毎日新聞に『ジァンジァン狂宴』を紹介していただきました。

4月25日の毎日新聞 「村井幸子の 変じゃありません?」のコーナーで、『ジァンジァン狂宴』をご紹介いただきました。


「どっちが本質?文化の表と裏」

 ものごとは上辺だけ見ると本質を見誤ることがある。裏面を見ることで初めて実態が浮かび上がる。「知る」ということは、表裏の両方を見るということに他ならない。
 1960年代末から30年間、サブカルチャーを牽引してきた小劇場「渋谷ジァンジァン」の歴史を小説仕立てで描いた『ジァンジァン狂宴』(左右社)は、文化の持つ輝かしさといかがわしさを内面から斬った好著である。小屋主であった高嶋進さんがジァンジァン閉館後、12年の時を置いて著した。
 読むとジァンジァンが拓いた文化シーンの多いことに驚かされる。この小屋のオーディションを受けてデビューした五輪真弓、井上陽水。毎週金曜に「夜の10時劇場」と銘打ってひっそりと始まり、約10年後に国の芸術祭大賞を受けた中村伸郎の不条理劇「授業」。中村さんは生前、「大劇場に魅力はない。芝居の基礎は小劇場で作るべき」と語り、「劇場がつぶれるか私が死ぬか、どっちかまで」と生涯契約を結んだという。
 他にもジャズ。ロック、フォーク、話芸など、膨大な表現者がここから飛び立った。こうした輝かしい足跡に見える記述の一方で、本は小屋の存続の厳しさにも率直に触れている。家主との攻防、資金難からつきまとって離れない”落城”への甘美な誘惑——。
 それでも踏ん張って21世紀まで小屋をつないだ高嶋さんの気力を支えたのは、その時代折々の文化と呼ばれるものへの異議申し立てであったに違いない。日本音楽著作権協会への不信の描写や、「固着した継続は惰性を生む」という表現がそれをうかがわせる。
 本の帯にある「壊れたバランスを軌道修正する場所がジァンジァンだった」(美輪明宏)という言葉は、同じく異議申し立てに生きる美輪さんならではのコメントだ。
 実は、私は86年から10年間、「金沢でジァンジァンを観る会」を主催していた。「金沢がいくら有名でも小劇場ひとつないのではナンボのもんか」と粋がった理由による。永六輔さんが渋谷ジァンジァンとつないでくれて「六輔・八大コンサート」でスタート。以後、計61ステージを制作した。高揚した10年間だった。
そのころ、県内外から複数の人の来訪を受けた。言うことは判に押したように「文化に貢献したいので(村井と)同じことをやりたい」。奇特な提案に「どのくらい赤字を覚悟できるか?」と問うと、相手は絶句して「また出直します」と言って帰って行く。そして「出直して」来た人は1人もいなかった。

 文化とはなんぞや。不景気になると「東京」が市場を求めてなりふり構わず地方になだれこんでくる。文化もまた弱肉強食なのか。「バランスを軌道修正する」余裕など感じられない昨今である。本の最後は、主人公が「冬の風は容赦ない」とつぶやく言葉で終わる。お役所の会議に駆り出される”文化人”のお歴々に読後感を聞いてみたいものだ。

当時を知る村井さんが、文化の表と裏という観点からの鋭い論考をされています。
村井さんはコラムニスト、金沢で「茶房犀せい」を経営。
(茶房犀せいHP http://saisei-kanazawa.jp