詩月評に『時制論』が取り上げられています

読売新聞2013年12月17日の詩月評に、管啓次郎『時制論 Agend’Ars4』が取り上げられています。評者は野村喜和夫さん。

いきなり原理的な話になるが、詩とは何か。実を言えば、そういう問いにはあまり意味がない。なぜなら、詩は何か実体があるような代物ではなく、むしろいわば厚みのない線であり、たえず何かと何かの境界に生成しながら、つぎの瞬間にはもう別のどこかへと逃れ去っているものなのである。詩人とは、そうした詩の不在を徹底的に生きながら、なおも詩の到来を待つ者のことである。
(中略)
管啓次郎の瞠目すべき『時制論』もまた、内実を線のように伸ばして、外へと晒している詩集だ。一行一行がほぼ独立している歌集のような構成だが、短歌とは似て非なる「私性」の希薄さがかえって読者を呼び込み、哲学的認識から旅の記憶まで、詩人によって記されたすべての事象が、あたかも読者の現在において回帰するかのようである。〈大自然の「大」をすべて「犬」に換えて独特のfake感を出す/写真を撮るなら撮ることに徹したいので被写体はむしろ邪魔だった〉

文末の引用は「LIII」より。ご紹介ありがとうございました。