作家の盛田隆二さんに『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』をご紹介いただきました

発売中の「フリースタイル」36号で、作家の盛田隆二さんが、岡本勝人著『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』をご紹介くださっています。

ファシズムやスターリニズムに対する鮎川信夫の「アメリカ」の詩と散文を通して、今日のアメリカの保守主義と鮎川自身の自由主義の問題を重ね合わせて論じるという野心的な意図が読み取れる。

3冊をとりあげるブックレビューコーナー。あわせて取り上げられているのは、絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学』、Rethink Books『今日の宿題』の2冊です。ありがとうございました。

畑中章宏さんに『ウォークス 歩くことの精神史』を評していただいています

産經新聞読書面(2017年9月24日)に、作家の畑中章宏さんによる、R・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』評が掲載されています。

タイトルそのままに、ずいぶんと長い距離を、時間をかけて歩いていく本である。
二足歩行という人間に与えられた独特の移動手段について、改めて考えてみることなどたしかになかった。歩行や散策の効用ではなく、「歩く」ことそのものに意味を見つけ、精神史を描き出すことができるものか。著者はおそらく手探りで足を踏み出したことだろう。
(略)
映画作家ヴェルナー・ヘルツォークが友人を見舞うためにミュンヘンからパリまでの数百マイルを歩いた旅や、現代美術家ソフィ・カルのベネチアでの尾行を主題にした作品といった、私にはなじみ深い作品が取りあげられているところにも共感した。
(略)
著者の長い旅に、宮本常一をはじめとする日本の旅人の仕事を付け加えていくのも、また面白いかもしれない。

ありがとうございます!

永江朗さんによる、『ウォークス 歩くことの精神史』評が掲載されています

関西の地域誌「Meets Regional」2017年10月号で連載中の、永江朗さんの連載、「本のむこう側。」で、R・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』が取り上げられています。題して「歩く。」。

歩いて楽しい街と、そうではない街がある。働くにはどっちでもいいかもしれないが、住むのなら歩いて楽しい街を選びたい。地域を活性化させようとするなら、まずは歩いて楽しい街にすることだ。
『ウォークス』には、歩くことと文化について、およそ考えられることのすべてが盛り込まれている。難点は厚くて重いこと。(略)

昔の人は歩くために健康を維持した。歩けなければ生きていけないから。ところが現代人は健康のために歩く。近年、ウォーキングエクササイズは一時の流行というより、すっかり定着した。でもジムでマシンの上を汗を流して歩くのは、なんかヘンだ。
(略)
日本の大都市郊外や地方に行くと、歩いている人をほとんど見かけない。誰もが軽自動車で移動している。歩くことを忘れた街に、未来はあるのだろうか。

あわせて、紹介されているのは『古地図で歩く大阪 ザ・ベスト10』と『芭蕉自筆 奥の細道』。ありがとうございました!

「すばる」に『ウォークス 歩くことの精神史』が紹介されています

「すばる」2017年10月号の「読書日録」に、R・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』が紹介されています。

五百頁の分厚さにたじろぎつつ、『ウォークス 歩くことの精神史』を読みはじめる。(略)
身体を壊してみると、人間が脳からの信号で無意識に歩けることがすでに奇跡だと思える。歩くことで脳や精神が活性化して何かに至るは、さもありなん。しかし単なる歩行と彷徨はまた違う。人には〈さすらう才能〉の有無があるというソローの言説はとても興味深く、ひたすら歩くことが超越した存在に近づく手だてになる聖地巡礼についての論考も面白かった。
ふと、昔、友だちと英国のホープエンドという田舎町に滞在したときのことを思い出した。その名の身もふたもなさに惹かれて行っただけなので、することもなく、私たちは毎日ぶらぶらと歩いていた。その日も夕食前の散歩と称して果てなき草原の一本道をただ歩いていたのだが、何のしわざか、私の両手はいきなり縦笛を吹くポーズをとり、足は膝高く行進をはじめた。それを見た友人、すかさず……(以下略)

「読書日録」は今号から、編集者で文筆業の鈴木るみこさんの執筆。とりあげているのは、野見山暁治さんの名エッセイ『とこしえのお嬢さん』、小人のノームの百科事典?、遠藤周作も翻訳陣に加わっている『ノーム 不思議な小人たち』、そして『ウォークス 歩くことの精神史』です。ありがとうございます。

原克さんによる『RED ヒトラーのデザイン』評が掲載されました

日経新聞、2017年9月2日に、早稲田大学教授・原克さんによる、松田行正『RED ヒトラーのデザイン』評が掲載されました。

本当は排外的憎悪や差別的暴力と深くかかわっていたはずの、行進や制服も、そうした深刻な社会的文脈から切り離され、ただ目の前の官能性に耽溺(たんでき)させられてゆく。つまりは真実の隠蔽。著者が糾弾したいのは、ここだ。
 ナチスの美学には、「感情を揺さぶる何か」がある。「官能性といっていい」。しかし、「この官能性は危ない官能性だ」。著者がたどりついたこのひとことは、審美的直感力に支えられているだけに、説得力をもつ。

鋭利なことばで、汲み取っていただきました。ありがとうございます。

今日マチ子さんによる『RED ヒトラーのデザイン』評が掲載されました。

朝日新聞、2017年9月3日の読書面に、漫画家の今日マチ子さんによる、松田行正『RED ヒトラーのデザイン』評が掲載されました。

日常にひそみ人々をジワジワと連れ去っていくナチスの力をグラフィックとして一覧できる。極端なものというのは突然生まれるのではなく、ほんの少しの変化の積み重ねなのではないだろうか。生活の中から狂気は生まれるし、狂気のなかにも生活をしている人たちがいる。私だって、そこにいるのかもしれない。

ご自身の体験と結びつけて評していただきました。ご紹介ありがとうございました!

与那原恵さんに『ウォークス 歩くことの精神史』をご紹介いただきました

発売中の「週刊ポスト」9月15日号にて、ノンフィクションライターの与那原恵さんに、R・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』をご紹介いただきました。

歩く、とは何か。それは人に何をもたらしてきたのか。この壮大なテーマを、著者自身が歩き、体験したことも織り交ぜながら、縦横に思索する書である。
(略)
歩かなくなった人間は運動不足を痛感し、ルームランナーの力を借りる。ルームランナーの起源は、ロンドン郊外の刑務所に設置された「トレッドミル」(踏み車)だという。その目的は囚人の精神の矯正と運動のためであり、穀物の製粉などの動力として使用することもあったそうだ、この機械の単調さは囚人たちに精神的打撃を与えたとされるが、それは考えることを奪われた苦痛にほかならない。

アメリカの大都会、ガラス張りのビルの高層階から飛び出さんばかりに、窓際でルームランナーにいそしむ人びとの皮肉な姿を、ソルニットは、なんとも印象的に描いています。ご紹介、ありがとうございました!

「暮らしの手帖」に『高校生と考える人生のすてきな大問題』の紹介が掲載されています

雑誌「暮らしの手帖」2017年夏号に、桐光学園で行われた各界の第一人者たちによる連続講義を収録した書籍『高校生と考える人生のすてきな大問題』の紹介が掲載されています。「本屋さんに出かけて編集部員が見つけた本」というすてきなコーナー。

学生の頃の自分を思い返すと、授業中は寝ているか、隣や後ろの席の子と筆談しているような、不真面目な生徒でした。あのとき、どうしてもっと真面目に授業を受けなかったんだろう……という負い目からか、講義録をまとめた本を書店で見かけると、つい手に取ってしまいます。
(略)
なかでも印象深いのは、数学者の森田真生さんの言葉です。
「人間って、同じ景色を見ていても、そこにそれぞれ違う意味を読み取っているのです。学ぶことの楽しさは、学べば学ぶほど、同じ景色に、いろいろな意味が読み込めるようになるということです。たくさん学び、いろいろな行為に挑戦をしていくうちに、日々経験される『風景』は、いくらでも豊かになっていくのです」
(略)
本書の授業には、すぐに影響を受けるものもあれば、しばらく時間が経ってから、すとんと胸におちるものもあると思います。数年後に「たしか、あの先生の話は……」と思い返したとき、この本を再び開いて授業を復習できるのは、うれしい限りです。

本書をみつけてくださったのは、編集部の井田亜美さん。ありがとうございました!

円城塔さんによる『ウォークス 歩くことの精神史』書評掲載!

朝日新聞、2017年9月3日の読書面に、作家の円城塔さんによる、R・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』評が掲載されました。

この本を読んでいる間、ふだん乗るバスをやめて徒歩にしてみた。ほんの二十分ほどの道にすぎない。
歩くことで気分はかわると、なんとなく経験的にしってはいる。こうして書く文章の調子などもかわったりする。
そこからさらに一歩すすめて、歩くことではじめてわかることがある、とするのが本書の立場だ。
歩くことはめんどうであり、歩き続けることはむずかしい。
(略)
著者は、「歩きまわる」ことを「指標生物」のようにつかえるのではないかという。社会の健全さをみるには、「歩きまわっている」人の数をみるとよい。歩くことはさまざまな制限を受けているから。
歩いてみると、本書から受ける印象はかわるだろうか。わたしはかわった。

歩行のリズムに揺られるような、心地よい文章。ご紹介ありがとうございました!

読売新聞夕刊のコラムに『ウォークス 歩くことの精神史』が取り上げられています

2017年9月1日「読売新聞」の夕刊のコラム「にほんご」のテーマは、「歩行」。国立新美術館で開催中の「ジャコメッティ展」、豊橋技術科学大学の岡田美智男教授が開発する、手をつないで歩くためのロボット「マコのて」とともに、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』が取り上げられています。

一歩一歩の連なる歩行のリズムが思考のリズムを産み、肉体と精神と大地が和音を響かせる−−。邦訳が出版された米国の歴史家レベッカ・ソルニット著『ウォークス 歩くことの精神史』が、歩行と文明の共鳴を訪ね巡った大著だ。
(略)
人間の思考の速度を置き去りにして、世界は超高速で最短距離を走る。自家用車が車庫から車庫まで人を運び、インターネットの情報やサービスは外出をどんどん不要にする。一日に数千歩しか歩かなくなった人々は、肥満や老化防止のため、スマートフォンで歩数を確認しながら、ウォーキングマシンで無心に汗を流す。
(略)
目的のない散歩や思索を中心に据える生き方は、もはや反時代的だろうか。それとも取り戻したい理想だろうか。

本書に続けて紹介されているのは、散歩の時間そのものを描くことが主題といってもいいかもしれません、1996年刊行の保坂和志さんの小説『季節の記憶』。コラムは編集委員の尾崎真理子さんの執筆です。ご紹介ありがとうございました。