第13回 剣先イカのお造り、鱧の柳川、穴子のトウモロコシ焼き、水雲(もずく)雑炊

×月×日 前回に書いた「福島第一原発事故」についての国会の調査委員会がまとめた報告書の問題だ。朝日新聞7月18日の夕刊コラム「窓 論説委員室から」で、触れている。ここでも、「国内外から疑問の声が上がっている」と、他人事風というか、傍観者風だ。こういうのを、「客観報道」風というのだろう。
 報告書の英語版では、事故の根本原因は、「日本固有の文化」と断じた。「条件反射的な従順さ」、「決まりごとにこだわる習性」、「集団主義」、「権威を疑おうとしない姿勢」などを例に挙げている、とある。
 その説明に一理はあるとしても、事故の「言い訳」と捕えられるのは、調査委員会としても、決して本意ではあるまい。もし、本当に「言い訳」と考えているのなら、お粗末すぎる。
 ここは、ぜひ英語版の序文を訳出して、なぜ英語版と日本語版で違うのかを検証してもらいたい。
 だけど、根本原因として挙げられた、「日本固有の文化」の例は、すべて現代の新聞やテレビが抱える「構造的欠陥」と見事に合致している。まことに皮肉な「報告書」と言わざるを得ない。

×月×日 最近は新聞の死亡記事を読んでも、「告別式はすでに親族で執り行われた」と記されていることが多い。有名人だと、「お別れの会を後日開く予定」とあって、しばらくすると、その詳細な日時や場所が記される。
 高齢化社会となり、亡くなった方が高齢だと、親しい友人たちもすでに他界したか、あるいは臥せっていて葬儀に出席できないといった事情があるのだろう。
 それだけ「お別れの会」とか「偲ぶ会」とかが増えたわけで、ホテルなどの宴会場では大きな「商機」らしい。余計なことだが、反対に葬儀社の経営は困っているだろう。
 だいたいは「平服でお越しください」と書いてあるが、男はダークスーツで済むが、女性は着るものが難しいせいか、喪服姿が多いようだ。さる故人の会で、ホームページに「お清めのお部屋を用意してあります」とあったが、葬儀ではないのだから「お清め」はおかしい。最近はお清めの塩を用意しない宗派も増えてきた。別に「穢(けが)れ」でも「忌(い)む」ことでもない、という考え方だ。
 ある会で、献花の後、著名なヴァイオリニストが、故人に捧げる鎮魂の曲を演奏した。
 こういう時は、演奏が終わって拍手をするべきなのか、迷いますね。遺影の前で「送る言葉」や「献詞」を述べた後も拍手は要るのかな。告別式の「弔辞」は、拍手がないのが普通だ。
 やがて「献杯」になるのだが、これが難しい。さる会で司会進行を務めたNHKの現役アナウンサーが、「それでは、献杯の音頭を○○様にお願いいたします」と言っていたが、「音頭」は無いだろう。
「献杯のご発声を」というのも、どうかな。「発声」と言われれば、つい「ご唱和ください」と続いてしまう。かつて民俗学者の折口信夫(おりぐち・しのぶ、歌人=釈迢空しやく・ちようくう)は、日本語に「乾杯」という発声は無いと言って嫌ったそうだ。「おめでとうございます」とでも言ったのでしょうね。
 ましてや「献杯」という「発声」は、昔は無かったと思われる。声を出すものではないのではないか。また別の会では、テレビ朝日の元アナウンサーが、意図したのか、どうか、ただ「○○様に献杯のご挨拶をお願いします」と紹介した。すると指名された人が、つまらない話のあとで、「ご唱和をお願いします」としゃべった。
「カンパーイ」というのは、いくら威勢がよくても構わないが、あまり大きな声で「ケンパーイ」と叫ぶのはみっともよいものではない。「ご唱和ください」と言われれば、声は出すものの、どうしてもボソボソといった感じになる。
 それでは、どうするのが良いのか。
 私なら、「それでは、故人のご冥福をお祈りして、杯を捧げたいと存じます。どうぞお声は出さずに、5秒ほど遺影に向かって黙礼をお願いいたします」と言ってから、「有難うございました」で済ます。
 最近は、手軽にケータイなどで写真を撮って送ってくれる。先日送っていただいた「偲ぶ会」のスナップ写真で、Vサインを出して映っていた人が居た。「偲ぶ会」にVサインは似合わない。これから注意しよう。

×月×日 久しぶりにJR中野駅北口の「ふく田」へ。北口駅前の様相が一変した。サンプラザ前にバスの発着場が移動したからだ。
 鱧(はも)の柳川と「穴子のとうもろこし焼き」。アスパラを芯に穴子を巻き、その上にとうもろこしをきれいに貼り付けて焼き上げてある。見た目は小型の「焼きとうもろこし」だ。食事は水雲(もずく)雑炊。もう中国産の松茸が入荷していた。高値とのこと。まだ、松茸の気分にならないので、見送る。

×月×日 朝日名人会。桂文珍の「帯久(おびきゆう)」が珍しかった。文珍に言わせると、「噺が面白くない割に、演じる方が大変とのこと」。以前、同じ朝日の名人会で、立川志の輔の「帯久」を聞いたことがある。
 講談の大岡政談をもとに、関西で古くから落語化され、米朝の持ちネタ。東京では三遊亭圓生が、東京風に演じた。柳家喬太郎の「仏馬」もなかなかかからない演目だった。
 季節の演目では、柳亭市馬(いちば)の「鰻の幇間(たいこ)」。相変わらず声の艶がいい。市馬の噺は、いつも何か一曲歌いたくてたまらないように聞こえる。こちらの気のせいかもしれないけれども。

×月×日 渋谷の「ル・シネマ」で映画「クレージーホース・パリ 夜の宝石たち」を観る。「リド」、「ムーランルージュ」と並んで、パリの三大ナイトクラブと言われる「クレージーホース」の舞台裏に入り、演出会議、振り付け、音楽、衣装合わせなどを描いたドキュメント。世界の「ヌードショウ」の最高峰にあることは間違いない。
 故風間完画伯と朝日新聞の秋山康男さん(確か当時はジュネーブ支局長だったか)の3人で、「クレージーホース」の立見席に行ったのは、1977年のことだから、35年も前のことになる。当時の日本では考えられなかった、アンダーヘアをオープンにした衣装とダンスは、衝撃的だった。
 風間画伯は、「私は画家だから、女性の裸には別に驚きもしないけど、綺麗だったね」と感想を漏らしていたのは、日本と彼我とのショー芸術の較差に愕然としたからだろう。
「リド」では、旅の疲れで半分眠っていたし、「ムーランルージュ」は、あまりにも観光的だった。まさに茫茫たる昔のことになってしまった。(12・8・6)


重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。