第48回 本番中のケータイ、小三治一門会、同期と年齢、初代渡邉淳一、新のトリガイ、「ジァンジァン」 |
×月×日 私が直接見聞したわけではない。家人の話しだ。テレビ東京の看板番組「和風総本家」で、かつての大時代劇俳優が出演した。本番中にこの俳優の、ケータイが鳴ったという。こういう場合、NGとして撮り直しはしないものらしいですね。勉強になりました。
この俳優は、健康食品(サプリメントというらしい)のCMでしか最近は、お目に掛かっていない。74歳。なにか高齢化社会の一断面を見たようだ。さすがの「名奉行」も裁きようが無かっただろう。 とはいえ、新聞の広告を見て知ったが、映画「舟を編む」にも出演していた。重要な国文学者の役だ。 ×月×日 JR大井町駅前の「きゅりあん大ホール」で、柳家小三治一門会。柳家ろべえ、柳家はん治、「大神楽」の柳貴家(やなぎや)小雪といった顔ぶれ。 ろべえは、柳家喜多八の弟子。本当は「やじろべえ」と名乗りたかったらしい。そうすれば、師匠と並んで「やじきた」になる。 ところが、「お前はまだ半人前だ」という師匠の一言で、上の二文字を取られたしまった。毎度、ろべえが枕に振る自己紹介だ。 演目は、追剥(おいはぎ)の新人が、「身ぐるみ置いていきますから、命だけはごかんべんを」というサゲの「鈴ヶ森」。 はん治は、長い交際の上で結婚したが、いつの間にか、「婿養子」になっていたと小三治がばらした。これも「一門会」の楽しみ。演目は、桂三枝改め、文枝の新作落語、「背なかで老いてる唐獅子牡丹」。高齢化社会で、動きが取れなくなったやくざの親分の物語。文枝の新作は、社会性をよく取り入れている。 大神楽(普通は「太神楽」だが、水戸に伝わる柳貴家は、「大神楽」)の小雪は、水戸大神楽の宗家、柳貴家正楽の娘。小さい頃から芸をたたき込まれた。豪快な皿回しや籠鞠(かごまり)を得意とする。 8歳で初舞台、文化庁芸術祭賞などを受賞し、アメリカの国立美術館、ポートランド美術館でも公演した。 小三治に言わせると、小さい頃は、「アラブの石油王と結婚する」と言っていたのが、落語協会の若手落語家と結婚して2歳の子供がいる。子供も、家では皿を回して遊んでいるらしい。 小三治は珍しく「お化け長屋」。長い話なので、前半のサゲで、お開き。 ×月×日 ターミナル駅には、一見して新入社員とわかる男女があふれている。フレッシュな若者を見ると、ついエールを贈りたくなる。この新鮮な「若鮎たち」も3か月くらいで、精気が無くなって行くのだけれども。いずれも苦労して、就職できた人たちだから、優秀な才能にも恵まれていたに違いない。 話しは、ちょっと古いが、WBCのTBS系烈のテレビ中継で、桑田真澄(元巨人)と、佐々木主浩(元横浜)が解説をしていた。 桑田が「佐々木クン、どうですか」としきりにクンづけで呼ぶし、プロの球歴を思い起こしても、桑田の方が、先輩だと思っていた。そうしたら「この場合、桑田クンなら何を投げる?」と佐々木が言い返したので、意外な感じがした。 気になって調べたら、同じ生年だった。ただ桑田はPL学園を卒業して、すぐにプロ入りしたのに対して、佐々木は東北福祉大学を経由して入団した。 高卒、大卒入り交じっているプロ野球の世界では、だいたい生年が優先するらしい。松阪世代という言葉もある。これも基準は生年だ。 楽天の田中将大と広島の前田健太、日ハムの斎藤佑樹、巨人の坂本勇人の場合は、お互いに何と呼んでいるのだろう。 会社でも難しい。同期入社でも年齢は違うこともあるし、学歴も違う。途中入社の場合もある。フレッシュな新入社員の姿を見て、50年も前の我が身のつまらないことを思い出してしまった。 ×月×日 祐天寺の鮨屋、「初代渡邉淳一」。緑ヶ丘から移転して、ようやく落ち着いた。名前の由来は、お嫁さんのお母さんが渡辺淳一さんのファンだからだとか。新のトリガイがあった。 ×月×日 もう40年も前になるが、渋谷宇田川町(当時は区役所通り、現在は公園通り)の山手教会の地下に「ジアンジアン」という、喫茶店とも小劇場ともつかない不思議な空間が有った。1969年7月に始まって、2000年4月に幕を閉じた。 そこに「出演」した人を挙げると、大変な顔ぶれなのに驚くだろう。三輪明宏、イッセー尾形、井上陽水、中島みゆき、寺山修司、荒井由実、高橋竹山……。アングラ文化(文字通り「地下」だった)の魁(さきがけ)となり、サブカルチャーの聖地とまで言われた。 なぜ、教会の地下なのか。首都圏不燃建築公社(本書では、「首都不燃公団」とあるが、誤りだろう)が住宅難の解消のため、繁華街の再開発を計ったのだ。教会とマンションを一つの建物にするわけで、当時は成功例として話題になった。要するに、官の色彩が強い「公社」が住宅資金の保証をするなどして、後の「地上げ」のデベロッパーと同じようなことを手掛けたというわけだ。しかし、住宅部分は民間会社が所有することになり、地主の山手教会やマンションの住民とトラブルになる。狭い空間に行列ができ、周辺に迷惑となるというのだ。 最近左右社から出版された『ジァンジァン狂宴』は、その創業以来の経営者で劇場主の、高嶋進氏が著した小説風「始末記」だ。昭和末期の貴重な記録であり、サブカルチャーの歴史でもある。渋谷の文化論であり、渋谷の人文地理学になっているところがユニークだ。 本書には名前が出てないので、詳らかにしないほうが良いのかもしれないが、山手教会の平山照次牧師夫妻は、平和運動に尽力した人で、「戦争と女性への暴力」など女性問題運動家として活躍した松井やよりさん(故人、元朝日新聞記者)の両親だ。(13・4・24) |