第7回 鮎並(アイナメ)のお椀、いぼ鯛の祐庵焼き、稚鮎のしんびき粉揚げ

×月×日 今話題のフレンチレストラン「LA’S ラス」へ。青山の骨董通りから少し入ったところにある。5250円のプリフィックスひとコースのみ。ナプキンやホーク、ナイフなどのカテラリーがテーブル右脇の引出しに収まっているので、自分で出して使う。
 フォアグラのテリーヌや、鴨のコンフィなど、結構なボリュームがある。一皿ごと、料理に合わせてグラスワインをチョイスしてくれる。パリの三ツ星レストラン「アストランス」を思い起こすと言ったら、あまりにもほめ過ぎか。ソムリエは大坂のリッツカールトンにいた田辺公一さん。実に的確なセレクションだった。
 最近の新しい繁盛店の特徴として、若い女性同士の客が多い。これはフランスの文化から見ると、奇異な感じがするだろう。それだけ日本の女性はリッチといえるし、雇用均等法の影響もあるに違いない。「晩婚化」とも関係があるのかな? あまり突っ込むと、セクハラにつながるかもしれない。
 料理は「おまかせ」のみの一種類だから、次になにが出て来るのか、隣の食卓を観るとわかってしまう。テーブルの間隔が狭いのだ。期待感がそがれるし、自分で選ぶ楽しみは無い。かえってそんなところが、若い人に喜ばれるともいえる。ワインを自分で選ぶ、「苦しみ」もない。料理の内容は2週間くらいで、変わるそうだ。

×月×日 急逝された前国際ソムリエ協会会長の小飼一至さん「お別れの会」が、かつての職場、高輪プリンスホテルで。小泉純一郎元首相や、ソニー創業者の一人、盛田昭夫氏夫人の良子さんの姿も見えた。
 東京オリンピックが終わってから、ソニービルの地下にオープンした「マキシム・ド・パリ」で、小飼さんはソムリエの道を歩み始めた。まだ、ソムリエなんて言葉は、ごく一部の人にしか知られていない時代だ。研修でパリの「マキシム」へ派遣され、ユル・ブリンナーやジャクリーヌ・オナシス、マリア・カラスなど世界の超有名人のテーブルでサーヴィスをしたこともある。
 1982年にはプリンスホテルへ移り、多くの後輩を育てた。1986年には、パリ国際ソムリエコンクールで日本人としては初めての3位入賞を果たす。
 参列者に配られた「小飼さんの言の葉」が故人の人柄をよく物語っている。ホテル時代の部下の一人、岩澤正子さん(現銀座「グットドール」ソムリエ)は、若いころ小飼さんから、客席に最も遠い給湯室へ呼ばれ、「シャイで悪いことはないけどね、得をすることは一つもないんだよ」と言われ、「ぼくもシャイだからよくわかるんだ」と付け加えた言葉を今でも大切にしている。

×月×日 江國香織の「川端康成賞」受賞作「犬とハモニカ」(「新潮」6月号)を読む。どこの国際空港でも、外国からの航空機が到着すると、まず入国の手続きをし、ターンテーブルから荷物を受け取って税関の検査を受けてから、その土地に足を踏み入れる。そこに微妙で曖昧な時間と空間がある。
 日本の土地であっても、まだ日本ではない。陸上のリレー競技の「テーク・オーバー・ゾーン(バトンゾーン)」みたいなものだ。そのニッチ(すき間)な場所に、ニッチであるがゆえにさまざまなドラマがひっそりと生まれて、進行し、交錯しやがて静かになる。やはり優れた観察力を備えているから、書けた短編小説だ。
 そういえば、一度成田の入国審査前のトイレで、こんなことがあった。個室から勢いよく水の流れる音が聞こえた後に、「あァー、さっぱりした」と、いかにも感に堪えないような大きな独り言が聞えてきた。長い「苦しみと悩み」が一気に解決して、よほど気持ちが良かったのだろう。一瞬、どんな顔をした人なのか、じっくり待って見てみようかと思ったほどだ。こんな情景に感心していたのでは、まず小説は書けないだろうな。

×月×日 銀座の「いまむら」へ。お椀は鮎並(あいなめ)。今村英太郎さんは、このところイボ鯛の祐庵(ゆうあん)焼きに凝っている。祐庵焼きは祐庵地(醤油、酒、みりんを同量)に漬けて、しばらく置いてから焼く。漬ける時間は、魚によって異なる。鰆(さわら)、真名鰹(まながつお)、銀鱈など。鶏や豚肉にも応用できる。幽庵という字を当てる人もいるが、琵琶湖畔の堅田(かたた)に住んだ食通の茶人、北村祐庵が考案したという説が私は好きなのだ。幽庵は雅称と考えたい。稚鮎(ちあゆ)のしんびき粉揚げ。しんびき粉は、蒸したもち米を細かく砕いたもの。道明寺粉よりも細かい。ようやく初夏の雰囲気が出てきた。(12・6・9)


重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。