第2回 「ところで、植木屋さん、青菜は、お好きかぇ?」

×月×日 カード会社の会報誌「てんとう虫」編集部のTさんと港区南麻布の「分とく山」で5年ぶり。奇しくも店主の野崎洋光さんが「てんとう虫」に、「考える和食」を連載中だった。野﨑さんと私の共著『池波正太郎の江戸料理を食べる』(朝日新聞出版)を読者プレゼントに提供する企画の相談。
 「シドケの荏胡麻(えごま)和え」、「鴨団子の若竹煮」など、桜の季節にふさわしい料理だった。食事はシラスと蕗(ふき)の炊き込みご飯。

×月×日 大井町駅前の「きゅりあん」大ホールで柳家小三治一門会。演目は時期的には少し早かったが、「青菜」。小三治には熱狂的なファンがいる。千葉、草加、鹿児島と独演会を追いかけた人から、三か所とも「一眼国(いちがんこく)」と「厩火事(うまやかじ)」の組み合わせだった、という抗議の手紙が来たと、まくらで披露した。
 手紙には「聴く者の身にもなってほしい」とあった。この組み合わせを気に入っていた小三治は、そんな苦情が来るなどと、思ってもいなかった。「噺をするこちらの身にもなってほしい」と、笑いを取っていた。返事は出さなかったよし。このまくらも、複数回話しているようだ。私は、初めてだったが。

×月×日 談志を追悼する本は、まさに「雨後の竹の子」。快楽亭ブラックの『立川談志の正体』(彩流社)は、立川流を破門にされている著者が談志への愛憎を語っている。副題に「愛憎相克的落語家師弟論」とあるが、一部弟弟子への恨みが痛烈に込められている分だけ、刀の切れ味に鈍さが残る。
 落語家は兄弟子や弟弟子に限らず、師匠でさえも平気でネタやギャグにして笑い飛ばさなくてはならないから、因果な職業だ。

×月×日 立川志らくの新刊、『談志のことば』(徳間書店)を読む。談志を嫌う人が本書を読めば、ますます嫌いになる。好きな人なら、身近に感じてたまらなくなるだろう。
 人に気を遣う談志だけに、気を遣わない者には腹を立てた。最近は、「空気を読めない」などというが、昔は「気が利かない」といって、江戸っ子が最も馬鹿にした所業だ。一方で、自分には芸人特有のプライドと自信、自己愛に加えて奔放な性格がアンビバレントに並存しているのだから、周囲の人間にとっては面倒なこと、この上ない。
 それにしても立川流一門には、文才に長(た)けた落語家が多い。ご本人たちの多くは認めたがらないだろうが、談志の隠れた功績かもしれない。こう書くと、「隠れた」ではない「偉大な功績」だと、突っ込んでくる人が必ず出てくるに違いないから、落語家は厄介だ。
 桂三木助(三代目)を安藤鶴夫が『三木助歳時記』に書き、古今亭志ん生を結城昌治が『志ん生一代』に著した。「小説立川談志」は誰が書くのか。

×月×日 信州の東御(とおみ)市でワインを造っている玉村豊男さんから、『隠居志願』(東京書籍)を恵投いただいた。共同通信の配信で地方紙に毎週一回掲載された660字のコラムをまとめたもの。短い字数に苦労した思いがあるので、加筆はしなかったよし。そこに玉村流の「芸」がある。
 短い中にも、一編の掌編小説になるようなテーマもあるが、あくまでも小説家ではなくエッセイストに執着する玉村さんはフィクションを一切加えてはいない。その潔さが身上だ。
 画家による、「さしえ」が付くのが通例だが、玉村さんは画家でもある。だから絵も描いた。これがいい。日本画家だった父親の血を引いている。デパートやホテルで開かれる個展はいつも満員だし、すでに箱根町の元箱根に「ライフアートミュージアム」なる個人美術館まである。文才、画才、商才と三拍子そろったマルチタレントだ。
 本文から一節。
<情報は、手に入るようになると、ますます欲しくなる。(略)
 隠居というのは、世間に飛び交う情報から超然として「隠れ居る」ことではないか。>
 まったく、その通りと思うが、これがなかなか難しいのです。

×月×日 朝日新聞日曜日の生活面の新企画「かしこいおかず」に虎ノ門の「京料理 と村」の戸村仁男(きみお)さんが、「ハマグリの茶わん蒸し」を紹介していた。
 茶わん蒸しといえば、エビや銀杏(ぎんなん)、椎茸(しいたけ)などが定番だが、ハマグリから取った出汁(だし)と卵だけで、余計な材料は一切入れない。寄せ鍋や五目ご飯の対極にある「純粋美」を追求している。
 贅沢という批判があるかもしれないが、料理に「簡単、スピード」が喧伝される時代だからこそ、実にまっとうで貴重な一品だ。今後が楽しみ。

×月×日 新聞のテレビ番組案内の「きょうの料理」(NHK)を見たら、「話題のイケメン料理研究家が爽やかな洋風ちらしずし」とあるのに、びっくり仰天。なんじゃあ、これは。いつから、料理を作る人の顔の美醜が問題になったのか。敬語の使い方も知らない、チャラチャラした若者が作る料理にどんな魅力があるというのだろう。
 このチャラチャラ君とは違うが、やはりイケメンで知られる某シェフは、昨年のプロ野球交流戦(福岡ヤフードーム)で、始球式に登場した。いくら出身県と関係あるシリーズとはいえ、出す方も出す方だが、投げる方も投げる方だ。
 「きょうの料理」といえば、テレビの料理番組の草分けで、日本人の食生活の向上、発展に多大な寄与と貢献があった。江上トミ、辻嘉一、村上信夫、陳建民、小野小吉などの顔を思い浮かべれば、たちどころにわかる。NHKはその誇りと矜恃をどこに忘れてしまったのか。
 こういう番組を見ると(途中で止めたけれども)、玉村豊男さんが述べるところの「隠れ居る」のが、いかに難しいかがわかるというものだ。

×月×日 阪神のメッセンジャー投手が、ヤクルトを4安打、4−0で完封した。翌日の朝日新聞スポーツ面の見出しが、「メッセ奉公 初完封」とあった。
 元はアルゼンチンのサッカー代表選手、リオネル・メッシに因んだ「メッシ奉公」が先にある。自分がゴールを決めるのではなく、アシストでチームの勝利に貢献するのだから、「滅私奉公(めつしほうこう)」の洒落として利いているのだ。もちろん、意味は「私心を捨てて、公(おおやけ)のために尽くすこと」(「大辞林」)で、文芸評論家の故・本多秋五は、かつて「少なくとも芸術家においてはナンセンスである」と喝破した。
 投手が完投、完封しても、「私心を捨てる」とは関係ない。メッシとメッセンジャーのメッセを掛けただけで、おやじギャグにもなっていないお粗末な見出しだ。(12・4・25)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。