第86回 通夜料理試食会、『がんで往くのも、まあいいか』、「すごい」と「ほんと」の氾濫

×月×日 自宅の郵便受けに「通夜料理試食会」というチラシが投げこまれていた。関東一円で葬祭業を展開しているK社の「終活フェア」だとか。 
 結婚披露パーティーの、「食事試食会」というのは、聞いたことがあるが、「通夜」というのは初めてだ。試食した本人が食べられないのだから、無駄なような気がしないでもない。
 これで思い出したのが、北杜夫氏の娘、斎藤由香さんが書いた、父親と隣家の宮脇俊三氏(旅行好きの作家)の葬式について交わしていた生前の会話だ。香典はなしにして通夜は身内だけということから始まる。
<「自分は死んで食べられないから、寿司をとるなら上でなく並でいいですかね」
「いや、かんぴょう巻だけでいいんじゃないですか」
 何度も同じ話をしていた。葬式の話をすると元気になるらしい。>
 最近、通夜の席では、必ずと言っていいほど、寿司が出る。しかも、マグロ、エビといった魚介が堂々と居座っている。かんぴょうや香の物を巻いた「精進」にはとらわれない。
 通夜料理試食会では、寿司のタネなどについて、いろいろと注文をつけるのだろうか。いくら元気が出るから、といわれても、試食するために、でかける気はさらさら起きない。

×月×日 長いあいだ東京の田園調布で耳鼻咽喉科の開業医をしていた、杉浦昭義さんが、『がんで往(い)くのも、まあいいか—新・医者の大養生』(文藝春秋企画出版部)を刊行した。杉浦さんの著作は、本書で4冊目となる。文筆を専門としない医師としては立派なものだ。私より3歳年上で、テニスを通じて知り合った。
 渋谷の繁華街で、競馬サギに引っかかった話が面白い。日曜日のお昼過ぎに画材屋へ絵の具を買いに出かけたら、「センセイ、一緒に入院していたヤマダです」と声を掛けられた。
 入院はしたことはあるが、記憶にない。
 喫茶店でミルクティーとケーキを御馳走になり、カバンに入った大量の現金を見せられた。競馬で大儲けしたという。「競馬には裏があり、ぜったいに儲かるのです」と言って、別人が登場し、結局30万円ほどをだまし取られてしまった。
 わざわざ、ヤマダと名乗る人物と一緒に、自宅へ戻ってへそくりの金を取ってきたというのだから、念が入っている。公園でラジオの実況中継を聞いていたが、4コーナーで接触したと言って、連絡先を残してドロンされてしまった。
 酒もほとんど飲まず、競馬もやったことが無い「堅物」だから、つい落とし穴に落ちたのだろうか。
 この手のサギは、すこしでも競馬をやったことがある人なら、まず引っかからない。私も、渋谷で声を掛けられたことがある。
「電気屋のコジマですよ。思い出しませんか。あの時はお世話になりました」となれなれしく声を掛けて来て、ポケットに入ったかなりの札束をチラリと見せた。「競馬で儲かった金です。あなたにも情報を教えますよ」と言って、喫茶店に行こうという。
 私は、のこのこと付いていかなかった。確か、競馬の開催日ではなかったはずで、その後どういう段取りになったかは、分からない。競馬についてなんにも知らない主婦が、だまされたと、新聞に出たこともあった。
 まさか知人に被害者がいたとは、知らなかった。

×月×日 最近よく聞く言葉に、「すごい」と「ほんと(本当)に」がある。若者風に言うなら「スゴッ!」となるのだろう。
 冬季オリンピックのソチに出発する選手たちが、新東京国際空港で各社のインタビューを受けていたが、「ほんとに」を連発していた。
 いざ大会が始まると、メディアは「すごい」を繰り返すのだろう。
「すごい」は、「凄い」と書くように、「ぞっとするほど寒いとか。痛ましい、寒い、怖い」という意味が本来だった。それが、「たとえようもなく、すさまじい」意味が強調されるようになった。
 今では、ほんの些細なことでも、「すごい」ことになってしまった。
「ほんとに」と連発するのは、本当ではないからだろうと邪推したくなる。
 二つの言葉は、意味を強調するために使われているのは、よく分かる。話し言葉ではなく、新聞などの書き言葉の場合は、もう少し別の言葉を探すべきではあるまいか。
 還暦をとっくに過ぎ、イタリア料理界のトップに立っているさるシェフが、テレビで、食材をかじるや否や、「ウマッ」と叫んでいた。年を取るということは、若い人の手本になり、指導していくという責任がある。それが、若い人のご機嫌をとるような物言いをしているようでは困る。(14・2・5)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。