第109回 米大リーグの登板間隔、横綱の品格、サトウサンペイ展、佐川美術館、割烹「すだ」、姫路文学館と姫路城

×月×日 前回、田中将大投手の故障で、投球数を問題にするなら、登板間隔にも留意してもらいたい、と書いたら、レンジャーズのダルビッシュ有投手が同じような趣旨の発言をした。
 アジアから来た若い一投手の発言をどこまで本気で検討してくれるかは、分からないが、ぜひ真剣に取り上げてもらいたいものだ。
 これからは、メジャーに行く日本人投手の場合、登板間隔を契約の条件に取り入れることも有り得るだろう。

×月×日 大相撲の名古屋場所は、白鵬のマナーの評判が悪い。5日目の対豊真将戦、取り組みあい中に何が気にくわなかったのか、土俵際で駄目を押し、行司から勝ち名乗りを受ける間も、にらみ続けていた。挙げ句に、懸賞金の束を振り回す始末。見苦しいこと、この上ない。
 また、身体の汗を拭かないで土俵に上がるから、相手は手が滑って、取りにくいと不評がでる。別に意図してやっているわけではないだろうが、横綱は、やはり尊敬される存在でないと困る。
 サッカー協会が提唱する「リスペクト精神」というのは、いささか嫌味なところがある。サッカーのリスペクトと、横綱の尊敬は少しニュアンスが違う。横綱の存在はもう少し「尊厳」に満ちたものでなくてはならない。
 いずれにしても、白鵬が好きな言葉、双葉山の「未だ木鶏(もくけい)たりえず」の心境には程遠い。これでは、木彫の鶏どころか、紙で織った鶴のように軽い。ふわふわして、どこかへ飛んでいきそうだ。自重して、さらなる精進が求められる。というのも、ほかに強い力士が出てこないからでもあるのだが。

×月×日 兵庫県の姫路文学館で行われている特別展「官兵衛と軍師を描いた文豪たち展」で講演を頼まれたので、前日京都に泊まる。
 まず、京都工芸繊維大学で開催中の「サトウサンペイの世界——四コマで切り取る昭和」展へ。地下鉄松ヶ崎駅から数分の距離。サトウさんは、この大学の前身の京都工業専門学校を卒業後、大丸宣伝部でサラリーマン生活を送り、内職として大阪の新聞に四コマ漫画や一コマ漫画を描いていた。やがて内職が本業となり、独立した。
 サトウサンペイさんの名前を高めたのは、「週刊漫画サンデー」に連載した「アサカゼ君」だ。「サンデー毎日」に「スカタンカンパニー」を始めたのは、1965年に朝日新聞の夕刊で「フジ三太郎」の連載を開始する少し前だった、と記憶する。そのころからの付き合いだから、私のジャーナリスト生活とほぼ同時期を歩んだことになる。
 やがて「週刊朝日」で「夕日くん」の連載をお願いした。サトウさんの方から、カラーで2ページという希望があり、当時の週刊誌としては画期的な連載が始まった。
「フジ三太郎」は長谷川町子さんの「サザエさん」の後を継いで1979年から朝刊に移り、1991年9月まで26年以上にわたって連載した。毎日の仕事だから、想像を絶する忙しさだったはずだ。
「サザエさん」は、戦後地位が向上した主婦の目から見た「ホームドラマ」だとすれば、「フジ三太郎」や「夕日くん」は、戦後の日本経済の発展をもたらした企業戦士から見た「企業ドラマ」であり、消滅していく「亭主関白」の残像を追い求める男性中心の「ホームドラマ」と言えるだろう。
 漫画界きっての理論家で、「漫画家の地位向上」には、一家言も二家言も持っていた。ずいぶん漫画論を戦わしたものだ。
 見ているうちに、懐かしさがこみ上げてきた。特にアイディア帳というか、ノートに書かれた一回ごとの「下書き」には、苦労の跡が見られる。アナログ時代の貴重な資料がよく保存されていたものだ。まさに昭和の貴重な記録である。
 地下鉄で京都駅まで行き、以前から気になっていた滋賀県守山市の佐川美術館へ。湖西線の堅田(かたた)から、琵琶湖大橋を渡って行くのが近い。
 常設の平山郁夫、佐藤忠良と樂吉左衛門の館をやや急ぎ足で回る。人工池の水面に浮かぶように建てられた切妻造りの平屋が、周辺の風景に良く馴染んでいる。設計・施行は竹中工務店。樂吉左衛門館は、琵琶湖の水面の下にあるイメージだ。

 夜は祇園の板前割烹「すだ」へ。
 6席しかない小さな店。須田健治さんが、魅力的な奥さんと始めて24年になるそうだ。頭の回転が速く、機転がきく女将は奈良の人。
「夫唱婦随」か「婦唱夫随」かは知らないが、よく夫を立てて店を守っている。
 私が初めて須田さんと会ったのは、もう40年以上も前のことになる。鯖の棒鮨で有名な切通しの「いづう」の隣に「乃り泉」というやはり板前割烹があった。主人は高乗英樹さん(故人)。実に厳しい指導をする人だった。さすがにお客の目の前では、手を上げなかったが、朴歯(ほうば)の高下駄で、弟子の足を蹴飛ばすのは、何度も目にした。
 須田さんは、当然自分でも人一倍努力したのだろう。高乗さんの眼鏡にかない、一番弟子として認められた。奇を衒(てら)ったり、見た目の華美な外連味(けれんみ)を求めるようなことはしない。ごくまっとうな四季の素材の味を表現するだけだ。テレビに出て派手なパフォーマンスをするようなこともしない。
 料理人が畑へ出かけて、生の大根や人参をかじるようなことを嫌う。
 旬の鱧(はも)の棒鮨から始まって、お椀、落としを軽く焼いて、梅肉醤油。夏牛蒡(ごぼう)と鱧の小鍋立(こなべたて)。ご飯は「乃り泉」譲りの栄螺(さざえ)の炊き込みご飯。あっという間の二時間だった。
「好きだから、ここまでやってこれたんやねぇ」という須田さんの言葉が、身に沁みた。聞けば、私とは一回り下の同じ卯年だった。

×月×日 ユネスコの世界文化遺産にも指定された国宝姫路城は、慶長年間に建てられた。大天守と三つの小天守が渡り櫓(やぐら)で結ばれた当時の建築構造が、ほとんど完璧に保存されている。40年に一度の修復が行われていたが、ようやく外壁の囲いが取れた。
 姫路駅の正面にすっくと立つ光景は、素晴らしい。優美な姿は、飛び立つ白鷺を想起させるので、別名を白鷺城という。
 工事のための外壁が取り外されると、色が白すぎるという声が市役所に寄せられた。これでは、「しらさぎじょう」ならぬ「しろすぎじょう」ではないか、というのである。
 櫓や瓦と瓦の間を白漆喰(しろしっくい)で塗り固めているのが特徴なので、出来たばかりはどうしても白が目立つ。1年も経てば気にならなくなるし、10年も過ぎればすっかりと落ち着くだろう。天守閣などへ入れるようになるのは来年の3月になるらしい。
 講演の題目は「池波正太郎の人と作品——『真田太平記』のころ」。熱心に聴いていただいた。感謝この上ない。(14・7・23)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。