第52回 白アスパラガス、常盤新平さん、ヘットとラード、野田宏子さん、似顔絵、 桂歌丸、陸あげ

×月×日 かつての勤務先の後輩M子さんの昇進祝いを、三得利の酒呑美女K子さんと一緒に白金高輪の「魚籃」で。
 フォワグラとフランス産白アスパラガス、鯛の白子がたっぷり入った魚のスープを少量。ロブスターの塩焼きと茨城産のカルガモのロティ。
 シャンパーニュ、シャブリ、ニュイサンジョルジュの04と定量。

×月×日 「常盤新平さんを偲ぶ会」が、山の上ホテルで。故人には『山の上ホテル物語』(白水社)という著作もあり、もっともふさわしい場所だ。発起人の川本三郎氏、フリー編集者の澤島優子さんらと久しぶり。
 季刊誌「四季の味」に、大村彦次郎氏らが追悼文を寄せている。故人らと鎌倉へ行って雪の下の永井龍男邸の門前から家屋や庭の様子を望見する件(くだり)がよかった。永井ファンだった常盤さんは、晩年の傑作『たまかな暮し』(白水社)の「たまか」という言葉を永井龍男の随筆から知ったという。
 パーティーでは、何も食べずに学芸大学の越前そばや「みぞれ」へ直行。

×月×日 ちょっと調べることが有ったので、本棚から、『漱石のレシピ 「三四郎」の駅弁』(講談社α文庫)を引っ張り出して、ページをめくっていたら、<「ヘット」とは豚の脂のこと。>とあったのには、愕然。
 豚の脂は「ラード」。「ヘット」は牛の脂でしょうが。大出版社の刊行物なのに、編集者も校閲者も気が付かなかったのだろうか。
「ヘット」を「ヘッド」と誤用する料理人や料理記者にはお目に掛かったことがあるが、ここまではっきりと間違えられると、呆れるだけ。
 著者は国文学を専門とする大学教授だそうだが、食べ物についての学識は乏しいと言わざるをえない。自戒しなくては。

×月×日 女性ソムリエの草分けともいうべき野田宏子さんが急死した。享年55。ホテル西洋銀座のソムリエ時代の90年に渡辺淳一さんと『いま、ワーキングウーマンは…』(朝日新聞社)という座談会に出てもらったことがある。
 各分野の第一線で働く女性たちの仕事ぶりを通して、悩みや生きがいを語ってもらう企画だった。野田さんの発言を少し紹介してみよう。
<女性のソムリエのよさは、明るく勧められることと、気軽に聞いていただけることだと思うんです。男性から重い声で「いかがいたしますか、ワインリストです」と出されると、気張らなきゃとなってしまう。私は、安物売りといわれるんですよ、自慢して売ってるつもりなのに。
 生理のときは、ワインの中の酸味を強く感じます。経験から味がどのくらい違っているのか分かりますので、その日だけは酸味を引いて考えるようにしています。こればかりはどうしようもないので、経験とプロ意識でカバーするようにしています。>

 ソムリエからワインの輸入販売業に転身した数少ない成功者と言われていただけに、惜しい人を亡くした。合掌。

×月×日 丸谷才一が亡くなって、半年。ようやく毎日新聞の書評ページ「今週の本棚」から「好きなもの」というわけのわからない企画が消えた。慶賀に堪えない。
 しかし、最初のページの「この3冊」の筆者は、相変わらず和田誠の似顔絵なのは、何とかならないものか。似顔絵というのは、読者が知っている顔だから、似顔絵になるのであって、著名人であっても顔のイメージが浮かんでこなければ、似顔絵は存在しない。「週刊朝日」の「山藤章二の似顔絵塾」を見れば、分かる。
 丸谷才一が毎日新聞の読書欄に参画したのは1992年の4月のことで、「私が選んだ文庫ベスト3」という企画が始まった。
 第1回は、「シェイクスピアを井上ひさし」が選ぶという趣向で、二人の似顔を和田誠が描いた。第2回は、「藤沢周平を常盤新平」、第3回は、「松尾芭蕉を大岡信」と続いた。
 これは好企画で、さすがは丸谷才一と膝をたたいた記憶があるが、そうは長く続かないなと危惧した記憶もある。
 案の定、丸谷の知己と思われる無名の選者が多くなり、選ばれた文庫が3冊とも「絶版」とか「品切れ」という回もあった。著者と選者がともに「似顔絵」に値する「顔の知られた人」という「しばり」は、なかなか難しい。
 その流れが、今も尾を引いて、まったく無名の選者の似顔絵が掲載されている。どこぞの大学の気鋭の准教授だとか、文芸誌に二作目を発表した作家などの顔なんか、誰も知らない。
 このままでは、和田誠の業績に傷がつきかねない。こんな似顔絵を描かされる和田誠がかわいそうだ。

×月×日 有楽町朝日ホールでの朝日名人会。三升家う勝の「短命」、立川生志の「金明竹」、入船亭扇遊の「試し酒」、柳家喜多八の「鋳掛屋」、桂歌丸の「紺屋高尾」。
「金明竹」は前座でもやる噺だが、さすがに真打が演じると違う。「やる気の無さ」を看板にしている喜多八だが、近頃は、「やる気の無さ」を封印した、とのこと。しかし、「やる気が横溢してきた」わけではない。「やる気の無さ」もここまでくれば、立派な「芸の内」なのだ。
 歌丸は、めずらしくトチリがなかった。ただ、「笑点」がらみのクスグリを入れるのは、興ざめ。もっとも、お客のほうも、笑うのだから致し方ないか。

×月×日 茹でたり、煮た野菜や魚などを水に浸けずに、常温で冷ますのを「おかあげ」という。水っぽくなるのを防ぐためだったり、余熱で芯まで熱を通すためとか、理由はそれぞれ違う。
 一例を挙げれば、ポテトサラダを作るのにジャガイモを茹でたら水には取らない。
 漢字で書けば、普通は、「陸(おか)あげ」だ。ある民放テレビの長寿料理番組で、テロップに「丘あげ」と出ていた。間違いではないが、どこかおかしい。別に丘の上まであげるわけではない。「水」に対しての「陸地」なのだ。ひらがなで、「おかあげ」としておけば、良いものを。
 自分に合った環境から外れると、実力が発揮できなかったり、意気地がなくなることを「陸(おか)にあがった河童(かっぱ)」という。河童や船頭が、「丘」にまであがって行くのは、大変だ。
 丘が似合うのは、せいぜいミカンの花くらいのものだ。(13・5・22)
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。