第105回 「アサッテ君」40年、本田圭佑の「あえてね」、Wカップ競技場のゴミ拾い、『ベスト・エッセイ2014』

×月×日 東海林さだおさんが、毎日新聞朝刊に連載している4コマ漫画、「アサッテ君」が40周年を迎えた。記念すべき第1回は1974年6月18日だった。
 1974年といえば、小野田寛郎さんが、フィリピンのルパング島で救出され、長嶋茂雄さんが現役を引退した年だ。
 東海林さんは、「毎日が夢中だった。プロ野球のバッターが10回打席に入り、3本ヒットを打ったら大打者。だから僕も3回打てばいいんじゃないかと逃げを持っておく。面白くない回でも、滅入っちゃいかん。それもコツです」と、毎日新聞にコメントしていた。
 凡打しても、翌日まで引きずらないことが重要と言いたいのだろう。毎日の仕事だから、緊張と不安のバランスをいかに保つか、繊細な気配りと「鈍感な」自己中心力を兼ね備えていないといけない。
 東海林さんは、毎日新聞の他に、週刊誌に2ページの連載マンガを2本、「週刊朝日」と「オール読物」(月刊)にエッセイを連載している。
 質の違う仕事に追われることが、生活のリズムと刺激になり、創作のエネルギーを生み出しているのかもしれない。
 本人は3割打者でいいと謙遜しているが、贔屓目に見ても、「4割打者」といえるのではないか。それが、40年も続いているということは、称賛に値する。

×月×日 ワールドカップの2大会連続決勝トーナメント進出は、ならなかった。今さら、「戦犯探し」をしても始まらない。早く次期大会を目指して切り替えたほうがいい。
 話しはちょっと古いが、5月16日の日刊スポーツ紙に掲載された本田圭佑選手の次の言葉が話題になっている。
「俺は(ミランで)孤立している。あえてね」
 真意は、自分の存在感を周囲の選手に意識させる、ある種のポーズということらしい。一種の「自己主張」のスタイルとして、用いたのだろう。そういわれれば、なんとなく理解できる。
 この「あえてね」が、独り歩きして、流行語になってしまった。
「授業中だけど、ツイッターやってる。あえてね」
「20年間恋人いない。あえてね」
 何でも、後ろに「あえてね」を付ければいいということで、こんなジョークも生まれた。
「今、ホウレンソウを胡麻で食べている。あえてね」
 もちろんこれは、「敢えて」と「和えて」の駄洒落だ。

×月×日 ワールドカップの試合終了後、日本人サポーターたちが、観客席のゴミを片づけて帰ったことが世界中の話題になった。
 どこのメディアも指摘していないが、なにも今回が初めてではない。16年前の1998年に日本が初出場を果たしたフランス大会でも、同じように称賛されたことがある。日本人にすれば、ごく当たり前の行為なのだが、西洋人からすれば、信じられないほどの奇妙な行動に見えたのだろう。
 レストランで食事中に、もしナイフやフォークを床に落としたときは、自分で拾わずにウエーターなど店の人を呼んで、拾ってもらうのが、世界共通のマナーだ。 
 レストランの形態が、宮廷や貴族階級の食卓から発生したことを考えれば、わかる。食事をする人と奉仕する人の間に厳然たる階級の違いがあった。床に落とした食器を客(主人)が身をかがめて、拾うなどといった行動は考えられないのだ。客は、ただ食べることに専念すればいい。
 だいたい両手は常にテーブルの上になければいけないらしい。テーブルの下に手があると、隣の女性によからぬ振る舞いに及んでいる誤解を受けるからという説もある。また、「アンダー・ザ・テーブル」といえば、「賄賂」を意味する。日本語の「袖(そで)の下」と同じで、袂(たもと)に隠すように金品をそっと渡すところからきている。
 話が逸れた。パリの街を歩くと、「犬の落し物」がいたるところに転がっている。これも、大もとでつながっている。日本では、飼い主が自分で持ち帰り、最近では犬のオシッコにまで、ペットボトルの水を掛ける人が増えている。
 フランスでは、清掃は清掃をする人に任せておけば良い、という考え方だ。だから、犬の落し物を片づけたり、日本人が家の前の道路の掃除をして、夏には水を撒く行動は理解できない。
 日本には幸か不幸か、歴然たる階級差と階級意識が少なかった。多くの人が、「自分は中流」と思っているお国柄だ。だから、「中流」の「下」という意識のためかレストランなどのサービスに従事する職業の確立が難しい。賃金も安く、社会的な地位も高くない。「ヨコ並び意識」の裏で、上下の格差を淫靡(いんび)に設定しているのだ。
 賛否は分かれるが、チップ制度も日本には存在しない。西洋では、チップの効用もあって、サービスに従事する人は高給を得る。
 そうはいっても、日本でゴミに関する意識が変わってきたのは最近のことで、新幹線が開業した当時でさえ、弁当の箱などのゴミは座席の下に捨てておくのが「常識」だった。列車の運行中でも、清掃する人が乗り込んで来て、ホコリをまき散らし回収していったものだ。それが、環境問題やリサイクル運動が盛んになり、意識に変化が生じてきた。
 もう30年も前のことだが、大正生まれの某小説家と鉄道の旅をした際、出たゴミをデッキのゴミ箱に持って行こうと私が立ち上がったら、「椅子の下に置いとけばいいですよ」という。その小説家にとっては、「列車内のゴミは椅子の下に捨て置くものであって、乗客がわざわざゴミ箱へ捨てに行くものではない」という「常識」がしっかと身についていたのだ。私への気遣いも有ったかもしれないが、自分の「流儀」の方を優先させたような気がする。
 最近は、JR、私鉄を問わず、駅舎のトイレが以前に比べれば、格段ときれいになり、整備されてきた。「衣食足りて礼節を知る」という格言があるが、「トイレ足りて公徳を知る」ともいえそうだ。
 よく中国人の公衆道徳が問題にされるが、彼の国のトイレ事情が改善されない限り、彼らの公徳心の向上は望み薄だろう。
 ワールドカップの観客席のゴミの後始末の話が、中国の厠所(トイレ)にまで、飛んでしまった。

×月×日 日本文藝家協会が編集した『ベスト・エッセイ2014』(光村図書・2000円)に、私の「鮟鱇」(「小説現代」2013年2月号)が収録された。
 メンバーを見ると、錚々たる大家ばかりだ。まさに「雑魚(ざこ)の魚(とと)交じり」で、五十音順に並べると、私は、椎名誠、塩野七生の次になる。
 編集委員は、角田光代、林真理子、藤沢周、町田康、三浦しをんの5氏。帯に用いられている、角田光代氏の編集の弁は次の通り。
<描かれた言葉から、/その人の生の片鱗が見え、/その向こうに、/今という時代の横顔が見えてくる。/エッセイを読むということは、/生身のだれかに出会うことと、/とてもよく似ている。>
 エッセイの本質を的確に表出している。書店で、お買い求めいただければうれしい。(14・6・25)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。