第81回 猪瀬直樹前都知事の出処進退、6代目小さん、消える町の豆腐屋、名取洋之助展、オルフェーブル引退

×月×日 猪瀬直樹東京都知事の醜態は、見るに堪えない。ようやく「辞職」の途を選んだ。出処進退に潔さがなかった。「文は人なり」という格言が、いかに間違っているかが判る。
 会見の中で、「政治家としては、アマチュアだった」と語っていたが、これはいただけない。
 今やアマチュアは死語に近い。いったん知事という職に就いたのなら、その時点でプロでなければならない。市民ランナーの川内優輝選手を、「彼こそプロ。実業団の選手はアマチュアだ」と陸上競技連盟の宗猛競技部長が論評した。サッカーやテニスの世界では、中学生からプロ選手になる時代だ。
 石原慎太郎前知事が引導を渡した、というのも変な話だ。自分の後継者として、あれだけ、「優秀、適任」と称揚したのは、何だったのか。だからこそ、自分の「縁故(コネクション)」を引き継がせたのだろうに。石原は「自分の見る目がなかった」ことの責任を取るべきだろう。
 それにしても、今から40年も前のことになるが、「週刊朝日」で、大熊一夫記者が、「徳洲会病院」の悪行ぶりを追及したことがあった。まだ奄美大島一帯で医療活動を行っていたころだ。
 その後の「躍進ぶり」は、目を見張るばかりだった。「徳洲会病院」の「医は算術なり」に、いち早く目を付けていた大熊記者の慧眼には感服する。

×月×日 朝日名人会。古今亭志ん公の「権助魚」、古今亭志ん橋の「熊の皮」、柳家小さんの「宿屋の富」、柳家花緑の「二階ぞめき」、柳家権太楼の「うどん屋」。
 志ん公は3月から真打に昇進して、5代目古今亭志ん好を名乗る。ひと言、自分から言えばいいのに控え目な人だ。もう少し図々しくならないと、この世界では大成しないだろう。
 小さん(6代目)は花緑の実の叔父に当たる。何を演じても無難だが、面白くない。地味な人柄なのかもしれない。恐らくこの人から、「得意な噺」はいつまで待っても生まれないだろう。

×月×日 街の豆腐屋が、次から次へと、姿を消していく。街の書店や電気店がアマゾンなどネットショップの影響を受け、消えていくのはわかるが、豆腐屋がアマゾンの影響を受けるとは考えられない。

×月×日 久しぶりに中野の「ふく田」。ズワイガニが高いとのこと。それでも、一日2ハイは仕入れているとのこと。
 フグの値段は、変わっていない。養殖フグの隆盛で、贅沢品の印象が無くなったのかもしれない。

×月×日 日本橋の「たいめいけん」で大学時代の仲間と忘年会。やはり大学時代の友は、ざっくばらんな物言いが出来るので、楽しい。
 三代目の茂出木浩司シェフが料理に力を込めてくれた。

×月×日 日本橋高島屋で、「名取洋之助展」を観る。「報道写真とデザインの父」と言われるだけのことはある。
 高校時代、いっぱしのカメラ小僧を気取っていたころ、名取洋之助や長野重一の名前を知った。岩波の写真文庫が、教科書だった。
 名取洋之助は、土門拳、三木淳、木村伊兵衛などの写真家だけでなく、亀倉雄策、河野鷹思などのデザイナーを育てた。デザイナーだった岡部冬彦や根本進にマンガを描かせたというのも、ジャーナリズムとしてのマンガの威力を理解していたのだろう。そういう意味では、日本のマンガ界の父でもある。
 戦後間もなくのころ撮った記念写真に、木村伊兵衛、船山克、佐伯義勝、樋口進、田沼武能など身近に接した人が映っていた。まさに往時茫茫の感。

×月×日 有馬記念はオルフェーブルの圧勝。
「世界一強い馬」と池添謙一騎手は自賛していたが、8馬身差では、「おっしゃる通り」とうなずくのみ。
 それにしても、池添騎手は2年連続で2着に敗れたフランスの「凱旋門賞」で騎乗したかったろう。めぐり合わせが悪かった、としか言いようがない。

×月×日 あっという間に、2013年も除夜の鐘を聞くことになった。1年間、ご愛読いただき、有難うございました。来年もよろしくお引き立てを願います。どちら様も、どうぞ良いお年をお迎えください。
 正月のお休みをいただいて、新年は1月8日に更新を予定しております。(13・12・25)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。