第120回 『葡萄酒物語』、柳家小三治一門会、マタハラ、映画「祝宴! シェフ」

×月×日 ワイン&フード・ジャーナリストの安齋喜美子さんから、『葡萄酒物語——ワインをめぐるとっておきの17話』(小学館)が送られてきた。
 横組み本文が二色刷りで宇野亞喜良さんの装画が入っているという、じつに可愛らしい本。歴史上の人物とワインの不思議な関わりを丹念に紹介している。マリー・アントワネットからウインストン・チャーチル、フランシス・コッポラまで、ワインがいかに広く飲まれて来たかが理解できる。
 読者は若い女性をターゲットにしていると思われる。余計なことだが、はたして今の人に「葡萄酒」という文字が読めるのか。また、ワインであることが、通じるかどうか。不安になってきた。

×月×日 練馬文化センター大ホールで、「柳家小三治一門会」。以前からチケットの入手が難しかった小三治だが、人間国宝になってからというもの、さらに人気が高まった。
 柳家はん治の弟子、柳家小はぜの「たらちね」が開口一番。次いで小三治の弟子で、練馬区在住の福治が「お見立て」。中入り後は、奇術の花島世津子。アメリカへ2年ほどマジック留学した経歴を持つ。
 小三治の「禁酒番屋」がトリ。カステラの箱に酒の壜を詰めて、番屋を通ろうとするけど、中身を調べられる。カステラと酒では重さが違う。箱を持ち上げるときに、つい「ドッコイショ」と声を出したから怪しまれた。「水カステラ」と言い逃れを計るが、中身の酒を飲まれてしまう。
 以前聞いた時は、この「ドッコイショ」を飛ばしてしまった。今回は、飛ばすこともなく、スムーズに噺が流れた。

×月×日 最近、「マタハラ」なる言葉をよく聞く。マタニティーハラスメント、つまり妊産婦への嫌がらせだ。働いている妊産婦に限らない。社会的に冷たい視線を浴びるのも含まれる。
 もう40年以上も前の話しだ。会社で新婚ほやほやの女性が事務補助のアルバイトで働いていた。やがて、めでたく妊娠し、お腹が目立つようになってきた。ひと月もすれば退職というころ、社内で集団健康診断があった。
 同じ部内の「お局(つぼね)さん」的な、独身の非正規社員が、彼女に向かって、「さあ、健康診断へ行きましょう」と声を掛けた。くだんの女性は泣きだすやら、大騒ぎ。この時ほど、「女性の敵は女性」という言葉を実感したことはない。
 電車の中でお腹の大きい人に席を譲るのは、女性より男性の方が多いような気がする。先日も、午後10時過ぎにたまたまシルバーシートに座っていたら、途中で妊産婦が乗ってきたので席を譲った。10時過ぎに電車に乗る妊産婦というのも、いかがなものかと思うが、残業していたのかもしれない。
 シルバーシートでは、どうみても私が最も年長だった。私は車内で眠らないし、眠るフリもしない。スマホは持っていないし、本も読まない。だから、つい目に入ってしまう。
 若い人は、スマホをいじるために席に座りたがるようだ。今は、「歩きスマホ」、自転車に乗りながらの「ペダルスマホ」が問題になっている。
 ストレッチャーに乗せられながら、「産室、なう!」と書き込み、しばらく経ってから新生児の写真をアップしたという話を聞いた。
 こういうことを記すのも、「マタハラ」になるのかしらん。

×月×日 有楽町のヒューマントラストシネマで、台湾映画「祝宴! シェフ」を観る。
 台湾の食文化には、中国の大陸から渡ってきた流れと伝統的な台湾固有の流れの二つがある。前者の代表が上海料理の小龍包(ショウロンポウ)とすれば、後者の代表は米を原料とする米粉(ビーフン)などの麺類になる。
 台湾固有の「大宴会」を瓣桌(バンド)という。「瓣」は弁で、「桌」は卓だから、「盛り上がる食卓」といった意味だろう。調理器具だけを持って渡り歩く料理人が、与えられた食材を使って、宴会のテーマに合った料理を作る。一種のケータリングサービスだ。
 この「大宴会」を請け負う料理人を、「総舗師(ツォンポーサイ)」と呼ぶ。企画者と出席者の双方が満足すれば、名声が上がる。
 日本のテレビで人気となった「料理の鉄人」のアイディアを借りた「料理人対決」にラブストーリーをからませ、人情味あるコメディに仕上げた。
 料理対決の最後に、トマトと卵を炒めた料理「番茄炒蛋(ファンチェチャオダン)」が出て来る。常備菜と言って、どこの家庭でも作る惣菜だ。日本で言うなら、「肉じゃが」みたいなもので、高級食堂のメニューにはない。作り方も、それぞれの家庭によって流儀が異なり、家庭の数だけレシピがあるといわれる。
 料理人が作る料理としては「禁じ手」かもしれないが、自分の生い立ちを料理に込めることで、評価を得る。料理の味覚は、どこまで行っても食べる人の人生と強く結びついている。だから、「料理で人を幸福にする」ことが可能になる。この映画を支える「哲学」だ。
 トマトの卵炒めは私も、ときどき作る。卵を炒め、軟らかめのスクランブルエッグ状態にして取り出しておく。トマトを八つ割りにして炒めて、取りだした卵と一緒にすれば出来上がり。簡単なこと、この上ない。トマトを湯剥(む)きするかどうか。カタクリ粉でとろみをつけるか、ニンニクを利かすとかは、お好み次第だ。
(14・11・12)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。