第5回 球 状 の 移 籍

 2008年をもって、福留孝介をもって、日本のプロ野球もグローバリズムの時代に突入していったのだと思う。
 日本のリーグは、もはや優秀なスター選手をなんとか自国に引き留めようと思っても、有効な手を打つことはできない。FAという条件さえ満たしていれば、人材の移動に、なんの特別な障害もない。
 もちろんすでに何年も前からそうした潮流はあったわけだが、福留が特別なのは、正当なグローバリズムの論理に従ってMLBへ移籍した最初の選手であるという点だ。
 その論理とは、「カネ」である。ドラゴンズよりも、タイガースよりも、ジャイアンツよりも、その3倍近い53億円の資金をカブスはつぎこんだ。だから、福留は移籍した。
「53億円のプレッシャーって言ったって、ぼくが『53億円出してください』って頼んだわけじゃないですから。向こうが好きでそれだけ出したんですから」
 福留はそんな風に言う。
 福留を野球史の中にきちんと位置づけるためには、イチローという補助線を引いてみればいい。2001年、イチローはポスティングシステムという制度で、マリナーズへ移籍した。ポスティングシステムは松坂の例でわかるように日本の球団も潤う仕組みだ。だから、人材の流出入でいえば、FAと違って自然ではない、特別なシステムである。
 そこには、イチローにとってメジャー移籍が何よりも、「挑戦」であり「夢」であるという事情がある。だから、球団もその「挑戦」を認める。いや、もとより野茂がそうだったし、松坂も同じだ。桑田や松井も井口も城島もみんな、「メジャーでやれるかどうか挑戦したい」「メジャーのマウンドで投げたい」などと、「夢」や「挑戦」を口にし続けた。そこから「メジャー志向」という言い方もマスコミで定着してきた。
 だが、福留は違う。「夢」や「挑戦」ではない。「メジャー志向」ですらなかったと言われる。福留は、「夢」や「挑戦」という言葉で聞いてくる記者には、わざわざ訂正を求めている。夢でも、挑戦でもないよ、と。
 FAという権利を得た。中日はいくら、阪神はいくら、巨人はいくらと条件を提示した。ホワイトソックスはいくら、パドレスはいくらと条件を提示した。そんな選択肢の中からひとつの球団、高額な金額を提示し、福留を必要としたカブスを選んだ。ザッツ・イット(それだけだ)。
 なんの特殊事情も入り込まない「カネ」の論理だ。つまりはグローバリズムの論理なのである。すがすがしく、力強いと思うが、福留のその姿は、「夢」や「挑戦」という物語をあらかじめまったく相手にせずに排除していて、ファンやマスコミを苛立たせる。
 なかでもいちばん、苛立っているのはイチローではないだろうか。「(福留は)感情がわからないところがある」「来るべくして来た、というような感じでしょ」「かわいい弟分という感じでもない」。初めて相まみえた3月上旬のオープン戦で、イチローはそんなふうな言葉を連ねた。
 その言葉は、「日本」と異なる「世界」(米国)に飛び出ていって、努力し、苦労し、米国でも誰もが不世出の選手と認めざるを得ない領域にまで上り詰めた天才の、苛立ちそのものに聞こえてしまうのだ。あるいは、「夢」や「挑戦」の舞台へ、感情を高ぶらせることもなく渡ってきた男への、ある種の「敵意」にさえ取れてしまう。
 だが、わたしは福留が大好きなので、応援する。スカパーのMLBセットにも加わった。せいいっぱい応援する。PL学園3年時、近鉄からドラフト1位指名を受け、スカウトやら幹部やら総動員で口説いたのに、頑として首を縦に振らなかった「鉄の意志を持つ18歳」。その強い意志は、グローバリズム(球)の時代に、より輝くはずだ。

三沢順(みさわ・じゅん)