山田航さん「短歌の勝算。」が『東京人』5月号に掲載されています

発売中の『東京人』2016年5月号の巻頭に、『桜前線開架宣言』の編著者・山田航さんのエッセイ「短歌の勝算。」が掲載されています。

現代では一緒くたにされがちな俳句と短歌だけれど、その本質はかなり違う。不思議なことに、俳句は久保田万太郎とか永井荷風とか生粋の江戸っ子が作りたがるのに対して、短歌は石川啄木とか斎藤茂吉とか地方からの上京者が愛する詩型だった。(略)

今、何でこんなに短歌が面白いのか。それは明治の上京者たちが、あの愛すべき田舎者たちが鍛え上げた「下からの文学」という短歌の性格が、この時代に再び取り戻され始めてきているからだ。何も持たない全国各地の無名人たちが紡ぐ魂のリズムが、二十一世紀の日本文学の台風の目になる。短歌には「勝算」がある。

〈青春の文学〉というよりむしろ〈ハングリー精神の文学〉たる短歌。そしてその短歌の精神を濃厚に受け継いでいる歌人たち。
このエッセイで山田さんが紹介しているのは、次の4名。
〈忘れ物しても取りには戻らない言い残した言葉も言いに行かない〉東大卒だけどフリーターとして全国を放浪する生活を選び、短歌版ロードムービーを完成させた松村正直(一九七〇年生まれ)。
〈大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円〉東京育ちの若者の閉塞感を数字とお金というモチーフに乗せて、力の抜けた口語体で表現する永井祐(一九八一年生まれ)。
〈バラバラにやってきたからバラバラに戻ってくだけなのに寂しい〉従来の立身出世型「上京」物語からハブられた女性の上京を見つめる加藤千恵(一九八三年生まれ)。
〈生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る〉シニカルな文体で、この社会に偏在する無名・透明な存在をすくい上げようとする山口県在住の木下龍也(一九八八年生まれ)。
ぜひ、『桜前線開架宣言』で、40名の歌人と歌に触れていただければと思います。