第2回 風 邪 の 心 配

 仕事で名古屋を訪れた。
 40年来の中日ドラゴンズファンの私は、この町に来ると、どうしてもふらっとナゴヤ球場に足が向いてしまう。
 そう、ナゴヤドームが出来る前の中日ドラゴンズの本拠地だ。いまは選手寮や室内練習場が隣接し、シーズン中はファーム(2軍)の試合が行われている。これだけ長い間熱心なファンをやっていると、1軍より2軍の試合のほうが面白いと感じるときがあるし、試合より打撃や守備の練習のほうが味がある、と思うときもある。
 この日も、それぞれの練習ウエアを着込んだ若手が走り込みに精を出していた。2月1日からの沖縄キャンプ前の「自主トレ」だ。シカゴ・カブスへの4年契約53億円の移籍が決まった福留の姿も見られた。
 さてさて、やっぱりいた。グラウンドではなく、客席のほうの話だ。向こうに、フリーター風の若者がいる。細身のダウンを着込み、毛糸の帽子を目深にかぶって、しきりに携帯電話でメールを打っている。
 誰に、何を打っているのだろうか。
 〈荒木、井上、中田、小山、森野、普久原……〉。彼が打つ内容を、私は私の携帯でチェックできる。もちろん、彼は私にあてて打っているのではない。そもそも彼がどこの誰かを、私は知らない。だが、彼が、きょう自主トレに参加している選手の名前を打ち込んでいるのはわかる。つまり、彼は自主トレの参加者やその様子をレポし、ドラゴンズの愛好者が集う掲示板に報告している。その掲示板に、私は携帯でアクセスしているからわかるというわけである。
 「不特定多数無限大への信頼」。
 と、梅田望夫の『ウェブ進化論』で使われた言葉を持ち出して、いまの私と、この若者の「信頼関係」を語るのはすこし大げさかもしれない。だが、少なくとも、そう的はずれではないような気がする。
 私たち不特定多数の同志たち(ドラゴンズファン)は、情熱をこめ、時間をかけ、投資し、選別し、目を凝らし、先入観を排し、私たちの人生にささやかな光を当ててくれる、この野球チームのすべてについてレポしあう。「掲示板」というツールを使って。その態度は、真実の使徒たち、つまり精魂込めてウィキペディアの項目を書き込み、誤りを正す使徒たちと同じように、無償の情熱に基づいているのだ。
 和田のFAの人的補償で岡本が西武へ移籍したこと、これはテレビのスポーツニュースですぐわかる。ドミニカから204センチの大型右腕と井端のバックアップとなる内野手がテストを受けに来日したこと。これも東京中日スポーツを読めばわかる。
 だが、例えば、昨年11月末に、選手寮「昇竜館」に納車された平田良介の新車がどんな色のダッチチャージーだったのか——こうした情報はどんなにがんばっても、個人の努力だけでは知ることができない。だから、多数の努力で補完しあうのだ。
 どこの誰かかは知らないが、掲示板には、諜報組織のヒューミタントのような仕事ぶりを見せる住人も少なくない。ドラゴンズと名の付く情報ならほぼすべてこの掲示板に存在する、といっていい。
 報酬はない。交通費も出ない。経費を計上できるわけでも領収書をもらえるわけでもない。もちろん球団から助成金が出るわけでもない。ただひたすら「好き」だから、夢中で情報を集め、見た事実をアップする。2次情報にはソースを提示する。
 こうした情熱と欲望はなんと名付ければいいだろう。「匿名の善意」「無償の欲望」……。どうもしっくりこない。うまく名付けられない私は仕方ないので、彼が風邪を引かなかったならば良かったが、大丈夫だったろうか、とその心配だけをしてみるのである。

三沢順(みさわ・じゅん)