第3回 数 値 の 饒 舌

人民の、人民による、人民のための「発明品」のうち、文化史への最大の貢献物は何だろうか。それは、「数」ではないかと思うときがある。
 3週間ほど前、スポーツ紙に面白いコラムを見つけた。打率や出塁率でなく、「RC(Runs Created)」という指標で計算しても、イチローの卓越した打撃能力が証明されるというのだ。RCとは、レッドソックスのアドバイザー、ビル・ジェイムズが考案した、打者の能力をはかる指標だ。
 イチローではなく、RCに興味がある。ビル・ジェイムズと言えば、統計学的手法で野球の能力を評価・記述する「セイバーメトリクス」の創始者的存在だ。セイバーメトリクスという造語は、日本でも、球団経営に革命をもたらしたアスレチックスの元GMを描いたノンフィクション『マネー・ボール』以来、有名になった。
 元選手やプロのスカウトが頼る「目」や「勘や経験」を排し、あくまで選手の能力を正確な指標で数値化する。その際、偶然性を排し、主観が入らないよう指標を吟味する。そういう姿勢でチーム編成に臨んだ元GMが、安価な選手ですばらしい成績を残したというのが『マネー・ボール』である。
 あの本で称揚されていたのは、「選球眼」や「出塁率」であり、退けられていたのは、「打率」や「失策数」であった。
 「RC」は、ある打者がどれだけ攻撃に貢献したか、の指標だという。チームのRCを足すと、ほぼチームの総得点になるのがミソだ。当初は「出塁率×塁打数」だったのに、盗塁や犠打などの要素も加えてめちゃくちゃ複雑な数式になった。
 ウィキペディアによれば、算出数式は改良を重ね、現在こうなっている。

●A=安打+四球+死球−盗塁死−併殺打
●B=塁打+0.26×(四球+死球)+0.53×(犠飛+犠打)+0.64×盗塁−0.03×三振
●C=打数+四球+死球+犠飛+犠打

RC=(A+2.4C)×(B+3C)÷9C−0.9C

 これで解が求められるとか。
 従来のセイバーメトリクスの指標では、走塁能力が低く見積もられがちだった。足が速く、盗塁が多い井端や荒木のようなバッターと、パワフルな4番タイプのタイロン・ウッズのような打者を、同じ指標でどう比較するのか。その難題への挑戦が、こうした複雑な数式となったのである。
 それにしても、正確性への、この異常な執着、圧倒的な情熱は何だろうか?
 ここで思い出すのは、『数量化革命』(アルフレッド・W・クロスビー著)だ。
 西ヨーロッパの帝国主義の繁栄を文化史的に支えたのは16世紀の科学革命だが、実はその前に、「数量化」「視覚化」という知られざる革命があった。一般の人間の思考様式が、「神=宗教」の絶対観から、いわば「普遍・効率」の相対観へ、変化していたことが下地に合った、と言う本だ。数字、機械時計から楽譜、遠近法……「数量化」したことですべてが比較可能で、神様のものから人間のものへと下りてきたのであった。
 だから、数量化はいまや、人間の本能でもある。これに即して言うならば、セイバーメトリクスは、野球選手の能力を数量化することで、野球を、「神」(経験者・プロ)から「人民」(ファン)の所有物へ変えた。同時に野球を、感覚の主産物から論理の構成員へ、テレビの下僕からパソコンの友人へ、体育会系の「発汗主義」から文化系の「主知主義」へと変化させた。
 この理屈に、けっこう私は満足している。

三沢順(みさわ・じゅん)