第10回 記 憶 の 発 熱

 6月8日午前3時半、夢の中でベルの音が響き、それが目覚ましだと気づく。起きてテレビのリモコンボタンを押し、WOWOWに合わせた。いよいよ始まった。スイスとオーストリアで共催する08年ヨーロッパ選手権が幕をあけた。チェコvs.スイス戦は録画だけにとどめ、私の開幕戦はスイス・ジュネーブの「スタッド・ドゥ・ジュネーブ」でのポルトガルvs.トルコ戦だ。世界でいちばんお気に入り国歌、哀調を帯びたトルコの国歌で興奮が高まってくる。
 緑が鮮やかなピッチの上、コーナーキックへ向かうポルトガルの選手へトルコサポーターのすさまじいブーイングが浴びせられる。トルコ人はかなり多い。激しいスライディングで相手のシュートを防ぎ、足を痛めるDFセルベト、代表では俄然元気を出し、動きが良くなるMFエムレ、スピードにあふれ油断もすきもないFWニハト……。そう、きょうの私はトルコのサポーターだ。0対0で前半が終わるころには窓の外も白み始め、画面の中での戦いが、ぼんやりとした個人の記憶と重なり、溶け合い、じんわりと内側から私を温め始める。
 「アリババ」のハッサンさんはイスタンブールでテレビの前で叫んでいるだろうか……。横浜スタジアムから5分、中日—横浜戦の観戦後には必ず立ち寄るのが相生町のトルコ料理「アリババ」だ。店にはイスタンブールのクラブチーム「フィネルバチェ」のポスターがはってある。ドネルケバブがうまい。ハッサンさんは野球の話などまったく興味なく、サッカー1本。フィネルバチェの話になると乗り出してくる。ママだけが「阪神戦のあとはすごい客なのに、中日戦のあとはあなたたちだけよ、だめねえ」と相手をしてくれる。ハッサンさんは4月、国に帰った。私たちは別れの挨拶をした。次の横浜戦は6月末。新しい料理人は確保できただろうか。
 2002年、イスタンブールに行く前に、外苑前のトルコ料理でごちそうしてくれたのがトルコ大使館のシュナンさんだった。日韓ワールドカップでトルコと日本が戦ったあとだけに、シュナンさんはトルコのテクニック、フィジカル、メンタリティの強さを誇らしげに語った。私も当時のトルコ代表チームは大好きだった。だが、フォーメーションの複雑な話になると、英語がわからなくなった。日本のGKの弱点を熱弁していたような覚えがある。「エンジョイ・イスタンブール!」と笑顔で送り出された、そのイスタンブールでは、ボスポラス海峡を渡るフェリーのうえで、ナカタ!ナカタ!と声をかけてくる少年たちと記念写真を撮った。
 ポルトガルも懐かしい、サッカーの記憶に彩られている。あれは漁師町ナザレのすこし先、5月でまだ閑散とした名もない海辺のリゾートホテルだった。車で旅行中、夕方になったので、かなりガタが来た、いかにも南欧の大味なリゾートといった感じのそのホテルに泊まった。ちょうどその日が、ワールドカップ予選で同組だっ たスペインとユーゴスラビアの対戦がべオグラードで開かれる日であることを知った。旅行中だというのに、夜も出かけず、テレビで実況中継される試合にかじりついていた。ミヤトビッチ、サビチェビッチもまだプレーしていた。確か、後半にユーゴがPKを得て、1対1で終わったと思う。引き分けがいかにもワールドカップの予選らしいリアリズムを示していた。旅する先で、ポルトガルの人たちは当時の英雄、フィーゴの自慢をしきりに口にした。
 そして、後半が始まった。仮眠しているので5時でも眠くないし、興奮で頭が呼吸をしているようだ。次第に、トルコがおしこまれてきた、と思ったら、ブラジル出身でポルトガル国籍を取得したばかりのDFペペに代表初ゴールを決められた。オーマイゴッド! そういえば、この前ネットで買ったポルトガルの発泡系ワイン「ヴィーニョ・ヴェルデ」がまだ1本あったはずだ。オープニング・ゲームだし、記念にあけるか。
 HDレコーダーに、「録画中」を示す赤の点滅ランプが2つともった。4時半から、デーゲームで行われるドジャーズvs.カブスの試合が始まったのだ。きのうの福留は黒田に完全に押さえられた。今日は打つだろう。うーーん。仕方ないから、きょうだけはこっちはサッカーが終わってから見ることにするか。6月、こうして、しばし仕事とは別れることになる、少なくとも気分としては。

三沢順(みさわ・じゅん)