第32回 漁夫の利 芝浜 文七元結 鍋奉行 「とんかつ 燕楽」(池上) 「すし ひふみ」(三軒茶屋)

×月×日 衆議院選挙は自民党の圧倒的勝利に終わった。民主党の連続失策と三極乱立による「漁夫の利」が重なった。「負けに不思議な負けなし、勝ちに不思議な勝ちあり」(©野村克也)がぴったりする。
「漁夫の利」でもあるし、「骨肉相食(は)む」共倒れ、「蛸の共食い」ともいえる。ところで、「漁夫の利」の言葉の由来をおさらいしてみる。
 鴫(シギ)が蛤(ハマグリ)の身を食べようとしたところ、嘴(くちばし)を蛤に挟まれて身動きできなくなる。そこへ、やってきた漁夫が、鴫と蛤の双方を手に入れた。当事者同士が争っている間に、第三者がなんの苦労も無く利益を横取りすることをいう。
 中国の戦国時代に編まれた『戦国策』にある故事から生まれた。
 矢張り自民党の圧勝は、「漁夫の利」と表現するのが、最も適切なのかもしれない。 

×月×日 朝日名人会 五街道雲助(ごかいどう くもすけ)の「文七元結(ぶんしちもっとい)」。「芝浜」と並んで、歳末の定番人情噺だ。「芝浜」は金を拾う噺だが、「文七元結」は「金を呉れてやる」噺だから、こちらの方が好きだと言う人もいる。
 雲助は先代、金原亭馬生の弟子だった。派手なところはないが、楷書体の噺ぶりで、一時間たっぷり聞かせた。

×月×日 散髪後、昼食は一人で池上本門寺近くの「とんかつ 燕楽」。新橋にある「燕楽」ののれん分けで、肉は山形県酒田市の平田牧場の三元豚を使っている。
 カウンターに女性の一人客の姿が目についた。ロースかつ定食が2,200円。油の鍋に入れてから15分は掛かる。揚げている間を縫って、付け合わせのキャベツを手で切って一皿一皿に盛り付ける。あらかじめキャベツは機械で切っておく店が多いのに手間を掛けている。また、次の注文があったからといって、油の鍋に途中から入れない。揚がりきるのを待ってから入れる。料理人の念が伝わってくるではないか。

×月×日 朝日新聞の読書欄「売れてる本」にも紹介された坂木司氏の『和菓子のアン』(光文社文庫)を読む。著者は1969年生まれだが、誕生月日と性別は明かしてない。
 デパートの地下に出店している名門菓子屋のアルバイト店員の物語。ミステリーとは言っても、決して本格ミステリーではない。デパ地下の内情が、「情報」といえば「情報」か。
 グルメ情報が氾濫しているが、スイーツ人気は衰えを知らない。「スイーツ」なる言葉には、当初いささか抵抗もあったが、もはや反論する元気も無くなった。それだけ一般化したということか。女性に限らず男性にも「甘党」が多い。
 しかし、ミステリー小説に限らず、「菓子」をテーマにした文学作品は少ない。

×月×日 田中啓文氏の『鍋奉行犯科帳』(集英社文庫)を読む。書名はもちろん『鬼平犯科帳』のパロディ。大坂西町奉行に赴任してきた大邉久右衛門は、大食漢で美食家、付いたあだ名が、大鍋食う衛門。版元では、「食いだおれ時代小説」と銘打っている。
 時代考証的には問題があるかもしれないが、フグや鰻などをテーマにして、薀蓄が込められている。書物からの薀蓄が多いが、著者の食べ物への好奇心が伝わってくる。こちらも、ミステリー仕立てだ。
 本書にも、和菓子の話が出てくる。大坂菓子と京菓子の対立が筋だが、今まで誰も書かなかったテーマだ。
 著者には、上方落語をテーマにしたミステリーシリーズ「笑酔亭梅寿謎解噺(しょうすいていばいじゅなぞときばなし)」が4冊ほどある。著者の偏愛ともいうべき「大阪賛歌」も魅力の一つだ。

×月×日 「本邦初! 落語もできる小説家」と言われる立川談四楼の『談志が死んだ』(新潮社)を読む。談志の死後、多くの追悼本が出たが、その「真打」みたいなもの。
 親ともいうべき師匠への敬愛と、病に冒された錯乱から生まれる滅裂な叱責のはざまに揺れる弟子のアンビバレンツな心情が読ませる。
 単なる内幕の暴露に終わっていない。実名も明かされているから、まったくその要素が無いわけではないが、素直な「小説」になっている。
 それにしても多種多様、玉石混交だが、これだけ弟子たちから、その「実像」について描かれた師匠は、落語界に限らず少ないのではないか。
 談志ほどファンの好き嫌いが極端に別れる落語家はいない。好きな人は、本書を読めば、ますます好きになるだろうし、嫌いな人はさらに嫌いになるだろう。

×月×日 東横線都立大学駅近くにある「すし独楽(こま)」で二番手を務めていた小向祐貴さんが、師匠の柳原雅彦さんの許から独立して三軒茶屋にあたらしく「すし ひふみ」を出した。
 カウンターが9席とテーブルが一卓。柳原さんはもう2回ほど顔を出したというから、よほど心配なのだろう。青森県八戸市出身の小向さんは研究熱心な人だから、成功するに違いない。

◇それでは、勝手ですがお正月休みをいただいて、次回更新は新年1月8日(火)を予定しております。今年もお世話になりました。どうぞ、良いお年をお迎えください。(12・12・26)
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。