だ。人類はアフリカのどこかで誕生し、密林から草原への進出も、全世界への拡散も、すべては歩行とともにあった。その人類史をくりかえすかのように、個々のわれわれは歩みを学んで成長し、日ごとに慣れ親しんだ道を、あるいは未知の街路を、歩きつつ生活する。歩き、考え、発見する。さまよう、立ち止まる。歩くことについては誰もがアマチュアだ。競うべき相手などいない。感覚を全面的にとぎすます歩行とは、生きることそのものだ。
(略)
本書自体が彼女の知的さまよいの産物だが、ルソーやキェルケゴール、ソローやジョン・ミューアといった先達を暗黙の対話相手としつつ、巡礼や徒歩旅行、ハイキングや都市の遊歩といった活動の歴史と意味を考えてゆくプロセスが、著者とともに歩く長い長い散歩、そこで交わす深い対話のように思えてくる。内容と形式の、みごとな呼応。
こんな面白くて刺激的な本があるよ、と本書翻訳のきっかけをくださったのは、管啓次郎さんでした。「個と社会、歴史と地理、身体と精神をむすびつつ、市民的不服従の伝統を生きる彼女に、アメリカ的知性の最良の部分を感じる」というソルニットの傑作が多くの方の手に届きますように!

『ウォークス 歩くことの精神史』、森元斎さんによる書評掲載

西日本新聞(2017年8月13日)の読書面に、哲学者、思想史研究の森元斎さんによる、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の書評が掲載されました。

私たちは常に漂う存在だ。歩きながら考える、夢想する。しかし歩くことそのものについて考えた書物はさほどない。
(中略)
とりわけイギリスのウォーキングの事例はとても驚いた。というのも、ウォーキングとは、むろん土地に侵入することであり、階級闘争そのものだったというのだ。持たざる者の抵抗運動としてのウォーキング。歩くということは、抵抗と結びつく。例えば登山。これは言うまでもなく、山登りそのものの性格上、人々の共生の感覚が息づく。だからコミュニズムとしばしば結びつく。歩くということから、抵抗とコミュニズムがとても近いものとして捉えることができる。
むろん、歩くのは、自然だけではない。都市を歩くものがいる。ベンヤミンだ。ボードレールだ。あるいは都市でのデモ活動だ。都市を歩くことは出会うことだ。あるいは、出会うことなくひたすら思考に閉じることでもある。その両側面が可能になるのが都市の歩きだ。出会いつつ、出会わないその所作にこそ、私たちの生のあり方があるのではないか。歩くことは、まさに生きることと極めて密接なのだ。

ありがとうございました!
本書のなかでソルニットは、たとえば革命と歩くことについて触れ、68年パリの5月革命やフランス革命、近年の反グローバリズム闘争などを描き出します。
スペイン内戦がはじまったころ、ジョージ・オーウェルはバルセロナの変貌について書いている。

革命を呼びかけるポスターがいたるところに貼られ、壁を燃えるように鮮やかな赤と青に染めていた。そのなかにわずかに残っている広告物は泥の落書きのようにみえた。街の中心となっているランブラス通りには群集があちこちへ絶え間なく流れ、拡声器が革命歌を一日中がなりたて、夜更けまでそれが続いていた。……なによりもそこには革命と未来への確信があった。不意に自由と平等の時代に突入したのだという感触があった。

通りの行進というお定まりの行動を中心として、他人同士が声高に語りあい、壁にも言葉があふれ、街路や広場に群集が集うこと、そして垣間みえる自由がもたらす酔うような空気。すなわち想像力がすでに解き放たれているということが示すのは、人びとが公然と生き、その生自体が公的な争点に通じている、シチュアシオニストの言葉を使えばおそらくそんな反乱の心理地理学があるということだ。「革命的な瞬間は、個々の生が再生された社会との一体化を祝 う祝祭である」。シチュアシオニスト、ラウル・ヴァネーゲムはそう書いている。(第十三章「市民たちの街角」より)

「フレグランス・ジャーナル」誌に『ウォークス 歩くことの精神史』書評掲載

「フレグランス・ジャーナル」2017年8月号の本の紹介コーナーにて、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の書評が掲載されています。

散歩はwalkだが、walkは散歩に限らない。巡礼、登山、パレード、デモ、街歩き、米国の雑誌のWalkingはフィットネス。本書は、そんな全く違うWalksの各歴史を拾い上げて綴った「A History of Walking」、500頁を」超える大作である。ルソー、キェルケゴール、ウィトゲンシュタイン、ワーズワース、わが国からは松尾芭蕉、皆「歩くの大好き」、熟慮し空想し、創造力の源泉となった。著者もまた歩いて、考え、歩いた。(略)
とはいえ、私たちのwalkは所詮気晴らしの散歩であり、巡る思いは雑念ばかり。(略)歩行の醍醐味は万人のもの。

ありがとうございます。
「フレグランス・ジャーナル」は、スキンケア、化粧品など、香料品科学の専門誌。多くの読者に本書の魅力が伝わればうれしいです!

訳者インタビューが掲載されました

2017年8月8日の毎日新聞夕刊文化面に、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の翻訳者、東辻賢治郎さんのインタビュー記事が掲載されました。

読者を導くのではなく、一緒に迷う本。歩くことの豊かさを著者が発見してゆく一種の紀行文だと思います。

近年、政治的デモが起こるようになってきました。あるいは、目に見えない歴史を探る地形散歩のテレビ番組や(スマートフォン向けゲーム)のポケモンGOのブーム。これらの意味を考えるきっかけになると思います。
そして、本書の終章の舞台がラスベガスであることについて、
ソルニットはラスベガスの中心部で意外にも歩行が生き残っているのを発見します。歩行という振る舞いには、さまざまな抑圧にあらがう面がある。明るい結論と言っていいのでは。
記事は、「著者の深い思索のつぶやきが端正な日本語の奥から響いてくる。心身を少しだけ野性に戻すことで日常を旅、それも極めて知的な旅に変えてくれる1冊だ」と締めくくられています。
「ブラタモリ」などの街歩き番組がとても人気なのも、いまここに見えるものの、0.5枚後ろにあるものが何なのか、それを見つけてゆくことにみんなが興味を持っているのではないか。そう考えると、実はみんなが歩くことに静かな欲望をもっているのではないか。インタビューの当日にはそんな話題にもなりました。
多くの読者の旅を誘う1冊になればと思います。

五十嵐太郎さんによる『ウォークス 歩くことの精神史』書評が掲載されました

「観光とは移動すること。これらをめぐって思索する本が刊行された」、そうはじまる五十嵐太郎さんの、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の書評が掲載されました。
発売中の「東京人」2017年9月号書評コーナー。見出しは「歩行する観光客の思考。」
本人が体験したエピソードを挟みこみつつ、ルソーの思想、猿から人になった原始人の歩行から中世の巡礼、庭園の散策から観光旅行の発明、都市の遊歩から自動車の時代へ、そしてラスベガスの現状など、政治、建築、都市計画を含む多角的な視野による壮大な書だ。
(中略)
さまよい歩くことが、人間の本質なのかもしれない。

いま大いに話題の東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』と、2冊をとり上げていただいています。ありがとうございます!

鴻巣友季子さんに『ウォークス 歩くことの精神史』を評していただきました

毎日新聞2017年7月30日の読書面に、鴻巣友季子さんによる、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の書評が掲載されています。

「歩くこと」の精神史を網羅的に論じた大作である。
猿人が直立歩行を始めて以来、数百万年の時を経て、歩行はサバイバルのための生物的戦略から、思索と創造の原動力、推進力へと変わっていった。欧州において文化的歩行の原点には、思索する散歩者ルソーがいる。
(中略)
第三部「街角の人生」は、街中の散策である。「街路」という言葉は「自然」に対して後ろ暗く、俗な、エロティックな、危険なものをひきつけるという。ロンドンの雑踏を歩く匿名者の悦びを綴ったウルフのエッセイが魅力的だ。同じころパリでは、同様に近眼で猫背の遊歩者(フラヌール)ベンヤミンとジョイスがすれ違っていた(かもしれない)。前者はパリを歩くボードレールの詩論を書き、後者はダブリンを歩く男を主人公に『ユリシーズ』を書いた。ブルトンはナジャと街で一夜をすごす。しかし女性は夜の遊歩者なれなかった。歩けば「商品」と見なされる恐れがあるからだ。本書では、歩行への取り組みにおける男女の違いも浮き彫りになる。
(中略)
原題はWanderlust。漂泊への想い。芭蕉の「おくのほそ道」の英訳でドナルド・キーンがこの単語をあてているのは、「そゞろ物の神につきて」という箇所だ。私たちは遠い祖先が立ち上がった時から、歩行熱にとりつかれている。

ありがとうございます!

東京新聞に『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』の短評掲載

2017年7月23日の東京新聞読書面に、岡本勝人著『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』の短評が掲載されました。

構造的な詩の言語の仕組みのなかに現代の悲歌や抒情的な都市の風景を描き出し、詩誌「荒地」の中心メンバーとして日本の戦後詩を切りひらいた鮎川信夫。戦後社会が変容するなかで鮎川を言語表現へと向かわせたものは何だったのか。欧米のモダニズム文化の影響や吉本隆明との五十年に及ぶ交流など、文学的感性の出自を解析しながら、その思想の核心に迫った評伝。

ご紹介、ありがとうございます。
戦後詩の詩人たちが亡くなり、ときは過ぎ去ってゆきますが、彼らが指摘し、詠ったことは、時代とともに流されていって良いことばかりではなかったのではないか、本書は、詩人で評論家の岡本勝人さんのそのような思いで書き上げられた1冊です。