第15回 厳しい残暑の中、中国からマツタケがやってきた

×月×日 久しぶりに銀座の「いまむら」へ。冷たいグリンピースのすり流し、刺身はアイナメ、シマアジなど。焼き物はスズキ。揚げ物は穴子の竜田揚げ。酢の物代わりは、鱧の印籠。

×月×日 前回、新直木賞『鍵のない夢を見る』(辻村深月・文藝春秋)の「彼が、私を見つめて破顔した。」という文章を取り上げたが、新芥川賞の『冥土めぐり』(鹿島田真希・河出書房新社)にも、気になる文章があった。
〈奈津子はこんな母親を呆れるほど愚かだと脱力するのだ。〉
 著者によれば、「たった百十枚の枚数を書くのに十回ほど書き直したので、千枚は書いたと思う」(「文藝春秋」9月号)とのことだが、それでもこの種の表現を選んだのだから、もはや「流行」なのかもしれない。
 しかしこの小説は、最近の芥川賞受賞作の中では、完成度が高い。だけど、弟が姉をキャバクラへ連れて行って、店の中で「平手打ち」をするものかなあ。リアリティの問題だけれども。

×月×日 昨年は東北大震災の影響で中止された「東京湾大華火祭」。早いもので、もう24回を数える。第5部の「震災復興祈願 東京湾から元気を」が良かった。尺5寸(約45センチ)の大玉は、さすがに迫力が違う。

×月×日 読売新聞の西部本社で社会部の記者が、メールの送信先を間違えて、「諭旨退職処分」を受けた。
 自社内への連絡のつもりが、記者クラブ加盟の他社に一斉に流れてしまった。送信先を「送信済み」の相手から、選び出す時に間違えたとのこと。
 単なる技術的操作ミスにしては、重い処分だ。本来なら秘匿すべき取材先が明らかになり、インターネット上に晒されてしまったからだ。他山の石としなくてはいけない。
 面倒と思っても、重要なメールの宛先は、一人、一人愚直に選ばなくてはいけないという教訓だ。利便性の隣には、常に危険な落とし穴が待ち構えている。

×月×日 松本清張の小説で映画化された作品は、1957年の「顔」に始まって、2009年の「ゼロの焦点」(映画化2回目)まで、36本ある。「砂の器」、「鬼畜」、「天城越え」などが広く知られている。
 北九州市小倉区にある松本清張記念館では、没後20年展として、「松本清張と映画 観た 書いた 創った」を開催している。
 図録に、「松本清張が観た映画」が記されている。1953年の上京以後だが、「裏窓」、「自転車泥棒」、「ゴッドファーザー」などの洋画から黒澤作品まで、なかなか貴重な記録だ。よく調べたものと思うが、自分の観た映画を晒されるのは、どんな心境だろう。
 
×月×日 中国産のマツタケが市場に出てきたが、例年よりも高め。世界中から、日本を目指して食材が入ってくる。したがって、日本の歳時記的な季節感とタイムラグが生じるのは、やむを得ないことなのか。

×月×日 拙著『愚者の説法 賢者のぼやき』で、読者の方からの反響が面白い。「料理は『完成』するものなのか」に、あるテレビ局の料理担当ディレクターから、ご意見が届いた。
<なるほどなるほどと頷けたものの、番組は映像として、限られた時間の中での勝負です。ですから次のシーンにいく為の区切りの合図みたいに料理人が作り終わった皿に、「○○さんの××が完成しました!」と言って、試食に至る合図のように使っていました。>
 ならば、「出来上がりました」でいい。わざわざ「完成」を使う理由の説明になっていない。
 画面の区切りの合図だからといって、日本語が乱れていい訳がない。
 一般的に言って、テレビ関係者は視覚的効果を重視するあまり、日本語に対する吟味とセンスが欠けているような気がする。(12・8・21)


重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。