第28回 いのちのスープ、孫成順さんの山東風揚げ焼きそば、香箱ガ二、ニコラ・ジョリー、エゾシカのロティ

×月×日 朝日名人会。トリは柳家権太楼の「死神(しにがみ)」。落語では珍しく、西洋から伝えられたと言われる。グリム童話を劇にしたイタリアのコミックオペラ「クリスピーノと死神」の物語を洋学者から聞いた三遊亭圓朝が落語にしたというのが定説。西洋風怪談の趣がある。会場から、思わず「怖い」という声が漏れた。
 サゲはいろいろと有って、定まってはいない。権太楼は、圓生のスタイルを採った。

×月×日 映画「天のしずく—辰巳芳子“いのちのスープ”」。目黒の東京都写真美術館で。料理研究家の辰巳芳子さんのドキュメンタリー。天とは土(つち)と同義語だとわかる。また、「人間、80を超えると、見たり聞いたりすることが、それまでと違ってくる」というのも至言。80前までは見えずに、聞こえてこなかったものが、見えるようになり、聞こえてくるようになったということだろう。
 だけど、辰巳さんご推薦の食材は、身体によいのかもしれないが、高価だ。品質と価格をどこで、折り合いを付けるかだ。金持ちだけが、安心で美味しいものを食べられるというのは、どこかおかしい。
 
×月×日 WBC野球大会。「侍(さむらい)ジャパン」が、キューバ相手のテストマッチに2連勝。メジャーで活躍しているイチローや青木宣親選手の姿が、本番でも見られないのはいかにも残念なことだ。開催時期が悪いと言われても、それではいつが良いのか?

×月×日 旭川や札幌では、昨年より遅れること46日で初雪を観測した。それだけ、「温暖」という事で、海水の温度もなかなか下がらない。鰤(ブリ)も南下が遅れている。
 ようやく、僅かだが富山県の氷見の港に揚がったようだ。まだ佐渡辺りで、迷っているのだろう。

×月×日 新国立美術館で開催中の「リヒテンシュタイン展—華麗なる侯爵家の秘宝」展へ。ウイーンとスイスと国境近くにある小国。
 金に飽かして美術品を蒐集(しゆうしゆう)したと言うが、それなりに、目が利かなくてはいけない。いくら金が有るからと言って、蒐集家に審美眼が備わっていなければ、金をばらまくだけだ。
 久しぶりに美術館前の孫成順さんの店、「中國名菜 孫」で、山東風の「揚げ焼きそば」。美味。客と勝負する気迫が感じられる希少な価値ある店。

×月×日 同期だった高校時代には全く面識が無かったが、テニス仲間のY・Tさんが、テニスのプレー中に倒れ、帰らぬ人となった。透析を受けていたので、激しいプレーはもう無理だったが、自宅近くのNPO法人「スポルテ目黒」の地域スポーツクラブで活動していた。本人はリハビリのつもりで、われわれともう一度プレーするのが、念願だったようだ。
 午前中にプレーして、昼飯を食べに自宅に戻り、午後になって再び出かけていった。よほど、体調が良かったのだろう。バックハンドのストロークが得意で、そのフォームはわれわれの中でも、最も綺麗で優美だった。
 長い患いではなく、好きなテニスでラケットを握って、突然コートの上で亡くなったのだから、本望かもしれないが無念さが残る。合掌。

×月×日 立川談志が亡くなってから、早くも一周忌。テレビの追悼番組で、弟子の志らくが銀座のバー、「美弥(みや)」の店内から録画で中継していた。立川談志の隠れ家風バーで、立川流のたまり場だった。懐かしい。

×月×日 今年は、二の酉しかない。目黒の大鳥神社の夜店は、さびれたもの。昔は、植木屋が軒を並べていたものだが、数年前から一軒も姿を見なくなった。射的も無くなった。あるのは、お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、鮎の塩焼きなど。

×月×日 東中野のフランス料理「サルキッチン」。ジビエが売り物。
 銀座一丁目のやはりジビエを売り物にしていた「マルカッサン」が消えてしまったので、今やここが頼り。新潮社のSさんが「東京で今一番美味しいフランス料理の店」と絶賛していたので足を向け出した。
 走りのズワイガニの雌、コウバコガニと小松菜の冷製を前菜にする。白ワインは、フランスのロアール地方、サヴィニエールのニコラ・ジョリー。その昔に訪ねたことがある。自然派ワインの巨匠だ。ワインとサービスを担当するシェフ夫人は、ジョリーが来日したとき、講演を聞きにいったという。
 最近とみに人気が高まっている松本の清水牧場のチーズのリゾットを挟んで、トムラウシのエゾ鹿の炭火焼き。鹿の「食害駆除」にわずかながら、協力している気分。
 オーナーシェフの内藤泰治さんは、国立大学の理学部を出た人で、フランスで修業したことも無く、ほとんど独学で料理をマスターした。おいしければ、どこそこで修業したなど、問題ではない。(12・11・28)
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。