「現代詩手帖 年鑑2014」に『芭(塔(把(波』書評記事が掲載されています

「現代詩手帖」2013年12月号、〈年鑑2014〉号に、野村喜和夫さんの詩集『芭(塔(把(波』の書評が掲載されています。評者は安智史さん。
「すばる」2007年4月号から断続的に、金子光晴の軌跡を追うマレー半島の旅を鈴村和成氏とのデュオで掲載した、その再編成と断章による詩集。しばしば金子テクストの断章も挿入される。ただし、金子の書きとめた〈瘴癘蛮雨〉のむせかえる地というより、むしろ〈穏やかな暑熱にとろけて〉しまうような、それだけ軽快な、足早の移動ともいえる。
(中略)
やがて〈私たち〉はついに〈痕跡のなかの痕跡(幽霊のエクリチュールの核心に辿り着〉くしかし、そこ、旧日本人クラブはすでに七十年を経て荒廃せんとし、金子光晴の書きとめた濃厚な気配は喪われている。
しかしその廃墟、痕跡から〈(私たちはここからこのがらんどうの空無な旧日本人クラブから出発する〉。そのとき、それまで気配を漂わせていたバトゥ・パハ川の〈水の皮膚〉が圧倒的に迫ってくる。野村氏のコンパクトな名著『金子光晴を読もう』が強調する“皮膚としての私”が、ひところ近代的自我観で語られた金子とはまったく異質な、流動してやまない外界とのインターフェイスの場としての皮膚=私が、世界と交接する。
(中略)
もはや二十世紀の植民地幻想も、金子光晴の女たちも遠くに消えはてようとして……だからこそ新たに繰り返されるテクストの横断、刻み込まれる文字/痕跡への越境を繰り返す、野村氏の移動の詩学が綴られていくのだ。

年鑑中では、巻頭鼎談(吉増剛造さん、瀬尾育生さん、佐藤雄一さん)でも触れられています。
佐藤「ほかに注目した詩集として、野村喜和夫『芭(塔(把(波』があります。金子光晴のテクストが入り混じった紀行文です。金子光晴の『ねむれ巴里』で中国人の肛門が同じ匂いで「同糞同臭」だという記述がありますが、そういう身体レベルで主体性を貧食されながらコスモポリタンに生成変化し、かつテクストレベルでも金子光晴に貧食されるという詩ですね(以下略)」
吉増「(途中略)……野村さんはなんか決然と詩の小径を創ろうとしているのかもしれません」
また、中本道代さんの詩書展望2013「私たちの風土」に特に強く心に残っている詩集の1冊として、「アンケート 今年度の収穫」では石田瑞穂さん、新藤凉子さん、鈴村和成さん、田原さん、浜江順子さん、松岡政則さん、森川雅美さん、八木幹夫さん、谷内修三さん、吉田文憲さん、渡辺めぐみさんに挙げていただいています。
「金子光晴〈紀行詩〉である。バト・パハという言葉のリズムがキワオさんの脳神経を刺激し、連打する。この詩の別バージョン(散文とは言うまい。詩と散文の別など、いまさら不用だろう。金子さん曰く、自分の詩は「詩のような形をしている散文なのだ」)、より紀行文に近いバージョンが、近く刊行される『金子光晴デュオの旅』(未来社)の「マレー、水の流れる」で読まれるから、ご期待あれ」(鈴村和成)
「旅に詩を創出する技はいつもながらに秀逸で、一段と生の悲しみを深め、金子光晴を呼ぶ」(浜江順子)
「金子光晴と現在の時間をつなぎながら、どこでもない時間を現出させます。不穏にも美しい光が詩集に射しています」(森川雅美)
「ちんまりと纏まった詩集を粉砕する、今年最も刺激的な詩集。金子光晴を道行にエロスの言葉が現代を撃ってくる」(八木幹夫)
「ことばのセックス」(谷内修三)
「かつての『風の配分』を上回る、会心の一冊ではないでしょうか。文字も、詩句も、波のように揺れて熱帯雨林の「聖なる森」に還ってゆく」(吉田文憲)
「金子光晴の足跡を詩とともに辿る旅程を通じ、生の不穏さにあらがうのではなく、生きることで失われるものと尚残り継がれるものの価値の落差に身を任せる無為の境地が心地良い」(渡辺めぐみ)