第14回 ハイボールにオロシショウガ、暑い時にこそ「にゅうめん」

×月×日 映画「屋根裏のマリアたち」の評判がいい。1960年代のパリ。スペインの独裁者フランコがまだ生きていた時代だ。証券会社を経営するジャン=ルイ・ジュベールは、ふとしたことから屋根裏に住むスペイン人のメイドたちと仲良くなり、自分も屋根裏に住むことになった。
 ジュベールは、劣悪な環境に住むスペイン人たちに同情し、詰まった水洗トイレを修理し、夫の暴力に悩むピラールのためには、知人の管理人室を世話する。ジュベールの家を担当している聡明なマリアに魅かれたからでも有るのだが、マリアには秘められた事情があった。
 フランス人によるスペイン人に対する差別意識が陰に陽にある時代背景は、日本人にも理解できるだろう。その後のフランスの下級労働力はポルトガルから、北アフリカのモロッコ、チュニジア、アルジェリアなどかつての宗主国に移り、現在は中東出身者も多い。
 ジュベールとマリアの運命は、意外な結末を迎える。

×月×日 8席しかない、夫婦だけでやっているすし屋に、6人組の一行が入っていた。それぞれが別のものを注文して、生ウニが4人、赤貝が2人とやっている。
 いくら「お好み」といっても、これでは時間が掛かってたまらない。大勢で入ったら、ある程度は、同じものを注文する、といった思いやりが欲しい。本来、すし屋は一人で行くものだと思っているが、どうしても「団体」で行くなら、4人が限度だ。4人を超えると、どうしても声が大きくなる。

×月×日 そうかと思えば、一人で来た客が他の客の会話に入り込むのも迷惑だ。世田谷の二子玉川駅近くの天ぷら屋。隣に一人で座った老女がうるさい、うるさい。職人に家族のことをくだくだ話しかけるは、かなり離れた年配の夫婦の話題を引き取る。そのうち、隣に座った4人連れの商談にまで口を挟み出した。
 こういうのを、「そば屋の湯桶(ゆとう)」という。湯桶は、たいがい四角の角(すみ)に口がある。「隅(すみ)から口を出す」という洒落だ。年を取って一人で食事をするのが寂しいのはわかるが、周囲への配慮を忘れては困る。
 天ぷらはすしと違って、油の温度を丹念に観察し、揚げるタイミングを計るのが最も重要なのだ。だから、天ぷらの職人は無口な人が多い。「今、これから私が食べるかき揚げが鍋に入っている」と期待が膨らんでいる時に、余計なことを話しかけるなっつうの。私のかき揚げに火が通り過ぎたら、責任を取ってくれるのか。

×月×日 採血のために信濃町のK大学病院へ行ったら、すい臓切除の大手術を受けた、会社のN先輩とばったり。
「14時間もかかってよ、3週間後にまた再手術さ。17キロ痩せて、あばら骨は見えるし、座ると尾てい骨に当たって、痛い、痛い。珍しいケースだから、医者が診たくてしょうがないらしくて、今日はCT検査」
 背中から開いたの? とわかってはいるけど、聞いてみたら、「前からさ。分けいっても、分けいっても、と探したらしいよ」と、見ていたようなことを言って、楽しんでいる風だった。だいたい新聞社に働く人種は、法螺(ほら)を吹いたり、与太話しを作るのが好きだ。病を得た、といっても威勢がいいのは、なによりだ。
 古今亭志ん生の「貧乏自慢」ではないが、こういうのを「病気自慢」という。

×月×日 12年物の高級スコッチウイスキーのハイボールに、おろし生姜を入れる飲みかたがある。邪道といえば邪道だが、マグロのトロに合う、とは輸入元の推薦の弁。試みてみたら、確かにトロにぴったりだった。
 やはり、気分の問題で、12年物だから良いのだ。安物のウイスキーだと、なんだか貧乏くさくなる。そういえば、吟醸酒におろした山葵(わさび)を入れる飲み方がある。

×月×日 オリンピックで負けた選手にしつこくインタビューしているが、もう少しスマートにできないものか。「今の思いは?」とマニュアルのように尋ねているが、「愚問」と言わざるを得ない。
 選手の方も、「ホントに支えてくれた人たちのおかげです」と繰り返すのもマニュアルがあるのではないかと疑いなくなる。とにかくアナウンサー、選手、解説者が実に「本当に」という言葉を本当に乱発している。

×月×日 虎ノ門の日本料理「と村」の戸村仁男さんが、日曜日の朝日新聞の日曜日生活面に連載の「かしこいおかず」にときどき登場する。先日は「にゅうめん」だった。「煮麺(にめん)」を語源とする温かい素麺の料理だ。
 世間は、省エネ対策で冷たい料理が大流行だ。スーパーには、冷麺、冷やし中華といった商品が目につく。
 素麺と言えば、「流し素麺」を思い出すくらいに、夏の一服の清涼を感じるための料理という印象が強い。ところが関西地方では温かい「にゅうめん」は年中ある。暑い時期にこそ温かい料理が冷気を呼ぶ。そう言えば、「夏は熱い料理が腹の薬」という言葉もある。
 私は焼き鮎や小鯛、鯛の切り身を焼いて出汁を取る。これはこれで「我が家の味」なのだが、やはり田舎風というか家庭料理だから野性的で洗練に欠ける。
 戸村さんの「にゅうめん」に入っている具は、三つ葉と胡麻、茗荷と薬味程度に抑えてある。新聞に載っているレシピ通りに作ってみると、実に雅趣に富んでいた。鰹の効いた汁もすべて腹の中に納まった。
 戸村流は、まさに料亭の味を彷彿とさせる。不思議なものだ。食べ終わってから気が付いたのだが、我が家のいつもの分量で作っていたら、二人前強を食べていた。

×月×日 辻村深月の直木賞受賞作『鍵のない夢を見る』(文藝春秋)を読む。
 現代の社会情勢を反映している男女間や親子間を巡る事件の「襞(ひだ)」を丁寧に追っている。かつてはあまり例を見なかった事件が多い。「襞」は一般的に、「心の闇」と表現される。「心の闇」は他人にはうかがい知れない。他人どころか自分自身でもわからないことが多いはずだ。それだけ人間には分からない部分が多い、ということでもある。だから文学が成り立つのだ。逆に言えば、その「襞」に光を照射し、鋭く観察し分析を施しながら、物語を紡ぐのが小説といえる。
 それにしても、
<空に、薄い色の星が散っていた。彼が、私を見つめて破顔した。>
という文章はいただけない。幼稚すぎる。それとも私が年を取り過ぎたのか。(12・8・13)


重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。