第4回 教 養 の 消 去

 日本、韓国、中国、北朝鮮の4カ国が戦う東アジア選手権の最中だ。
 日本は北朝鮮にやっとこさ1対1で引き分け、20日には重慶の3万人のアウェー客のブーイングを相手になんとか1対0で勝利した。これを書いている時点で23日の韓国戦は行われておらず、なんとか韓国に勝って「岡田ジャパン」に初タイトルをもたらさなければいけない、などと言われている。
 まあ、でもそんなことはどうでもいい。
 どうでもよくないこと、日本サッカー界が抱える最大にして最重要な問題、ストライカー問題について再び考えてしまうのだ。
 日本代表には傑出したストライカーがいない。さまざまな人材がそれなりにあふれる中盤MFに比べ、最前列の攻撃陣に人材が不足している。「決定力不足」というやつだ。
 「決定力」のことを考えるとき、いつも思い出す言葉がある。ナポリ出身のジローラモがテレビのサッカー中継にゲストで招かれたとき、ぽろりと言った言葉だ。
「ナポリの不良は泥棒になるか、サッカー選手になるかどっちかなんですよ」
 イタリアのナポリ。このところ、ゴミの回収機能がストップしたというニュースしか報じられないナポリだが、そのナポリの貧しい地区でさんざん悪さをして育っていく、逃げ足の速い不良たちが、その俊敏な身体能力や勘を生かす道は、泥棒になるか、サッカー選手になる、の二つだというのだ。
 フットボールには名文句が多く、たとえばイングランドの監督が言った「サッカーの監督には2種類いる。クビになった監督と、これからクビになる監督だ」なんていう言葉も私は好きだが、このジローラモの言葉も含蓄に富んでいる。そして私が、ほとんど根拠もないが、かなり確信している説に、光を与えるのだ。その説とは、「ストライカーは階級社会でしか生まれない」。
 もし、球を与えていなかったら、リオデジャネイロのスラム地区で2、3人は殺していたんじゃないか、と思わせる元ブラジル代表の顔を思い浮かべる人もいるだろう。
 階級社会の底辺でしたたかに生きていくために培われる、敏捷さ、狡猾さ、重心の低さ、逃げ足の早さ、タフさ、運の強さ……つまり、まさに人生を、生死を分かつ瞬間にこそ、瞬時に直感的指令を全身の神経に伝達し、身体を作動し、結果として人生を、命を継続させる能力、それこそがストライカーの能力の正体ではないか、と思うのだ。
 かつてのイタリア主将のバレージを思い出せばわかるように、有能なDFは常に優雅で、教養にあふれている。知識を積み、経験を積むほどデータベースが増え、相手の攻撃を事前に読む能力、予感能力、リスク管理能力に長けてくるからだ。人事部長が複雑な玉突き人事案を何事もないように発案するように、経験豊かなDFはFWを子供扱いし、あしらうことができる。
 だが、FWの世界は異なる。そうしたDFの経験的教養を一瞬にして上書きし、消去せしめる爆発力。つまり、決定力とは、単にシュートのコントロール、クオリティの問題ではない。ストライカーの才能とは、システムを混乱させ、誤作動させることができる価値紊乱能力と同義語なのではないか。
 そんな才能が、のっぺりとした中流社会の安心感の中から生まれるはずがない。日本資本主義のサラリーマンにも似た、すばしっこいボール回しと勤勉なチェイス、ランニングのたゆまぬ努力でなんとか前線までボールを運べたとしても、最後の最後、プロになっても大学に通っていたような、健全で人柄のいいFWが控えていたら、ボールをゴールに押し込めるわけがないと思うのだが。

三沢順(みさわ・じゅん)