『ウォークス 歩くことの精神史』、森元斎さんによる書評掲載

西日本新聞(2017年8月13日)の読書面に、哲学者、思想史研究の森元斎さんによる、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』の書評が掲載されました。

私たちは常に漂う存在だ。歩きながら考える、夢想する。しかし歩くことそのものについて考えた書物はさほどない。
(中略)
とりわけイギリスのウォーキングの事例はとても驚いた。というのも、ウォーキングとは、むろん土地に侵入することであり、階級闘争そのものだったというのだ。持たざる者の抵抗運動としてのウォーキング。歩くということは、抵抗と結びつく。例えば登山。これは言うまでもなく、山登りそのものの性格上、人々の共生の感覚が息づく。だからコミュニズムとしばしば結びつく。歩くということから、抵抗とコミュニズムがとても近いものとして捉えることができる。
むろん、歩くのは、自然だけではない。都市を歩くものがいる。ベンヤミンだ。ボードレールだ。あるいは都市でのデモ活動だ。都市を歩くことは出会うことだ。あるいは、出会うことなくひたすら思考に閉じることでもある。その両側面が可能になるのが都市の歩きだ。出会いつつ、出会わないその所作にこそ、私たちの生のあり方があるのではないか。歩くことは、まさに生きることと極めて密接なのだ。

ありがとうございました!
本書のなかでソルニットは、たとえば革命と歩くことについて触れ、68年パリの5月革命やフランス革命、近年の反グローバリズム闘争などを描き出します。
スペイン内戦がはじまったころ、ジョージ・オーウェルはバルセロナの変貌について書いている。

革命を呼びかけるポスターがいたるところに貼られ、壁を燃えるように鮮やかな赤と青に染めていた。そのなかにわずかに残っている広告物は泥の落書きのようにみえた。街の中心となっているランブラス通りには群集があちこちへ絶え間なく流れ、拡声器が革命歌を一日中がなりたて、夜更けまでそれが続いていた。……なによりもそこには革命と未来への確信があった。不意に自由と平等の時代に突入したのだという感触があった。

通りの行進というお定まりの行動を中心として、他人同士が声高に語りあい、壁にも言葉があふれ、街路や広場に群集が集うこと、そして垣間みえる自由がもたらす酔うような空気。すなわち想像力がすでに解き放たれているということが示すのは、人びとが公然と生き、その生自体が公的な争点に通じている、シチュアシオニストの言葉を使えばおそらくそんな反乱の心理地理学があるということだ。「革命的な瞬間は、個々の生が再生された社会との一体化を祝 う祝祭である」。シチュアシオニスト、ラウル・ヴァネーゲムはそう書いている。(第十三章「市民たちの街角」より)