第26回 リオ妄想日記8 サウダージ




 リオ国際空港を早朝6時02分に出発する、聞いたこともないTACA航空のTA143便とやらで、今度はペルーのリマへ向かう日が来た。
 朝の3時30分に、ルイスの友達のタクシー運転手マルセロが迎えに来てくれることになった。
 メールをチェックすると、日本時間の前夜、このホテルの部屋で死の知らせを受け取った恩師の家族葬があったらしい。葬儀のあと、その死は、新聞記事でも報じられた。
 チョッピは生ビール、ムニートはとっても……旅で言葉を身につける速度がすこしづつ遅れてきた。
 年を取った証拠だ。恩師と私との違いはたったの13歳。63歳の死はまだあまりにも惜しい。何よりも、まだみずみずしく書けた。私は今年の春の桜をまた、見ましょうよ、家に呼んでくださいよ、と半ばほんとうに希望し、半ば元気づけていたのだけど。
 日本人にはサウダージはなじみのある言葉だ。
 「サウダージは本当はどんなニュアンス? 哀愁、郷愁、切なさ、もの悲しさ……」と聞くと、面倒を見てくれたコーディネーターは、「いろいろな意味で言うんですね、台所で食事をしていて、ああ、あれがあったならなあ、なんていうときも使うみたいだし」。ポルトガル的哀愁、などとわかったような気でいたが。
 朝の3時15分、黄色い車体のメータータクシーに乗って、白人系のマルセロがやってきた。
 「アエロポルト、ユヌ」とか言っているうちに、車は滑り出した。3時だと、まだ飲んで帰る途中の人たちもいるようで、車がけっこう走っている。
 マルセロは、旅立ちで、勝手なポルトガル的哀愁にひたる私に干渉せず、ほっといてくれた。
 そして、赤信号で減速はするものの、やはり止まることはなかった。信号は参考情報にすぎない。
 スーツケースを降ろしてくれたあと、「今度リオに来たら、タクシーはおれを呼んでくれ」と、マルセロは名刺をくれた。また来ることは果たしてあるかなーと思いながら、「シィ。オブリガード」と握手した。
 ブラジルは飛行機で28時間程度。バカンスで来るにはかなり、遠い。仕事で来ることが、そうあるわけでもない。1世紀の半分をすでに生きた私には、今後10年、20年生きていたとしても、また必ずここに来るに違いないという確信は、さすがにない。
 新しく買った自宅マンションのウッドデッキのベランダから、怖ろしいほど鮮やかに見える桜を2年しか見ることが出来ずに逝ってしまった人間のことを考えるのと同様、むしろ来た日から、人生で最初で最後のリオ・デ・ジャネイロの瞬間が過ぎていく、という一期一会の感覚のほうが強かった。
 ワールドカップに五輪をひかえ、さらに鉱物資源、希少資源大国のブラジルはいま景気が良く、右肩上がりの真っ最中だ。リオのかなり奥のほうの郊外、たとえばバッハ地区にも、どんどん高層ビルが建設されている。街が、人がみんな未来を向いているようだ。
 そんなリオへ、誰か仕事でも行く機会がもしあったら、連絡してやってほしい。
 マルセロの携帯は、9692−1502、7821−8490。どちらでも信号無視で、飛んで来る。

三沢順(みさわ・じゅん)