第57回 荻窪の「有いち」、「真逆」ってなんだ、レストランの水のお値段、「ローマでアモーレ」、「たるたる」、「分とく山」、カワニナ汁

×月×日 久しぶりに、荻窪駅前の「有いち」へ。築地「銀鱗会」の福地享子さんと。
 ジュンサイの小椀、鱧(はも)の落としを鱧の骨から取った出汁(だし)で温めた「温かい落とし」。刺身は、鯒(こち)、シロ烏賊(いか)、カツオ。那珂川の鮎(あゆ)。鱧のお椀は、すでにジュンサイを使っているので、夏野菜を沢煮椀(さわにわん)風に。夏の千種(ちぐさ)だ。ニラと新生姜の煮浸し。水無月(みなづき)豆腐、蛸(たこ)の柔らか煮などの八寸。
 相変わらず研究熱心だ。季節の魚介をよく分析、工夫して、他の店にはない料理を出そうとしているところが良い。
 福地さんは、築地の豊洲移転まで見届け、出来るだけ築地市場の歴史を資料にして残そうとしている。 

×月×日 近ごろ気になるのが、「真逆(まぎゃく)」なる言葉。「真っ逆さま」とか「真反対」という言葉はあるけれども。「真(ま)」は意味を強める接頭語なのは分かる。では、なぜ違和感があるのか。
 逆さまとか反対とかは、それだけでも、充分に強い意味がある。強い言葉の程度、段階をさらに強めるのは構わないが、あまり強くない「逆」には程度を表す意味がないのかもしれない。
「今のボールはキャッチャーの構えたミットとは真逆になりましたね」
 ただ構えたミットとは違ったところに投げた(ボールが行ってしまった)だけだ。意図して企んだわけではない。要するに、大げさ過ぎるのだ。
 そのうち消えていくだろう。

×月×日 テレビタレントか料理人か分からないイケメンシェフといわれる川越達也氏が経営する店での「お水の値段」が問題になっている。
 論点は二つある。
①店で出す水が有料なのをどう考えるか。
②川越氏が自身のブログで説明したと言われる「年収300~400万円のお客には、レストラン経営の苦労も、水の値段もわからない」という釈明の内容について。
 ①日本には、イザヤ・ベンダサン(山本七平)の指摘を受けてから、常識となったが、「水と安全は無料(タダ)」と思い込んでいる、世界でも珍しい国民性がある。一本800円で、なんの断わりも説明も無かったというが、メニューには明示されていなかったのか。
 普通ビールを頼んでも、店はわざわざ「小瓶で一本x00円です」とは断らない。雰囲気もよくない。しかし、日本では「飲食店の水は無料」というのも、また常識なのだ。もちろん、有料でも構わないのだが、説明はすべきだろう。800円が高いか、安いかは、この際問題ではない。

 ②は、言語道断。客の年収を勝手に推定して、その思考や感性を断定してはいけない。ごくごく当たり前の常識だ。川越達也シェフの人間的修業が足りないだけ。

×月×日 ウディ・アレン監督の新作映画「ローマでアモーレ」を渋谷の「ル・シネマ」で。前作の「ミッドナイト・イン・パリ」よりは、格段に面白い。4組の男女の物語がローマを舞台にして、軽快に語られる。
 ローマの観光案内の要素も散りばめられている。

×月×日 銀座7丁目のワインバー「たるたる」を開店前にのぞく。店主の伊藤博之さん愛用の自転車が店頭に有ったので、元気なことがわかる。相変わらず、草加の自宅から自転車で通っている。ゆっくり再訪することを約して、ビールだけで引き揚げる。

×月×日 広尾の「分とく山」、野﨑洋光さんの店へ。野﨑さんとの共著『池波正太郎の江戸料理を食べる』(朝日新聞出版)が、1年4か月ぶりに重版が掛かった。部数は少ないが、重版の喜びは、部数ではない。
 この本の内容にもとづいたと思われる「時代劇チャンネル」(ケーブルテレビ)の番組「池波正太郎の料理帳」で料理の実作を野﨑さんが担当している影響なのか。
 お椀は焼きイサキの真薯(しんじょ)。本の中に出てくる穴子の煮こごりもあった。鱧(はも)とジュンサイ、カマスの押しずし、定番の鮑の磯焼きなど、いずれも丁寧な仕事が施されている。
 締めは、じゃこと鮭の炊き込みご飯。お客はほぼ満席。余裕のある人たちの、上品な夜の会食の場となっている。高級な大人の「ファミリーレストラン」だ。一見(いちげん)のお客だからといって、差別するようなことは、さらさら無い。川越シェフもこういう店で、食事をすると、サービスの本質が理解できるだろう。

×月×日 東京新聞に、韓国の特派員が中部の茂朱(ムジュ)郡のホタル祭りを取材した記事が載っていた。ホタルで村おこしを企画しているらしい。実態は、屋外のカラオケ大会で、幽微(ゆうび)なホタルとはあまりしっくりとは来ない、とあった。
 屋台では、ホタルの幼虫の餌となるカワニナの貝汁が食べられる。小さな巻き貝の実を舌で吸うらしい。日本でも一部の地域では食用にするらしいが、有害という説もある。別に食べてみたいとは思わないが、カワニナの汁が飲めるだけの自然環境が残っていることには讃嘆するばかりだ。(13・6・26)
重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。