第66回 東京オリンピック、柳の家の会、ビタミン小説、ガンマーGTP、バカッター

×月×日 2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。前回の東京オリンピックを知る人たちも高齢化しているので、この辺りで開催されるのは、悪いことではない。50年という間隔は、ほど良いところだ。
 ロサンゼルスとアトランタなど同一国内で立て続けに開かれるのは、好ましくない。その意味では、バルセロナとマドリードは開催時期が近すぎた。
 トルコのイスタンブールは政治事情に振り回された、というべきだろう。文明の「東西の十字路」で、初のイスラム国家という「セールスポイント」が、逆に作用した。7年後には、どうなっているか分からないが、シリアの隣国というのが不幸だった。
 欧米の貴族社会が牛耳っているIOCを改革しない限り、後発国はなかなか浮かび上がってこないだろう。石原慎太郎氏も指摘していたが、IOCの透明性をぜひ明確にしてもらいたい。現状では、博徒(ばくと)の親分やテキ屋の「元締め」が、公家集団と談合しているかのように見える。
 東京に決まったことで、政府は「汚染水」対策に本腰を入れて取り組まなくてはならなくなる。なにしろ首相が世界に向けて、「問題は何もない」と公言したのだから。
 それにしても、安倍首相の「ほんとにどきどきしました。ほんとに良かった」を初めとして、「ほんとに」を連発する人が多いのにはげんなりする。
「本当でない」から、口に出すのではないかと、疑いたくなる。

×月×日 さかんに「売れている」という評判を聞くので、油木麻子さんの『ランチのアッコちゃん』(双葉社)を読んでみる。
 軽い。マンガのシナリオ・コンテにささやかな彩色を施したようなもの。帯の惹句(じゃっく)に「読むほどに不思議と元気が湧く、新感覚ビタミン小説誕生!!」とあった。
 ビタミン小説とは、言い得て妙。そのうち「サプリメント小説」も登場するだろう。

×月×日 自宅近くの「めぐろパーシモンホール」で、「柳の家の三人会」。柳家三三(さんざ)の「お化け長屋」、柳家喬太郎の「夜の慣用句」、柳家市馬(いちば)の「妾馬(めかうま)」。
 柳家一門は、落語界で最も噺家の数が多い。柳家小さんの孫弟子から、「ひ孫弟子」までいる。三三、喬太郎も孫弟子だ。
「パーシモンホール」は、東急東横線の都立大学駅から徒歩8分のところにある。
同じ東横線で菊名出身の喬太郎は、「私鉄電車駅オタク」の性向があり、代官山、高島町の鋭い観察が、「地元」の客席に受けた。渋谷駅の「ていたらくぶり」には、ひときわ拍手が多かった。
 市馬には、大家(たいか)の風格が出て来た。「歌手」としてNHKの「紅白」出場の夢を、まだ持ち続けているのだろうか。

×月×日 落語と言えば、BSフジの「落語小僧」(火曜午後11時)が面白い。先日は春風亭小朝がゲストの特別番組だった。「天才」というのは、こういう人のことを言うのだろう。

×月×日 約ひと月ぶりに中野の「ふく田」へ。出久根達郎さんに挨拶する。松茸の土瓶蒸しと秋刀魚の塩焼き。
 ご無沙汰したのは、8月の猛暑のせいもあったが、ガンマーGTPの値が異常に高くなったので、少し節酒したからだ。
 3か月で2割がた下がったが、それでもまだ許容範囲をはるかに超えている。50年以上も、ほとんど休みなしに飲み続けてきたのだから致し方ない。
 このままアルコールを飲み続けて、肝硬変から肝臓がんの道をたどって死に至る時間と、アルコールを断って長生きする時間とは、どれほど差があるものなのか。その間に、もちろん「節酒」という選択肢があるけれども。
 これは、本人の死生観の問題だ。いや、「酒生観」というべきか。

×月×日 最近ネット上で、「悪ふざけ」した写真を投稿するのが話題になっている。京都の大学生たちがテーマパークの大阪USJで、裸になって遊具に乗るなど、業務を妨害したのが走りで、猛暑のせいもあるが、コンビニやチェーンのレストランで冷凍ケースの中に入った例も報道された。
 その始まりは、私が、2012年の3月に、このネッセイの前身『愚者の説法 賢者のぼやき』(左右社刊)に記した、<「絶望」の果ての「ユーモア」と「笑い」の相克>の中の「セシウムさん事件」(2011年8月・東海テレビ)にあるのではないか。
 世に出るとは考えてもいなかった「悪ふざけ」がメディアに載ってしまったので大騒ぎになった。
 今までは、限られた(国から免許を得なければならないものもある)メディアだけが「発信」できたのに、個人でも、「魔法の杖」を使って、FBやツイッターで自由に手軽に自己を表現できる。しかも、「無署名」で、発信者は仮面を被ったままだ。
 そこで「自己顕示欲」がちょっとゆがんだりすると、公序良俗(社会規範)の埒(らち=垣根)から逸脱することがある。仮面を隠れ蓑にすることもあるだろうし、また、埒の高さや範囲は厳密に定めることはできないから厄介だ。
 埒の許容範囲は、時代によっても違ってくるし、お互いの「阿吽(あうん)の呼吸」で決まる、きわめて曖昧な要素もある。 
 本人は、「何故悪いか」分からない場合もあるし、「確信犯」の容疑者もいるだろう。
 今や「一億総お笑い芸人」の時代だ。「おふざけ」とも「ギャグ」ともつかない「一発芸」で、いつまで続くかは別として、日本中に名前を知られることも可能だ。
 今回の「バカッター」(「ツイッター」の蔑称としても使われる)達の行動は、「一発芸」のつもりだったかもしれない。既成の「お笑い芸人」たちへの「すり寄り(憧憬)」と「カウンターカルチャー(批判)」が複雑にからみ合っている、と言ったら持ち上げすぎか。
 もう一つ。日本人すべての心のどこかで福島の「汚染水漏れ」が重くもたれているような気もする。日本人全員が、絶対に晴れることのない、靉靆(あいたい)とした低く、重い雲の下に居るような気がしてならない。
 東京オリンピック開催で、浮かれている場合ではない。

×月×日 朝日新聞の読書欄に「今でこそリア充が集う場となっている海水浴場だが、……」という『海辺の恋と日本人』(青弓社)の紹介が掲載されていた。無署名だから、文化部の記者が書いたのだろう。
「リア充」がわからない。読み方もわからない。ネットで調べたら、ブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)以外の「現実(リアル)の生活で、人間関係や趣味、交友関係が充実している人」を指すとあった。
「2ちゃんねる」発祥のインターネット・スラングだ。しかも、かなり若い世代で使われているらしい。
 こんな言葉を、カギ括弧(「 」)にも入れず、平気で文中に使う神経がおかしい。
 書いた記者は、いったい新聞の読者層をどの程度に設定して、書いたのだろう。またそれを通したデスクや校閲記者は、意味を本当に知っていたのだろうか。
 なにが新聞記者による「文章指導」だ。
 こんな文章がまかり通るとなると、新聞の未来はない。自分で自分の首を絞めているようなものだ。日曜日の朝から、不愉快な原稿を読んでしまった。(13・9・11)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。