第38回 パリの迷想6 国境の北、 太陽の東

 この日は、フランス南部の都市ペルピニャンへ日帰りの旅だ。
 朝8時30分のオルリー空港発ペルピニャン行きエールフランスに乗り、1時間半のフライト。20時05分着で帰ってくる。その間に150キロ近いドライブもある。だらだらと籠もるのが好きな怠け者の旅人には、ハードな一日となった。
 フランスとスペインの国境と言えば、2007年の夏に訪れたバスクを思い出す。バスクはフランス・スペインにまたがり、独自の文化を持つ独立志向の地域だった。私の歩いた国境は川で、スペイン側のオンタリビアで2ユーロの渡し船に乗れば、15分足らずで、フランス側のエンダイヤに到着した。
 ペルピニャンは地中海側のほうのフランスの都市だ。だが、この街はバスクもそうであるように、スペインではなく、カタルーニャの文化圏なのだ。17世紀まではフランスではなく、カタルーニャだった。地名の標識もフランス語・カタルーニャ語の併記で、料理や服装、習慣などもカタルーニャ色が強い。フランス語では「カタロン」というようだ。
 フランス・バスクの中心地がバイヨンヌだとしたら、フランス・カタルーニャの中心地が、ペルピニャン。だが、旅人の偏見かもしれないが、ペルピニャンを歩いても、バスクで感じたような、海や山の恵みがもたらす快楽の豊かさはあまり感じられなかった。
 印象を悪くしたのは、道端に、巨大な犬の糞があまりにも多すぎることだ。汚いよ。きちんと片付けてほしい。こんなに糞の多いフランスの田舎町は初めてだった。グニャリと踏んだから言うのではないよ。
 ダリが「地球の中心だ」と叫んだというペルピニャン駅は工事中だった。城壁を歩き、川沿いに並んだクリスマス用の市場で、赤と黄色のカタルーニャ模様をあしらったエプロンやマットを見て回った。
 「EU市民」か、「非EU市民」かでパスポート・コントロールも分けるヨーロッパでは、ナショナル・アイデンティティとしての国家はともかく、少なくとも実体的な国境にはもうあまり意味がないように見える。
 国境といえば……やはりアメリカ・メキシコ国境だ。ペキンパーの「ワイルドバンチ」や「ゲッタウェイ」、最近の「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」に見られるような、国境の南へ逃げ込めば、もう追っても来ないし、そこには楽園があるという南部のアウトローの「メキシコ国境感覚」や、逆に、「バベル」や「トラフィック」に描かれるような、国境を越えれば自由で享楽的な社会で豊かさを堪能できるというメヒコ的切実さの「アメリカ国境感覚」といった、そんなものはあるかないかしれないが、少なくともセンチメンタルな思い込みを許してくれる「国境」という存在は、「国家統合」という、21世紀の壮大な実験中のヨーロッパにはもう見当たらないのではないか。
 零下で凍えたパリが嘘のように、ペルピニャンは10度近くがあっただろうか。なにせ蚊に刺されたのである。これには驚いた。
 今回、取材の対象だった人物が何十年にもわたって夏のバカンスを過ごした別荘を見学してから、車で南へ走る。できれば、バルセロナまで行きたかった。
 かなり国境に近いところに、海沿いの小さな漁港と観光の街コリオールがあった。印象派の画家たちが、太陽の光と色彩の恩恵を求めて、集まってきた街だ。平日で、しかも冬となれば観光客はそうはいないし、レストランも休業中が目立つ。静かだし、移り住んだ年金生活者なのか、お年寄りがのんびりと歩いている。だが、真冬の閑散とした海辺のリゾートこそ、私の大大好物なのである。
三沢順(みさわ・じゅん)