近藤譲『線の音楽』とインゴルド『ラインズ』

河合楽器製作所が発行している雑誌「あんさんぶる」2014年9月号で、アルテスパブリッシングの木村元さんが、インゴルド『ラインズ 線の文化史』を、このほどアルテスより復刊された近藤譲の処女音楽論『線の音楽』とあわせてご紹介いただいています。

楽譜というのは地図のようなものだ。曲の開始から終わりまでを時間をかけずに一望することができ、印象的な部分をひとつひとつランドマークのように確認することもできる。かつて感動したあの演奏、この演奏の記憶は1枚のシートに収斂され、いまだかつて聴いたことのない曲であっても、めぼしいランドマークを辿っていけば、さほど時間をかけずともすでに知っているような気になってしまう。とすれば、音楽は楽譜のなかにあるのか。
インゴルドの『ラインズ 線の文化史』はひろく人間の文化一般を射程に収めた書物だが、いたるところに音楽にかんする重要な示唆がある。いわく、近代以降——ちょうどヨーロッパ列強が植民地の版図を拡大していくのと軌を一にして——作曲家の仕事は楽譜を書くこととイコールになっていく。彼らは空白のページにみずからの領有権を主張するかのように五線を引き、音符を書き連ねる。音楽作品という地図は完成し、その領土の支配者として作曲家の名が記される。
しかし、本書によれば「歩き、話し、身ぶりでものを伝える生物である人間は、あらゆる場所でラインを生み出す」。としたら地図上に場所を固定したり、あらかじめ設定された旅程にしたがって点から点へと移動するようなものとしてではなく、散歩したり誰かの足跡を辿るようにみずから線を生み出す行為として、音楽をとらえ直すことができるのではないか。音楽は楽譜という地図の中にではなく、生きられた線の上にこそあるのではないか。

音楽を定義する近藤譲のことば、「聴き手の聴覚的なグルーピング作業に支えられる、どこまでも持続する一本の音の列なり」が文中に紹介されています。ご紹介、ありがとうございました!