第110回 大阪の「たこ梅」、柳の家の三人会、新子安の「八左ェ門」の鮨、柳家小三治一門会

×月×日 姫路文学館での講演の帰り道、大阪で途中下車して、梅田の食堂街の「たこ梅」へ。名物のサエズリ(鯨の舌)とコロ(鯨の脂身)が1本900円也。サエズリは中ぐらいのサイコロ大が3つ。ひとつが300円につく。
 店で使っている錫(すず)のぐい飲みをお土産用に販売しているが、1個が13,000円とのこと。「持っているよ」と言ったら、今度、「マイちょこ」として、持ってきてくださいとのこと。持ち歩くには、錫だから重すぎるけれども。大切に使わなくては。

×月×日 練馬文化センター大ホールで、柳の家の三人会。前座は柳家花緑の弟子の圭花で、「一目上がり」、柳家喬太郎の「ちりとてちん」、柳家三三の「締め込み」、トリは花緑の「らくだ」。
 柳家小三治の「人間国宝」認定の祝賀ムード。花緑が、「三人しかいないなかで、師匠と弟子が人間国宝とは、大変めでたいこと」と祖父(5代目柳家小さん)の自慢になるのはいつものことだが、いい加減に鼻についてくる。まあ、今回は許されるかもしれないが、しばらくは小三治にあやかって祖父自慢が一層激しくなるだろう。

×月×日 久しぶりに横浜市新子安の鮨屋「八左ェ門」へ。いつ行っても、磯山満さんの仕事に裏切られることはない。消費税分だけ、値上げになった感じだ。イカ、カレイ、ヅケ、穴子が2貫ずつ。イワシ、アジ、シンコ(4枚付)、エビ、ウニ、干瓢巻き。
 マグロは佐渡とのことだが、まだ脂の乗りが良くないので、赤身だけだった。

×月×日 朝日新聞の「ひと」欄に、柳亭市馬が紹介されていた。もちろん、落語協会会長になったから。しかし、もう一月も前、6月末のニュースだ。このネッセイでも、すでに106回で述べている。色があせている。
 昨今の落語界の話題は、本稿でも触れている柳家小三治の「人間国宝」だろう。
 どうしてこんな昔のニュースが、幽霊のように現れたのか。記事が多くて、デスクの机の引き出しにしまわれていたのだろうが、勇気をもって没にしなくてはいけない。「人間国宝」のニュースが無ければ、まだ救われたのだが、書いた記者も書いた記者だ。落語の専門記者なら、差し替えるのが当然だろう。
 みんな連日の「猛暑」に頭の中の「思考径路」がおかしくなっている。
 その柳家小三治一門会を王子駅前にある「北とぴあ さくらホール」で。前座は、孫弟子(はん治の弟子)小はぜの「たらちね」、三三の「傘碁(かさご)」。
 中入り後の膝代わりは、柳家そのじの俗曲。この人は東京芸大の邦楽科を出ている異色の人。どういうわけか落語好きで、高座の出囃子などを演奏している。本業か副業かはわからないが、邦楽を教える「お師匠さん」だ。
 学生時代は早稲田大学の落語研究会に出入りしていた。芸大には、落研(おちけん)が無かったからだ。そりゃあ、芸大と落語は結び付かない。
 面白いと思われたのか、小三治の目に留まり、門下に加わった。そのうち小三治が舞台に引っ張りだし、「色物」として演奏するようになった。だんだん話術にも風格がにじんで来た。落語家の名前を挙げると、たちどころにその人の出囃子を演奏するという特技がある。「東京音頭」に始まり、「さのさ」など。
 このような、異色の弟子を発掘育成するのも、「人間国宝」に認定される条件の一つなのかもしれない。
 太鼓は三三が務めたが、これが実に達者なばちさばきだった。落語家だから太鼓も必須科目なのだが、誰でも上手いというわけではない。そのじの「さのさ」と三三の太鼓の腕前は、小三治も折り紙を付けていた。
 小三治は「死神(しにがみ)」。元々は西洋の話を初代三遊亭圓朝が翻案したと伝えられる。『落語「死神」の世界』(青蛙房)を著したイタリア文学者の西本晃二さんの博士論文は「落語『死神』考」だった。
 サゲはいろいろとあるが、小三治はくしゃみをして蝋燭の炎を消してしまう、という独自のもの。
 自身の「人間国宝」については、一言も触れなかった。そこに「たかが落語」と考える小三治の矜持(きょうじ)がある。(14・7・30)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。