第65回 切手を貼る技術、「ドンチッチョ」のシチリア料理、「昭和ことば辞典」、近藤誠医師と東海林さだお、「激レア」

×月×日 若い頃は、送られてきた封書や私製はがきの切手が曲がっていると、なぜか苛立(いらだ)つ気になったものだ。「送った人に失礼だ」という意識があった。
 ところが、最近はあろうことか、切手をまっすぐ貼れなくなってしまった。自分では真っすぐのつもりで貼っているのだが、貼ってから見ると曲がっている。
 手先の動きが、思うように利かないのだ。こんな些細な日常の動きから「年をとる」ことを、実感するようになるとは、いままで考えもしなかった。

×月×日 『10皿でわかるイタリア料理』の著者、宮嶋勲氏と日経新聞出版のH嬢、フリーの編集プロデューサーS嬢の4人で、青山の「ドンチッチョ」。シチリア料理の店。
 行ったことはないが、シチリアのトラットリアもこんな雰囲気だろうと想像する。クロソイとカジキマグロが美味しかった。
 今年の夏ナポリを訪ねた友人の女性は、お目当てのピザ屋が休みだったので、「どこかほかには?」と通りがかったポリスに尋ねたら、パトカーに乗せて、ポリスお勧めの店まで連れていってくれたという。
 日本では考えられない、と友人は感激していた。まあ、女性だからで、男性だったら、そこまで親切にしてくれたかは、わからない。

×月×日 大平一枝さんの『昭和ことば辞典』(ポプラ社)を読む。昭和10年から40年くらいまでの映画の中から、今使うと新鮮に聞こえて役に立つ言葉を集めた。
 映画のせりふだから、当然会話の文章で、話し言葉だ。
 例えば、子供と一緒にいる知り合いに出会ったら、立派でなくても、「ご立派にお成りになって」と言っておく。
 要は、あからさまでなく、婉曲、遠慮、相手の体面や体裁に気配りして、相手の意を忖度(そんたく)する。
 すべてがメールで、意思の疎通を図る時代には、大げさでまどろっこしいと思う人も多いはずだ。取り立てて実用性があるとは思えないが、「一度使ってみようか?」と考えるだけで充分だろう。言葉を意識するのは、きわめて重要なことだからだ。

×月×日 銀座の松屋で開かれている「生誕90年 池波正太郎展」のレセプション。乾杯の音頭は中村吉右衛門。文藝春秋の安藤満さん、講談社の大村彦治郎さん、元新潮社の川野黎子さんら先輩諸氏と懇談。
 池波正太郎の自筆原稿を、若い編集者は珍しそうに見ていた。万年筆の字に青鉛筆や赤鉛筆で、改行や削除などの加筆がある。今や原稿は、「メール」で送信する時代になった。
 全著作を一堂に会してみると壮観だ。それにしても、67歳での夭折(と言っても差支えないだろう)は、惜しんでも計り知れない。

×月×日 朝日新聞の芥川。直木賞受賞式の記事。直木賞の桜木紫乃さんの言葉「自分はただ走るしかない輓馬(ばんば)競争の馬……」とあるのは、「輓馬競走」だ。コンクリートの重石を乗せた鉄製のそりを引いて走るから、意味のある言葉なのに、まったく分かっていない。
「ばんえい競馬」も、少なくなり、世界で唯一帯広だけになってしまったから、やむを得ないのか。「輓曳(ばんえい)」の「えい」の字は、「曳航(えいこう)」の「曳」だが、小さな辞書には載っていない。

×月×日 「オール讀物」(文藝春秋)9月号の「近藤誠医師(慶應義塾大学医学部放射線科講師)と東海林さだおさんの対談、「もし僕が、がんになったら」が面白い。近藤医師の発言から。
「自信を持って言えることは、健康診断によく行く人ほど寿命を縮めてる」
「血糖値が高いからと言って、一生懸命治療した結果、寿命が延びたという報告はない」
「血圧とか血糖値、コレステロールの数値が多少高めの人たちのほうが長生きする」
「日本で百歳以上になった人を調査すると、みんな魚とか肉(良質たんぱく質)を食べている。菜食主義で長生きしたという人はいません」
「薬を三種類以上出す医者は信用しないほうがいい」

×月×日 神奈川県民ホールギャラリーへ「第12回かながわシニア美術展」を観に行く。中学のクラスメート、角町洋さんが、洋画部門に入選を果たした。幻想的な画風から、どこか中学時代の面影が感じられるから、不思議だ。「絵は人なり」と実感する。

×月×日 土曜朝のNHKのニュース。7時40分過ぎに、「土曜すてき旅」の後、中年のリポーターが各地から、「話題」を中継する番組がある。この入田(いりた)とかいう人の声の調子の高さが気になってしょうがない。もう少し、ゆっくり落ち着いてしゃべれないものか。
 秩父の新種のなんたらブドウを紹介していた。画面右上のテロップというのか、「紹介」の場所に「激レア……」とあった。
「激レア」ねえ。「はなはだ珍しい」という意味だろうが、珍品かどうかは、視聴者が判断すればいいことだ。こういうのを、あまり使いたくない言葉だが、「上から目線」というのだろう。
 もう一つ、NHKのニュースで恐縮だが、日曜日の朝の「お別れの言葉」で、「それでは、週末を楽しくお過ごしください」と言っていた。日曜日は、週の始まりだ。「楽しい週末を……」というのは、金曜日の夜か、せめて土曜日の朝までだ。
 カレンダーがなぜ日曜日から始まっているのか、考えたことがないのだろう。(13・9・4)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。