第10回 賀茂茄子、鮎、芋、蛸、南京、鱧

×月×日 JR恵比寿駅近くの京料理「京しずく」へ半年ぶり。水無月(みなづき=6月の異称)という事で、涼しげな料理が続く。蓼酢(たです)のあんが鮎の塩焼きに掛かっている。これはフランス料理のソースの感覚。賀茂茄子(かもなす)の揚げ出しは、初物だった。寿命が75日伸びるだろう。
 煮物は、芋、蛸(たこ)南京(なんきん)。江戸時代から関西地方で、「女の好きは、芝居、蒟蒻(こんにゃく)、芋、蛸、南京」と言われてきた。
 蒟蒻の代わりに浄瑠璃と記したのは、井原西鶴といわれる。タコは、「たこ焼き」ではない。南京はかぼちゃのこと。南京豆(ピーナッツ)と思い込んでいた女性がいた。
 お椀の「牡丹鱧(ぼたんはも)」は、鱧に火を通し、鱧の骨から取ったスープを張った。斬新なアイディアに富んでいる。とはいっても、決して京料理の枠を踏み外さないところが気に入っている。

×月×日 5月7日に89歳の生涯を全うされた生田正輝慶応大学名誉教授を偲ぶ会が帝国ホテルで行われた。ゼミナールや新聞研究所で、長年公私にわたって指導を受けた文字通りの恩師だった。新聞社を辞めて水戸の常磐(ときわ)大学でしばらく教鞭をとったが、その時もお世話になった。
 卒業以来50年ぶりに再会した顔もあったが、どこか面影が残っているものだ。誰かが、「人間は歳を取ると、皆同じような顔になる」と言っていたが、うなずけるところがる。
「なんだかんだ言っても、われわれの時代は働けば、それだけ報われる良い時代だった」という声も聞こえてきた。「今は働く場所もなく、働く意欲もない」ということらしい。

×月×日 毎日、自宅前の公園の野良猫に餌をやりに来る人がいる。大変迷惑だ。かつては自宅で猫を飼っていたこともあるから、猫は別に嫌いではない。一緒に飼っていた犬のほうが好きだったけれども。 
 保健所では、「野良猫に餌を与えないでください」と看板を出しているが、効き目はない。残った餌で、「カラスが増える」からと理由が書かれているが、残った餌はきちんと持って帰る。庭を汚され、異臭が困る。そういう人たちは、ある種のファナティックな「猫信仰」に捕らわれているから、聞く耳を持たない。
 野良猫を防ぐ有効な手立てはないらしい。水を入れたペットボトルを立てて置いたり、CDを並べている光景も見る。どうやら猫の方が一枚上のようだ。ネットで調べても、有効な策はない。猫も飽食時代を満喫しているらしい。

×月×日 今、鯵(アジ)が旨い。握りずしのアジもいい。タタキもいい。しかし、アジやカツオ、イワシなどを握ったとき、山葵(ワサビ)を噛(か)ませて握る。さらに身の上にオロシショウガと細い万能ネギを刻んで、載せる。つまり一貫のすしに、ワサビとショウガ、ネギと三種も薬味が載っている。
 どうして、こんなことになったのか。
 流通事情が良くなったという事もあるが、昔なら決して生で食べなかった魚や肉の内臓でも、生で食べるようになった。イワシやサンマ、サバ、アジなどだ。塩や酢で締める手順を省くようになった。
 生のアジと酢で締めたアジがあれば、生のアジを選ぶ人が圧倒的に多い。新鮮だと思うのだろう。古くなったから、酢で締めるわけではない。むしろ逆だ。
 アジやサバはすべて酢で締めたから、ワサビをかませるか、用いないのが常道だった。アジヤサバ、イワシ、カツオは生姜醤油で食べるのが常道だ。
 そこで、ワサビをはさんで握った後、生の身の上にショウガやネギを載せることになる。身とシャリの間にショウガを噛ませる銀座のさる有名鮨店がある。おろしたショウガの水気をよく搾り取って用いるが、どうしてもシャリの酢の味とケンカする。ショウガの刺激はかなり強い。口の中がすべてショウガの味になってしまい、魚の滋味が失われてしまう。
 刺し身とご飯で食べるのなら、話しは別だけれども。
 
×月×日 11月になって年賀はがきを売り出すようになると、「喪中につき欠礼」のはがきが11月に届くのは、いかにも早すぎると以前に書いたことがある。年賀はがきを受け付ける12月15日の数日前で、充分だ。
 まだ6月も20日を過ぎたばかりというのに、「お中元」の進物が届く。頂いておいて、文句を付けるのは気が引けるが、いくらなんでも早すぎる。デパートの宣伝に踊らされているのではないか。それとも、日本人は皆気が急(せ)いているのか。

×月×日 6月で、「レバ刺し」が焼肉屋のメニューから消えるというので、大騒ぎだ。現在日本人の間では食材を生のまま、火を入れずに食べるのを最高の贅沢とする「刺し身信仰」が熱烈にまかり通っている。火を通した竹の子やコンニャク、湯葉も「刺し身」と称してメニューに載っている。
 私は、「レバ刺し」にはなんら執着が無いから、痛くもかゆくもない。同じお上からの通達によって、そば屋から消えた「鶏わさ」と「生卵」の方が、困る。
 作家の色川武大(故人)は、特注の生レバにおろしショウガをなすりつけて、すすった味が忘れられないと書いている。新宿の十二社の通りに、生レバを隠しておいて売ってくれる屋台の焼鳥屋があった、というのである。
 恐らく80年代の頃だろうが、いかにも「御禁制品」という感じがする。何のレバーが記されていない。常識的には鶏だろうけど、牛や豚の可能性もある。鮫(さめ)の心臓に目を付けた人がいる。食感が似ているらしい。
 馬のレバーや鶏の「レバ刺し」が売れるようになるのだろうか。となると、今度は飼料の質と安全性が問われることになる。(12・7・7)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。