第6回 閖上のアカガイ、舞鶴のトリガイ、青森のクロマグロ

×月×日 銀座「和光」で、村上豊画伯の個展。5年ぶり5回目のテーマは「遊」。日本人の郷愁を呼び起こす日本の原風景や仏教世界が洒脱と飄逸に裏打ちされて繰り広げられている。70代も半ばというのに、いつまでも若さを絶やさない村上豊さんの存在は、出版文化の継続にとって実に貴重な存在だ。

×月×日 取材で宇治へ。宇治川橋のすぐそばにあるそばや「しゅばく」へ入る。運が良くてすぐ座れた。いつもは店の外に行列が出来るとのこと。酒は、伏見の「みやこつる」を頼む。箸袋に「十割そばはつなぎが入っておりませんので大変のびやすくなっております ゆがきたての一番おいしい瞬間をのがさずにおめしあがりください」とある。
 隣の席で、地元の中年の男性が、「つなぎってなんや」と連れに訊いている。話の内容からすると、お茶の生産者らしい。茶の名産地、宇治にはゆかりの「茶そば」もあるだろうに。
 別のテーブルでは、初老の女性同士、「細いな、手打ちで茹でたてやからな」と話している。いつも、時間が経ったそばを食べているらしい。食べ終わるまでにだいぶ時間が掛かっていたから、伸びて少し太くなったかもしれない。

×月×日 朝日新聞社の後輩、吉田義昭さんが犬山から出てきたので、銀座七丁目のビストロ「マリー・ジェンヌ」でアシダ・ソムリエとほぼ20年ぶりに久闊を叙す。吉田さんは販売畑の人だが、不思議と編集にも人脈が広い。鍵は麻雀と労働組合か。
 4月12日に7人が亡くなった京都祇園四条の暴走事故で、かつて朝日新聞の出版広告部で働いていたK嬢が犠牲になったと聞く。彼女はいつも明るい笑顔を見せて、職場を楽しくしていた。後輩の早逝や健康を害した消息を知るのは辛い。合掌。
 シャンパーニュ、アルザス、ブルゴーニュと3本、パテ・ド・カンパーニュ、アンドゥイェットなどを食べて、1人1万円で上がったのは、アシダ・ソムリエの選択が良かったのか、店が安かったのか。恐らく両方だろう。

×月×日 久しぶりに、横浜市新子安の「八左ェ門」の鮨。閖上(ゆりあげ)のアカガイと舞鶴のトリガイの身の厚いこと。昨年の震災直後にも、閖上でアカガイは揚がったが、ほとんど使えなかった。津波の後の貝類は豊漁と言われる風説を実証する大きさだった。犠牲者の霊に鎮魂の祈りを捧げる。
 今年は例年になくかなり早い時期からトリガイが出ているが、いずれも身が薄かった。久しぶりに立派なトリガイにお目に掛かった。
 今年初めて、青森の定置網に揚がった92キロの本マグロ。味も香りも色も上々。初物を食べると七五日寿命が延びるという。七五日は蕎麦の種子を撒いてから実が結ぶまで、という説がある。
 良いネタが手に入ると、店主磯山満さんの機嫌がいい。正直な人だ。

×月×日 有楽町の朝日ホールで、落語名人会。古今亭志ん輔の「妾馬(めかうま)」、柳家花緑の「祇園祭」、柳家権太楼の「一人酒盛」など。花緑と権太楼が熱演。権太楼は、酒を飲んで酔う姿態を演(や)らせたら、ちょっと敵う者はいない。 
 
×月×日 30年ぶりに、「渋谷森本」へ。店がまだあるだけでも、僥倖だ。80代も半ばになったはずの親父さんは見えなかったが、雰囲気は昔のまま。その昔は、西小山で「弁天亭」と言っていた。酒は剣菱から信州飯田の「喜久水」に変わった。ここのつくねは、私は称揚して止まないが、玉葱のみじんの粒が大きくなり、柚子の香りが特長だったのに、消えていた。かつては一本60円くらいだったが、現在は210円。
 長居は店の嫌うところで、店内の壁に貼られた「止まり木を われにも頒けよ 夕雀」の紙は健在だった。

×月×日 大相撲5月場所は、平幕で37歳の旭天鵬が優勝した。それにしても、琴欧州の休場は、悔やまれる。「水入りの大相撲」というのは聞いたことがあるが、水を差された相撲というのは、聞いたことがない。10日目で7勝を挙げた某大関が、「後1勝だな」といったり、6大関に対する風当たりが強い。ブーイングはそういう「流れ」のなかから湧き出たのだ。(12・5・26)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。