4/1 (土) 『危機と都市』ミニプレゼンテーション@イタリア文化会館

来る4月1日、イタリア文化会館にて、都市建築史の第一人者で、日本の近世都市からイタリア、フランス、ベトナム、キューバなど幅広いフィールドを対象にしている伊藤毅先生(東京大学教授)が、2017年1月に刊行した『危機と都市 Along the water』のミニプレゼンテーションを行います。
3.11をきっかけに、都市と、主として水に関わる危機とを論じた注目の国際論集。当日、会場でも販売いたします。

日 時:2017年4月1日(土)14時〜14時45分
会 場:イタリア文化会館東京(東京・九段 〒102-0074東京都千代田区九段南2-1-30/Tel: 03-3264-6011(代表)/iictokyo@esteri.it)
参 加:入場無料(要申込)、イタリア文化会館「イタリアブックフェア」予約ページをご欄ください。
*予約ページは近日公開のみとおしです

『障がい者の就活ガイド』日本経済新聞夕刊に短評掲載

企業の人事課や、行政の担当部署などからもお問い合わせいただき、好評発売中の紺野大輝著『障がい者の就活ガイド』の短評が、日本経済新聞に掲載されています。
2017年2月16日夕刊の「目利きが選ぶ3冊」、中沢孝夫先生があげてくださいました。

民間企業で45万人の「障がい者」が働いていると本書。それは暮らしのためだけではなく、人々の生き方とかかわっている。各自にできること、得意なことがある。

ありがとうございました。

新潟日報「気になる一冊」に『〆切本』の紹介

新潟日報(2016年11月26日付) 上越かわらばん「気になる一冊」にて『〆切本』をご紹介いただきました。

一日でも〆切を延ばしてほしいあまりに飛び出した嘆きや愚痴・文句…読めば読むほど開き直りにしか読めない文章の数々。しかし、その文章が人間味あふれ、作家が急に身近に感じられるようになりました。〆切に追い詰められ妄想を繰り返す様子はクスッと笑えました。
こんな言い訳や手紙をすらすら書くのなら、作品だって同じように書けるのでは? と素人である私は思ってしまったのですが、文筆家たちの作品へのこだわりが苦しみとなっていることがよく分かる本でもありました。
この苦しみがあるからこそ、大作やベストセラー作品を生み出せるのではないかとも思いました。
作家でなくても、子どもの頃は宿題の提出、学生ならリポートの提出に追われたことはよくあるでしょう。大人になってからは、報告書や会合の出欠など何かにつけて〆切と付き合う日々です。やり始めればすぐ終わるのに、ぐずぐずして…なんて経験も多いはずです。
だからこそ、作家の切迫した苦しみが、わがことのように共感できるのだと思います。この本は、〆切があるから頑張れることを教えてくれる作品となっています。「人生とは、〆切である」(最終章題)。(JPIC読書アドバイザー 朝日仁美)

ご紹介ありがとうございました!

産経新聞に『「ひきこもり」経験の社会学』の書評

産経新聞(2016年11月6日付)の読書欄に、『「ひきこもり」経験の社会学』の書評が掲載されました。評者は静岡大学の荻野達史教授です。

聞き届けられない絶望…
 ひきこもりが広く認知されて20年近くなるが、一時期のような注目は集めなくなった。それはおそらく、単に目新しさを失ったということではない。他の言葉で論じることもできると思われるようになったからであろう。
 (略)
 「ひきこもり」には、他の言葉や問題に回収されるのを頑なに拒むところがある。多くの当事者は、そして一部支援者も、他の言葉にすると取り落とされる苦悩があり、それは戦後日本のあり方に深く関わるはずだと感じてきた。本書は、今この時期に、こうした思いを丁寧にすくい上げ、系統的に論じたことにおいて、きわめて貴重である。
(略)
 本書はまた、この懊悩が、戦後日本の社会保障のあり方に根ざすことを明確に提示している。他のOECD諸国に比べ、顕著に国家による保障が薄く、企業と家族に生活の保障が多く委ねられてきた。それゆえ、「まともに就職」できない者は、即座に家族の危険因子となる。学校から企業へと順調に進めない者の生きる道筋はひどく狭く、この道を外れ懐疑する語りは無意味とされ、ときに憤怒を誘う。
 だがかれらが生き直すためには、混乱を語り受け止められることで、自分なりに生きうる物語を別様に紡ぐことが必要だ。頓挫した生の混沌を語り聴かれる社会が、本書で希求されている。人生を組織任せにはできなくなった時代、その豊かさは誰にとっても求められるもののはずだ。


ご高評、まことにありがとうございました。

朝日新聞(10月23日付)にて、鴻巣友季子さんより『〆切本』をご紹介いただきました。

朝日新聞(2016年10月23日付)の読書欄にて、鴻巣友季子さんによる『〆切本』書評が掲載されました。

原稿の〆切ほど、人と人が生々しくぶつかりあう場があろうか。〆切は戦場であり友愛の場でもある。編集者は最初の読者であり、最初の批判者でもありうる。(略)原稿を取る編集者は、ときに刑事に化け、ホテルで居留守を使う作家を追いつめる。作家も手詰まりの挙句、高野山に立て籠もる谷崎潤一郎あれば、「殺してください」と申し出る井上ひさしや、自分の心の中に悪魔が住んでいると宣(のたま)う田山花袋ありで、ほとんどオカルトものだ。編集者はエクソシスト(悪魔祓い)か!? 当たらずといえども遠からず。土砂降りのなか雷鳴と共に担当者が催促に駆けこんでくると、横光利一が格子に頭を叩きつけ「うーん、うーん」と悶絶する怪奇な一幕もある。そう、書き手は心に憑いた魔を、書くことで外に出さなくては生きられない。その「祓い」をしてくれるのが担当者なのだ。本書にも、担当者のために書くと言う作家が、川端康成をふくめ大勢いる。

新たな読み方を示唆してくださった鴻巣さん、ありがとうございます!
『〆切本』は全国の書店にて大好評発売中です。

FIGARO JAPAN 12月号にて『〆切本』紹介

FIGARO JAPAN 2016年12月号のBOOKコーナーにて『〆切本』をご紹介いただきました。

「そこで、ともかく引き受けて、第一回分四十枚ばかりを書いた。結末はどうなるかという見通しは全然ついていないのである」。こう記したのは江戸川乱歩。物語のつかみを書くのがうまくなったのは、見切り発車で書いたおかげ。貧乏の原因は遅筆だと嘆いたのは谷崎潤一郎。向田邦子は締切りを過ぎてから書き出した。岡崎京子は、どうせ締め切りを守れないだろうと6日もサバを読まれていた。作家も人の子。のるかそるかの土壇場で、ため息交じりに本音が漏れる。締め切りをめぐる攻防は、弱音と強気がせめぎ合い、読めばなぜか勇気が出る一冊。

ありがとうございました! 『〆切本』は全国の書店にて大好評発売中です。


「週刊ポスト」にて鴻巣友季子さんによる『〆切本』書評掲載

「週刊ポスト」(2016年10月28日号)のBOOL Reviewにて、鴻巣友季子さんが『〆切本』をご紹介くださいました。

期日に追われる人にとって「最高のサスペンス本」
〆切……なんと胸の痛む言葉だろう。本書は、期日に追われるすべての人にとって、恐怖の本だ。なのに、総毛立ったままページを繰る手が止まらない。最高のサスペンス本でもある。
(略)
田山花袋は追いつめられて、「筆と紙と自分の心との中に悪魔が住んでいる」と、「エクソシスト」みたいになり、井上ひさしは「殺してください」と言う。吉田健一は「何のために自分がそんな目に会わなければならないのか」と被害者意識丸出し。内田百閒は年内の借金返済のために〆切を守ろうとするが、借金なんて返さなければいいだけだと気づき、一文字も書かずに除夜の鐘を聞く。野坂昭如は肋骨のヒビの痛みでなんとか書きあげるという壮絶さ。
第二章の「敵か、味方か? 編集者」は、書き手と担当者の駆け引きと関係が、もう正視できない程どろどろとしており、高田宏の項などホラーの域を超えている。一方、第三章の「〆切なんかこわくない」は筆者全員が〆切に遅れたことなどない、二十日位前に必ず仕上げると豪語する人たちなので、これまたホラーである。
ジャック・ラカンは「〆切」を早めに設定する、つまり精神分析のセッション時間を短くすることで効果を上げたそうだし、米原万里は〆切やテーマの「制限」がある、すなわち不自由な方が自由になれる、と言う。そう、〆切にも効用があるのだ、と本書はそういう方向にまとめていく。
とはいえ、筆者が書けない書けないとのたうち回る前半の方が矢張りおもしろい。斯く云うわたしも〆切を過ぎてこの原稿を書いているのですから、仕様のないものであります。

鴻巣さん、ありがとうございます! 読む人によっては、サスペンス本になってしまう『〆切本』は、全国の書店にて大好評発売中です。

週刊金曜日にて『〆切本』を紹介いただきました。

週刊金曜日2016年10月7日号のブックコーナーにて『〆切本』が紹介されました。

名だたる文筆家の「書けない」弁解

なんとか一字二字書き出したもののどうしても気が乗らない。書き手としての矜持と期限のデッドラインの狭間できりきりと気を揉む田山花袋の姿は、〆切病の典型といったところ。たいていは自虐まみれの言い訳を連ねるケースが目立つが、中には横光利一のように〈書けないときに書かすということはその執筆者を殺すことだ〉と逆切れをかます強者もいる。大岡昇平の息子が〈終始うそをついてあやまってばかりいなければならないから〉お父さんのようになりたくない、と答えるくだりには比喩でなく胸が痛くなった。
そこまでも「作家」らしいのは内田百閒。原稿料を前借りして書いていたはずがいつのまにかあさっての方向に脱線していく様子をユーモアたっぷりの極上エッセイに仕立てる。柴田錬三郎にいたっては、なんと連載小説まるまる一回分のページの空白をすべて「書けない」弁解で埋め尽くす荒業を発動。ギリギリで原稿を受け取った編集者がその場で読まずに印刷所へ走る習性を利用したわけだ。いやはや、なんとも心強い(?)。
とはいえ、釘を刺すのも忘れない。〈仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上がる原稿はほとんどなくなってしまう〉(外山滋比古)―ひいい。


ご紹介してくださったのは、ライターの倉本さおりさん。ありがとうございます!

AERA(10月17日号)にて森永卓郎さんに『〆切本』をご紹介いただきました。

AERA(2016年10月17日号)BOOKコーナーにて、『〆切本』をご紹介いただきました。評者は森永卓郎さんです。

読まずにはいられない
本書の感想こそあなたを映し出す鏡


 レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」の微笑は、観る人の心情によって表情を変えるという。観る人の心を映す鏡なのだ。本書も同じだと、私は思う。
 本書は、多くの作家が〆切に関して書いた文章を蒐集、整理したオムニバスだ。プレッシャー、呻吟、絶望、言い訳、希望、達成感など、〆切にまつわる様々な心情や対処法が濃密に語られている。これをみて、同情する人、愉快に感じる人、不安を感じる人、優越感を覚える人など、感じ方は、人によってまったく異なるのではないか。ちなみに、私が感じたのはただ「反省」の一言だった。
(中略)
 本書に登場する作家たちは、自分の作品に強いこだわりと高いプライドを持っている。だから、少しでもよい作品に仕上げようとのたうち回る。谷崎潤一郎が『文章読本』を出版するとき、校正中に内容の不満を覚えて、前面改訂を思い付き、発売自体を延期させたエピソードは、まさに作家の強い責任感の表れだ。
 だから、私が〆切を一度も落としたことがないことは、何の自慢にもならない。私の無責任さを象徴しているからだ。私は、猛烈に反省した。自分の作品には、もっとこだわらないといけない。だから、この書評も、推敲をして、最期にもう一度繰り返しを付け加えた。
 この本から読者が受ける感想は、読者の仕事への姿勢そのものだ。だから、この本を鏡として、あなた自身の仕事に対する態度を見つめ直して欲しい。もしかすると、恐ろしい姿が映っているかもしれないのだ。

森永さん、ありがとうございました! 読む人の心を映す『〆切本』は、全国書店、インターネット書店にて大好評発売中です。

「東京新聞」読書欄にて池内紀さんに『〆切本』書評を書いていただきました。

東京新聞(2016年10月9日付)の読書欄にて、池内紀さんに『〆切本』をご紹介していただきました。

言い訳にも文学の豊かさ
ふつう生産者と消費者のあいだに取り次ぎがいて、納期をきめる。
会社に「納期厳守」のビラが貼ってあったりする。守れないと迷惑をかけ、たびかさなると、取り次ぎに愛想づかしをされる。これが社会のルールである。
文学の場合、生産者は書き手、作家、物書き。読者が消費者で、取り次ぎは編集者。納期はしめ切り。「〆切」などとヘンな文字をあてたりする。
時がたち、日が過ぎて、やがて約束の〆切日。まにあわない、遅れそう、まだ仕上がらない−このあたりは御の字といわなくてはならない。〆切がきて、やっと取りかかった。この場合も上々のケースである。まるきり手をつけていない。ハナから忘れていた。催促されると謝るどころか逆に怒り出す。これさえもまだ可愛い。では、どのような事態がもち上がるのか。
おかしな、不思議な、とてもたのしい〆切文学のアンソロジーである。たぶん世界に二つとないだろう。通常の生産の場合はビラ一枚ですむことが、文学では千変万化する。
(略)
さらに不思議でおかしいのは、泣きベソをかきつつも、編集者が少なからず〆切破りをいとしんでいることだ。実際、名作の多くは常習犯の手から生まれた。納期が文学性をおびて、モノガタリになる。〆切には文学の豊かさが鉱石のように埋もれている。

池内さん、ありがとうございます!