第84回 「デジル」とは? 、柳の家に春風が……、落語「けんげしゃ茶屋」、散歩中の挨拶、寿司の食べ方は学ぶものか、青山のそば屋「増田」とベルコモンズ

食彩の文学事典書影×月×日 1月28日に講談社から発売される拙著『食彩の文学事典』の表紙がようやく出来上がった。イラストレーションは長崎訓子さん、装丁は旧知の三村淳さんにお願いした。336ページ、1700円(税別)。ぜひ、お引き立てください。

×月×日 テレビで若い女性タレントが「デジル」と言っているので、何かと思ったら、「出汁(だし)」のことだった。一緒に出演していた千原ジュニアとかいうお笑いタレントのが、「出汁と書いて、〝だし〟と読むねん」と教えていた。
 こういう「国語力」は学歴とは関係ない、常識であり、一種の教養ともいうべきで、学校で学ぶよりも、家庭で身に付く類(たぐい)の「知恵」のような気がする。
 辞書には「出し」と「出汁」の二通りが載っているはずだ。最近、料理の先生やアナウンサーが「だしじる」と言うのは耳障りだ。プロの料理人は、たいがい「だし」と言っているように思う。「だしじる」で、間違いではないが、音の響きが綺麗ではない。
 もう一つ、「だし」と言うと、粉末や顆粒(かりゅう)状の「出汁のもと」だと思っている人が多いらしい。自分でカツオブシやコンブからだしを引かずに、粉末か稀釈(きしゃく)して使うインスタントの「もと」を用いているからだろう。
新聞記事で、「だしカップ2」と書いたら、粉末のだしのもとを2カップ入れた読者がいたという。Y新聞の家庭部デスクから聞いた話だ。
 わざわざ「だしじる」と言えば、間違える人はいない。丁寧は丁寧だが、私は、「だしじる」とは言わないし、書いたこともない。

×月×日 蒲田駅近くの大田区民ホール「アプリコ」で「新春昼落語 柳の家に春風が・・・」。「柳の家」というのは、言うまでもなく柳家一門で、5代目の小さんの流れを汲む。小さんは落語界で初めての「人間国宝」だった。
 柳亭市馬の「厩(うまや)火事」、春風亭一之輔の「お見立て」、柳家喬太郎の「抜け雀」。
 蒲田は「羽根つき餃子」発祥の地と言われる。落語がハネたのは、3時過ぎだったから、24時間営業の大衆中華料理の店。ピザや和食もある。
 お客はほかに二組。いずれも女子会の風情。酒を飲んで大声で話をしていた二人連れは、話の内容から推察するに、「夜勤明け」の看護師だった。

×月×日 昨日に続いて、落語の「朝日名人会」。桂才紫(さいし)の「黄金(きん)の大黒(だいこく)」、柳家喬太郎の「小言幸兵衛(こごとこうべい)」、古今亭志ん輔の「柳田格之進」、中入り後は柳亭市馬の「馬の田楽」、桂文珍の「けんげしゃ茶屋」。喬太郎、市馬は前日に蒲田で聴いたばかり。何だか、「追っかけ」になった気分。
 才紫は3月から真打に昇進し、3代目桂やまとを襲名する。
「けんげしゃ茶屋」は大阪の色町の話。やたらと「験(げん)」を担ぐ女将と芸妓の前で、わざと不吉なことを言って、嫌がる様子を見ながら酒を飲むのが楽しみという天邪鬼(あまのじゃく)な旦那の話。
 元日に葬礼の格好をした友人とともに座敷に上がるのだから、念が入っているというか、風変わりを越えて、奇人の類だ。
 かなり前の桂米朝の噺を聴いて見ると、「けんげしゃ」は、40年も前に消えた言葉、と説明している。
 1898(明治31)年に大阪船場の木綿問屋の長男として生まれた牧村史陽が著した『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)によると、「けんげしゃ」は、「げんげしや」だと、自説を展開している。縁起の悪いことばかり言いふらし、人を困らせて喜ぶ、けったいな人物だから、「験(げん)」を消す意味で「験消し屋」だという。
 牧村は、自説に反論は無かったと記している。

×月×日 1955(昭和30)年に卒業した中学校のクラス会。自由が丘の「梅華菜館」で。10人ほどが集まる。話題は、どうしても、「貧乏自慢」ならぬ「病気自慢」になる。
 皆、年金生活者だから、近所を散歩する人が多い。毎日のように顔を合わせても、なかなか挨拶を交わす仲にはならない、と話題になる。アメリカなどでは、散歩中にすれ違っただけで、「グッドモーニング!」という言葉が、どちらからともなく、口に出るそうだ。
 日本では同じマンションに住んでいても、階が違うとエレベーターに乗り合わせても、なかなか挨拶をしないらしい。特に日本人の男性は「人見知り」をする傾向がある。「含羞(がんしゅう)の民族」と言えるかもしれない。
 こちらから声を掛けて、無視されると、怒りと後悔の念が交錯するものだから、つい黙ったまま、すれ違うことになる。
 担任だった数学のK元学芸大学教授が米寿とのこと、お祝いをしなくては。かくいう私たちも、来年は喜寿ということになる。

×月×日 週刊プレイボーイ特別編集ムック『吉木りさと学ぶ大人の作法』(集英社)が出た。「初めてのカウンター寿司」に協力している。まあ、寿司の食べ方なんて、あまり「学ぶ」ものでもないと思うけれども。
 昔は如何(どう)だったのだろう、と考える。やはり「出汁」ではないが、家庭と周囲の大人たちが教えたのだ。核家族化と隣近所の付き合いが無くなってきたことで、しきたりや行儀作法が伝わらなくなった。寿司を食べるのに、「トリセツ(取扱説明書)」は要らないはずなのだが。
 しかし「学ぶ」意識は言い換えると、「マニュアル願望」でもある。「マニュアル」がないと、不安になる。すべて横並びで突出しないように振る舞うのが、現代の日本人の特性だ。不祥事を起こすと、並んで頭を下げてお詫びする光景も、一種の「マニュアル化」だ。ヤクルト・スワローズのバレンタイン選手まで、突然に異国の作法と慣習を押し付けられ、フロリダでオロオロ、モジモジ、イヤイヤながらお隣の日本人上司の姿を真似して、懸命に頭を下げていたのは、珍にして奇なる姿だった。

×月×日 学生時代から神宮球場へ行くと、よく立ち寄った青山通りのそば屋「増田」が改築中で、ベルコモンズの裏の仮店舗で営業していた。
 キツネそばはやっていない、という。昔は有ったはずだが。もう50年も昔のことだから、記憶も定かではない。だけど、キツネそばが無いという店は珍しい。
 かつては青山から流行を生み出したベルコモンズも3月で38年の歴史を閉じることになった。また、戦後の昭和を象徴するファッション発信基地の一つが消える。(14・1・22)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。