その9 GWが終わり、一枚のコピーを前にして(その2)

 ぼくたちは、わたしたちは、いまだ「アメリカ合衆国のお腹にいる」。
 そう書いたところで、「その8 『GWが終わり、一枚のコピーを前にして』」は力が尽きた。「図書新聞」2011年4月23日号の「関曠野氏が語る、東日本大震災と原発事故」のコピーを読んだ。原発反対派でありながら、「3・11」福島原発の破局を前に「痛恨の極み」と明言した論文だ。「敗北宣言」であり、ここからまた歩こう。そんな思いがビシビシと伝わってきた。その関さんの論文に沿いながら、共感する思いを書いてみた。
「六〇年代に着工した福島原発には戦後日本そのものの刻印が押されている。経済成長至上主義の戦後日本の社会はアメリカの企業文化と最新技術を見境なく直輸入することによって成立したものだった」
「そうなんだ。アメリカ合衆国のお腹に暮らしてきた」と思ったのでした。そして、関さんのこの個所を書き写しながら、読んでいた本を思い浮かべたのでした。

 鶴見俊輔座談6『家族とは何だろうか』(晶文社)という本だった。鶴見さんが、戦後から約50年間に渡って語り続けた対談・座談を全10巻にまとめたシリーズである。1995年に刊行した。いまでも読まれているという。6巻を手にしていたのであった。その巻に、高畠通敏さん(政治学者)と日高六郎さん(社会学者)と語りあっている座談が収められていた。それを思い浮かべたのである。
 対談は「管理社会と家族」がテーマで1979年(この年は、年明けに「三菱銀行人質事件」がおこった。「ウォークマン」が登場し、マンガでは「うる星やつら」に「キン肉マン」、創刊された雑誌は『噂の真相』と『広告批評』)に行われている。いま振り返るなら、のっぺらぼうでだだっ広く、社会がどんどん均質化していった。そんな思いだけが流れて行く七〇年代だった。管理社会下で家族のもっている意味、家族は管理社会の対抗の場になりえるだろうか、が話されている。次の語りが関論文と響き合ったのだった。日本の経済成長の骨組みを描いてきた日本の官僚たちの姿と原発である。

(高畠) 『油断!』(堺屋太一著)という本だけじゃなくて、このあいだNHKで「食断」をやったでしょう。食料がなくなったときどうなるかという、架空ドキュメンタリードラマですけど、まさに官僚のエトスをひじょうによく描いていたと思う。危機を先取りして、深刻な顔をして、食料輸入が止まった、日本人の何千万が死ぬということで、たいへんだという。そういう啓蒙番組ですけど。
 ぼくは官僚の習性というのは、民衆の能力についての信頼がないことにあると思うのです。それは官僚の存在意義かもしれないけど、そういう「油断」や「食断」という国家的危機をかき立てるたびに、官僚の必要性が声高に叫ばれる。このドラマでも最後は、官僚が使命感に悲愴な顔をして、混乱する民衆や政治家をとりしきって、どこをどういうふうにして日本を動かすという筋書きです。最後はそこの問題ね、やっぱり。
 危機を究極的に打開できるのは、そういう種類の官僚じゃない。いつも計画を立てるけれども、実際上は官僚の計画どおりにことが進んだためしがないという反省がない。歴史はいつも別の次元から動いてくる。
(日高) 「食断」「油断」というのはちょっとひどいと思うね。「油断」というような状況をつくったのは、まさに官僚でしょう。また「食断」の状況をつくったのも保守政府であり、官僚でしょう、いままでの。このごろ原子力発電の広告が新聞などに出ますね。その広告で有沢広巳さんなどが、原子力発電というのはエネルギー政策として今後ひじょうに重要だということを書いている。
 しかし、日本の石炭産業をつぶして石油を入れるというふうに、政策転換したのはいったいだれなのか。有沢さんにはかなり大きな責任があったのではないですか。ああいうかたちで炭鉱をつぶした国はないですよ。ヨーロッパでは、フランスだってドイツだってイギリスだって、みんな炭鉱はたいせつに温存している。いざというときをやっぱり考えている。それを日本では全部水びたしにして、それで石油にしたわけでしょう。そしてそれはアメリカの政策に乗せられたようなものですよね。そして石油不足ということになると、原子力発電だという。これまたアメリカの政策に乗せられている。
 前に自分がやったことを世間様がもうみんな忘れているとでもタカをくくっているのでなければ、いまさら原子力エネルギーの時代だなんていうことは、恥ずかしくて言えないじゃないですか。

 堺屋太一はもちろん通産省の官僚。有沢広巳は経済学者で、当時、日本原子力産業会議会長(1973~1988)を務めていた。ここで、日高さんが、「前に自分がやったこと」というのは、有沢氏が戦後、石炭産業の復興を唱えたことをさしている。日高六郎さんは珍しく興奮している。いつもはとても温厚な人なのだ(いまも元気で京都で暮らしています)。
 変わらない原子力政策があり、食料を電気に置き換えてもいい。官僚の変わることのない体質もある。高畠さんの、「官僚は民衆の能力を信頼しない。混乱する政治家をとりしきり」なんて、いまとまったく変わらない仕組みだと思った。そして、「歴史はいつも別の次元から動いてくる」。「3・11」である。そんなことだった。
 五月の風が流れていくころだった。六月の風も通り過ぎようとしている。
 日本がアメリカの腹にいつづけているなら、ぼくらもまた官僚社会のなかに暮らし続けている。では、ぼくらは帆をあげ、どこに進んでいくか。関論文はそこに向かう。一つのビジョンを描いていく。だが、となってしまった。もう一回の寄り道。
 先の座談の後に、興味深い対談が収められていたのであった。ぼくは本当にゲラを読んだのかしら。鶴見さんが水上勉さんと対談している。鶴見さん水上さんと並んでいる。テーマは「ふるさとの華やぎ」で1981年。水上勉のふるさとは若狭、原子力発電が集中し「原発銀座」と呼ばれていた(いまも変わらない)。鶴見さんは話し出す。
 水上さんの文学は、『雁の寺』、『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』、『父と子』……いずれもふるさとの方角からいまいる場所をてらすという方法が一貫としてある。それは、ふるさとの根にむかっている。そして、こう語りかける。
「文明の先端である原子力発電についても、ふるさとの側からとらえるという同じ方法でお考えではないでしょうか。そのことは、原子力発電がいいかわるいかという次元を超えて、もっと深いところから問題をとらえる方法であると思われますので、どうぞ、まったく自由にお話していただきたいのです」
「若狭と京都」について、水上さんは語り始める。話は原発に移る。
 若狭に十一基も原子力発電所を置くことになった。なぜそうなったか。土地の人に聞いてみる。敦賀半島の突端の立石(たていし)に発電所が一つできた。若狭湾は狭い。立石よりであろうと舞鶴よりであろうと汚染の体系にはってしまった。万一の場合、同じ被害をかぶるのだから助成金でももらって道をよくしたほうがいい。そういう人に結局負けたのだと思う。振り返ってみると。
「あれだけ原子力発電所が集結した過程というのは、辺境に住んで高度成長に遅れたと思っている人たちのあがきがあると思います」
 しかし、「辺境をよそ並」にしようという発想と意見を異にする人もまたいる。水上さんはそういって、ある村について語る。小浜近くの田島という所がある。小浜に鯖や鰯をカゴに背負って山を越していく。山越えはいつも難関で途中で魚が腐ってしまう。泣きの涙で安値で売るしかない。江戸時代から続いてきた生活。ところが、ここに菩提寺の和尚さんがトンネルを掘った。二十年間、行脚して行政を動かした。原発ラッシュのとき、ここにも「原発の白羽の矢」が立った。だが断った。いまで十分です。昔にくらべるといまはトンネルがあります。
「一人の仏教者の営為が原発を駆逐する力になったという、考えさせられる辺境のありようの一つの姿ですね」
 若狭に生まれてしまった。奈良の二月堂のお水とり、若狭から水を送らなければ祭りはできない。京都の国際会議場での会議も新京極のにぎわいも、若狭から電気をおくらないと。ここには、都の文化づくりにものいわずに果ててゆくことが「道」なんだという気持ちがあるんじゃないか。
「都の背中にあって、最頂点と結ばれながらそのことを主張しない。山に日が当たって輝いて見える裏は、翳った部分ですからね。その部分をいつも受け止めているのが若狭だと思う。だからせめてそこにわたしは都にない雅(みやび)をもちたい、華やぎをもちたいと思う。それを叫んで死なないことには、『生ける証(あかし)なし』みたいなもの言いにならざるをえないんですね。そこに生まれたんだから」

 あちらこちら。ぼくらはいろいろな道を歩いていくしかない。そう思う。
 関論文が指し示す一つの道に向かいます。

「六〇年代に着工した福島原発には戦後日本そのものの刻印が押されている」
 カメラ・アイを大きく引いていく。近代日本は初めから政治経済体制を欧米から輸入してきた。明治の貧しい日本には帝国主義国家になるための歴史的諸条件は存在しなかった。天皇制も国粋主義も国産に見せた輸入品だった(ぼくは「官僚制度」と読み変えたいのですが、それはまた別です)。こうした輸入、コピーに際して、いきすぎということ、これが近代日本の一大特徴であった。戦後の日本は工業資源がないのにGDP世界第二位の経済大国になってしまった。近代日本には国土の個性に見合った政治文化が欠けていた。
「東日本大震災はおそらく日本の歴史の一つの分水嶺になるだろう」
「戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本はフクシマで終わった」
 関論文はエネルギーに満ちている。反原発運動を進めてきた「一人の敗者の自覚」がそうさせているのでしょうか。こう絵を描く。
「江戸時代との連続性を取り戻し幕末に中断した社会進化の過程を再開させること、それによって国土の個性に見合った政治文化を発展させることにある」
 そう語る。日本のこれからの姿だ。ぼくが大きくうなずいたのは、「江戸時代との連続性」だった。なるほど、落ち着き先はここですか。そんな感じを抱いたのだった。「社会の実権はすでに十八世紀に世界に先駆してポップ・カルチャーを生み出した都市民と農民にうつりつつあった」。ここの回復であるという。「幕末に中断」。ここでは少し違うが、江戸、である。
 いつごろかわからなくなったが、もう大きくなるのはいいではありませんか。小さく小さくね。そんなことを考えていた。考え、というよりも夢想に近い。酔ったときの戯言に近いかな。落語を浮世絵を俳句や川柳などを生み出した社会。世界に流れていった芸だ。タンポポの花のように風に乗ってフラフラである。理念が先にあるのではなく、つぶやきがあり、そこに身ぶりやさりげない動作があり、そこには人と人のつながりがある。関さんが、ここでいっている「ポップ・カルチャー」はそういうものにちがいない。そこにゆっくりと向かって行く。岡本綺堂の『半七捕物帳』や「いろはかるた」の世界でもある。
 関さんの論文で、ぼくのはまあつぶやきだ。最近、ポケットにいれている本が駒田信二さんの『艶笑いとはかるた』(文春文庫)である。
「他者からおしつけられる『教訓』というものは、おもしろくない。殊に、官製の『教訓』というやつは、いやである。同じ『教訓』でも、それが庶民自身の選んだものである場合は、自然に受けいれられる。いろはがるたのおもしろさは、その点にある」
 同書で教えていただいた。「いろはかるた」は、江戸後期、子どもの遊びとして全国的になったという。そのはじまりは京都で、京都から江戸にひろがってきた。
「い」である。「いろはの『い』」だ。
  一寸先は闇(京かるた)
  一を聞いて十を知る(尾張かるた)
  犬も歩けば棒にあたる(江戸かるた)
だという。いろいろなんですね。駒田信二さんは中国研究者ですが、ストリッパー・一条さゆりの裁判では、一条さんを支える特別弁護人を務めたと思う。裸といえば、江戸の文化には欠かせない銭湯がある。『半七』にも銭湯がとてもよく出てくる。事件の現場であったり、密談の場であったり、噂話(ニュース)の交叉点であったり。

 最後に関論文の最後の一文を置きます。
「原発事故の暗雲の下でも希望があるとすれば、それはこの試練をとおして日本が借り物の衣装から脱却するという希望である」
 ひさしぶりにエネルギーに満ちた論文を読んだ。これに出会うきっかけとなった「GWといせやと宮里くん前田くん」にありがとう、だ。

中川六平(なかがわ・ろっぺい)