毎日新聞に“朗読者 ドリアン助川さん”記事掲載

2013年1月16日付の毎日新聞夕刊、「新幸福論 生き方再発見」という連載記事に“朗読者”ドリアン助川さんが登場しました。さまざまな活動を経ていま、朗読を中心に据えるようになったドリアンさんへのインタビューです。

(…)でも、その器用さの結果、何でもありな人間になってしまった。フォークソングからパンクロック、宮沢賢治の朗読からコマーシャルのナレーター、ラジオで人生相談を受けたり、小説を書いたり。おまえは一体何者なのか、と問い問われ、混乱の時期が続きました。そんな時、格好をつけず等身大で取り組めるのが朗読ライブだったのです。(…)
振り返ると、私は常に朗読者だった。やっていることは多彩に見えても、朗読者がそれぞれの場面で頑張っているにすぎない。はっきり認識しだしたのはここ数年のことです。気持ちが整理されて楽になりました。

あらためて朗読に取り組んだことで、気持ちが整理されただけでなく、体も活性化したのです。呼吸法などを確立して練習を続けたら、すぐに体に変化が表れました。

−−「叫ぶ詩人の会」のころよりも落ち着いた声質になりました。
あのころは自分の思いを爆発させることに懸命になっていた。自分の中の叫びは、きっと誰かの叫びであると信じて……。ステージの上の自分から四方八方に矢印が飛んでいたと思います。それはそれでよかったのですが、発声の基本はできていなかったですね。

読むものは何でもいいのです。私の場合は語学学習を兼ねて「枯葉」を書いたジャック・プレヴェールの詩などを読みます。フランス語は49歳から始めて10カ月で中級入り口の検定4級まで進みました。文学なら1日1話で読み切れるシリーズもの。グリム童話や芥川龍之介の短編集などを読み進めると達成感があるのでは。
朗読しながら何か他の事をやるのは不可能です。だから集中力を養うことができる。1行ずつ、体でリズムを取って大切に読んでいく。最初は難しいのですが、続けていると、次第に脳と作品がうまく結びつきあって小宇宙を作るようになります。

文字を声にすることが朗読です。続けるうち、文字は声になりたがっていると感じてきました。
約500年前にグーテンベルクが印刷技術を発明するまで、物語は人によって語られ、詩は吟遊詩人によって朗読されるものでした。本が印刷されるようになって、文字はページの中に埋まってしまったのです。

発声とは、原始から続く人間の活動です。生命力といってもいい。なのに日本人の声は小さくなっています。張りのある声、芯のある声を聞くことが少なくなった。元気な声を出すことができれば、日本人は元気を取り戻すことができるはずです。