詩人の石田瑞穂さんに『ハワイ、蘭嶼[旅の手帖]』の書評をいただきました

詩人の石田瑞穂さんから、管啓次郎著『ハワイ、蘭嶼[旅の手帖]』のすてきな書評をいただきました!

「翻訳者としての旅人」 石田瑞穂
 この本に耳をすますと、ふたつの島歌がきこえてくる。ハワイと、蘭嶼。無言の潮風と海、極彩色の鳥たち、星の形をした果実、サーフィン、島ことば遊び、十二音階でない音楽、だれもいない紙色の町、火山口、神々、パール色、あさぎ、ワインレッド、濃紺、緑色の閃光に溶ろける熱帯魚を焼きつくす夕陽。
 島々の諸形態と色彩はユニゾンを奏でながら、ことばとともに散在しはじめる。息づく。
「それで今日は空から島へと降下しながら北東の海岸線をじっと眺めているうちに、陶然とした気分になった」(バニヤン並木道を」)。比較文学者にして詩人、管啓次郎の旅のことばは、いかなる意味においても旅行ガイドのそれではない。島の素朴で洗練された弦楽器みたいに、いまここにいるぼくらの心と共振し、風や鳥の言語のようにただただ遠くへ誘う。それは予定調和の生き方をゆるやかに放棄する合図だから。
 そういえば管さんとは、下北沢のすてきなブックストア「B&B」で、ビールを呑みながらトークをしたっけ。管さんはそのとき、こんな驚くべき発言をされていた。いわく、「幻想的な旅があるのではない。旅そのものが幻想なのだ」。これはすばらしい、旅のことばだ。
 詩人や作家たちの旅にまつわることばは、おもしろい。旅する現代詩人といえば、田村隆一。こんな旅のことばを遺している。「旅っていうのは別にかっこよく旅するんじゃない。人の力を認識するのが旅なんです」。田村さんのいう「人」は他者のこと。さらにいえば、車窓から見える山、川、田畑、海。人と自然が織りなす風景、五感でかんじるその和音が、自分を生かしてくれる力だ。その事実を認識するのが旅なんだ、とおっしゃるわけです。
 対照的なのが、旅の現代文学を築城した作家、アーネスト・ヘミングウェイ。作家はこう書きます。「あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない」。これはもう、ヘミングウェイらしいとしかいいようがない。旅は完全かつ純粋に自己目的である、と。自己探索と自己逃避に引き裂かれる消失点にこそ、旅の本質はかがようというのだ。
他者と自己。おなじ戦後文学の詩人と作家の旅のことばはどちらも魅力的だし、旅路の身心に刻むべき言の葉やもしれない。
 でも、管啓次郎の本書のことばは、他者や自己への旅とはすこしちがう、と思う。

地面にきらきらと透明な糸のようなものが光る。(中略)一見したところ女性の髪の毛かと思われる。褐色か、くすんだブロンド。5センチ、10センチ、ずっと長いものもある。だがとりあげて少し力を加えれば、あっけなくぷつんと折れてしまう。もろい。これが「ペレの髪」。火山の女神、神秘的な髪だ。(「ペレの髪をひろう」)

「髪」の正体は、風が麓まで運んだ「火口が熔岩とともに噴出したガラス質」なのだという。ぼくも何度かハワイを訪れたことはあったけれど、知らなかったなぁ。さらに、旅人は「この異界じみた風景の中できらめく光の髪には、特別な強い力を感じる」とも書く。
 管さんの旅のことばはこんなふうに、つぎつぎと旅人の前に現れては、はっとさせたり、魂のカメラにシャッターを押させる物、人、動植物、香り、味、風景との出会いの連写によって織りなされてゆく。さらに、彼の興味が他者にとってどんなにトリヴィアルなものに映っても、管さんの蘭嶼、「トビウオの島」やホノルルの「ニイハウの息子」たちは土地の神話や物語、島歌の世界へと接続し、読者を見えない異境へと誘ってゆく。
 旅人と土地がおたがいに「特別な強い力」で引きあう。それは他者や自己の探究ではない。「あらゆる文化は、最初から世界文化だ」という視座によって、島と島、文化と文化のあいだにぴんと張られた弦となること。そこにいるのは、旅の作者、ではなく、島の四大の翻訳者だ。
 そんなぼくの勝手な幻想を、管さんはこんな適確なワンセンテンスで書いている。「旅を書く、土地を書く。このふたつの行為は互いに相手をつつみこむような関係にあるようだ」(「島旅のあとで」)。
 旅するとは、土地と土地、人と人を相互につつみこむように、あるいはつつまれるように移動する出来事なのだ。それは「コロンブスの犬」、まさに卵の旅だ。生卵の黄味と白味は、どちらがどちらをつつんでいるのか判然としない。つまり、旅人は一方的に見て、きいて、読むのではない。旅人自らが異なる土地とそこに棲む生命、島の瞳に見つめられ、問われ、読まれにゆくという旅もあるのだ。翻訳者の書く、鏡の一行のように。それが管啓次郎の旅の位相学、双方向性の旅というものではないだろうか。
 本書には管さん自身が撮影した旅の写真もおさめられていて、ぼくは無数の細い根がみっしりとからまり稠密したバニヤンの老大樹に、目が釘づけになった。管さんの文章とともに、島の「特別な強い力」によって引っぱられた、といってもいい。ハワイ、蘭嶼。島々には生と死、神と宇宙と因果が複雑にからみあった精神の生態系がまだ生きていて、ぼくらを手招きしている。みなさん、本書とともに「よい旅を、島旅を」。そして、心ゆたかな幻想を。

ありがとうございました!