三田文学に『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』書評が掲載されています

「三田文学」2018年冬季号の書評コーナーに、詩人の石田瑞穂さんによる、岡本勝人『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』書評が掲載されています。タイトルは「生の声を待つ詩学」。

本書はじつのところ、大胆な鮎川信夫論である。
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きわめて独異な暗喩詩の構造を産み出した、鮎川信夫の詩を読解することは容易ではない。鮎川の詩を読む者は、詩行が読解の扉にたどりつくたびに理解をとざされ、言葉の隘路をただひたすらさ迷う感覚を味わう。まさに「難行路」。生者の詩が、死者や共同体を代弁し表象する発話構造を幾重にも拒絶するがゆえに、難解な現代詩を確立したのも鮎川詩だった。吉本隆明は戦後詩の登場により、詩の言葉と抒情が大衆の共感から隔絶してしまったと洩らす。
(略)
本書の著者、岡本勝人は〈鮎川信夫〉をこう捜索する。「鮎川信夫の詩的体験や文学体験の窓を、詩句、文学的始原としての「引用素」を再現(リプレゼンテーション)として、たどってみる。/そこには、言葉のもつ生命感にたたえられている詩があり、回帰という現象もなければ、未来への観念的な浮遊も、実体を虚無化する逃走線もない。身体と無意識深くに折り込められた言葉の層から詩空間に取り出されたものは、青春期の詩の仲間たちの群れを喚起しつつ、戦争体験から戦後の時代へと流れる表層空間にあって、父・母・子の三角関係から頻出する「引用素」が特徴的に形成された都市の風景を書き写すミメーシス(現実に対する文字による模倣)があるといえるのだ。/鮎川の直観は、錬金術に近い」。岡本の短い文は、鮎川詩の特徴を的確に記述するとともに、戦後からいまにいたる現代詩の問題とも「接続」しようと試みる。鮎川を見えない蜘蛛のイメージで視ようとしたとき、岡本が書くのは、蜘蛛が吐きだし、織りかえされた糸によってみずからが捕縛される、その詩の系でもありそうだ。問題は、ふるえる糸のさきに、いま、なぜ、〈鮎川信夫〉がいるのかということである。
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岡本勝人は本書の随所で、鮎川と吉本、同時代人の群れの「引用素」を何遍となくかさねあわせ、すれちがわせてゆく。そのようにして、「生きよ」という声がたまさか漏れ聴こえる瞬間を、いつまでも待つ素振りがある。叙情だけが詩として形象化し、物質化しうる、生の声。この声の聴取を、戦後詩とその思想は待機しつづけたのだ。岡本勝人は鮎川信夫の詩的思想と倫理をうけとめながら、次世代の読者へと手わたそうとしているのかもしれない。

ありがとうございました。