第1回 白魚と新タマネギの卵とじ

×月×日 5月6日からの大相撲の夏場所(東京両国国技館)で常幸龍(前佐久間山・東京出身・日大卒)の十両昇進が決まった。初土俵から6場所目での関取誕生は史上タイのスピード出世だという。M新聞スポーツ面に写真が載っていた。横に「桜の木の下で、十両昇進の喜びをあらわにする常幸龍」というキャプション(「写真説明」とか「エトキ(絵解き)」などとも呼ぶ)が載っていた。
 「喜び」は「あらわ」にするものか。文章的には誤りではないだろうが、「あらわ」は、あまり「良い場面」で用いないのが普通だ。「悔しさ」、「怒り」、「肌」など、本来は秘めておくべき情感や肉体が露出する時に使われるのではないか。「喜び」も本来は隠すべき事柄だった、というのなら引き下がるしかない。
 どうも、この新聞のスポーツ面はおかしい。野球の記事で、封殺(フォースアウト)と刺殺(タッチアウト)を混同したりする。校閲部に、よほど人材がいないのだろうか。

×月×日 申し訳ないが、東京新聞の朝刊1面のコラム「筆洗」からの引用を許されたい。
 フレンチのシェフ、坂井宏行さんと日本料理の板前、道場六三郎さんの対談(雑誌「致知」4月号)で、一流の料理人になれるかどうかは、自分の白いコックコート姿に惚れ込めるかによって決まる、のだとある。
 これを読んで、文章も同じだと気が付いた。自分が書いた原稿を読んで、うっとりできる人は上手な書き手になれる。若いころ、名文家といわれた先輩記者は、社外の雑誌に書いた原稿を、「どうだ、うまいだろう」と人の鼻先に突き付けて歩いていた。確かにうまいのだから、威張られても致し方ない。人より先に、自分から「うまいだろう」と言ってしまった方が、「勝ち」という世界だ。
 舞台に立つ女優が、「どう、私って綺麗でしょう?」と、鼻を高くするのと同じである。ナルシシズムは文章上達の必要条件の一つである。もちろん、度を過ごして鼻に付くようでは困るのだけれども。
 文字や言葉に対する審美眼も重要だ。細かいことだが、「また」を「又」という漢字で表現する人に、文章が上手な人はいない。乱暴な指摘かもしれないが、長年の経験から申し上げておく。

×月×日 フリーの編集者、井草長雄さんから、奥多摩で自ら育てている葉山葵(はわさび)を送っていただいた。「山葵の花茎(かけい)」と言って出荷しているところもある。
 軽くお湯を通してから。醤油漬けにするのが一般的だが、30分ほど塩をしただけで、ベーコンを炒めたところへ茹で上げたパスタと一緒にした。にんにくは使わない。
 お湯をくぐらせない技は08年に亡くなった作家で栄養学に詳しかった丸元淑生から教えてもらった。

×月×日 フリーライターの邨野継雄さんと中野の「ふく田」で。寒いドイツの取材から帰ってきたばかり。彼の国でも、原発に関しては意見が分かれているとのこと。
 新タマネギがおいしい。「白魚と新タマネギの卵とじ」。根三つ葉でも良いのだが、あえかで繊細な白魚の味をきれいに引き立てていた。まさに春の料理だった。

×月×日 ダルビッシュ有投手が5点を取られながらも勝利投手になったのは、よほど強い星が付いているのだろう。日本のプロ野球では、三振を確実に狙って取れる投手が少なくなった。その中では東北楽天イーグルスの田中将大投手に期待するしかないのだが、どうもパッとしない。まさか新婚呆けということではないだろうが。

×月×日 テニス仲間12人で、花見。目黒区の碑文谷公園の弁天池畔。自粛ムードで元気が無かった昨年に比べると、人の数も多いし、表情も明るい。救急車の出場も昨年の8倍だったとか。弁天池は、その昔、荏原郡碑文谷村が共有する「ため池」だった。そんな「ため池」には、まったくそぐわない噴水をバブル期に区が設置した。もう60年以上も昔から碑文谷公園で遊び続けていることになる。
 わがテニス仲間の平均年齢は70近いのに、健啖家が多いし、酒も強い。心強いことだ。テニスは、「手ニス」ではなく、「足ニス」と言われるほど脚力が重要なのだが、その衰えはいかんともし難い。今や、もっぱら「口(くち)ニス」の世界。相手をやじって「口撃」するばかりか、ダブルスのパートナー同士、口で味方の足を引っ張っている。

×月×日 お世話になった人の突然の訃報を新聞より先にフェイスブックでいただいた。有難かったけれども、「いいね」とはクリックできなかった。なにか、他の言葉はないものかしらん。

×月×日 今年は例年になく寒さが厳しかったせいか、桜吹雪の中のさつき賞となった。すぐにオークス、ダービーがやってくる。夕刊紙の競馬予想では、「重賞を本紙が連続で的中」などと、よく自賛している。
 だけど、18頭立てのレースで、半分もの9頭に印を付ければ、それは当たるだろう。常に4頭あるいは5頭しか挙げない人もいる。何頭印しても当たる時は当たるし、当たらない時は当たらないのが、競馬の競馬たるゆえんだが、出走馬の半分に印が付くのは、いくらなんでも多すぎる。

◎こんな調子で、日常の交友録、食日記、読書録を中心に賞賛と称揚、義憤と苦言、満悦と後悔、自惚れと懺悔、いちゃもんと小言、辛辣と諧謔などを老人の繰り言にならず、鼻につかないように書き続けていきたい。(12・4・18)


重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。