第128回 『男と女のワイン術』、桂文治の「味噌蔵」、「傳心」の天ぷらと蕎麦、白鵬の優勝と豊真将の引退、イスラム国の暴挙、錦織圭選手の活躍

×月×日 銀座のワインバーの草分けともいえる「わいん厨房たるたる」の店主、伊藤博之さんがフリーライターの柴田さなえさんと二人で『男と女のワイン術』(日経プレミアシリーズ)を出した。
 伊藤さんは、芝浦工大を卒業し、時計に用いられる人工サファイアの技術者だった。スイスやフランスへ出張した際にワインと出会い、転職した。ワインの輸入商に働きながら、ワインを勉強し、料理をフレンチの大渕康文さんに学んだ。
 店は3時に開店し、年中無休で営業していた。草加の自宅から銀座までを自転車で通勤するというサイクリストだ。
ワインを選ぶには、まず自分の「好み」を知ることが大切だ。スーパーマーケットから買ってきて自宅で飲むにしろ、レストランでソムリエ君に選んでもらうにせよ、「味」の基準を示す物差しになるワインを決めておきたい。そこで伊藤さんは、「白は、ブルゴーニュ地方のシャルドネ種で造られるマコン」、「赤はボルドー地方のさまざまな場所で造られるメルロー種のワイン」を基準にすると良い、と説く。
 念の為に言うと、ブルゴーニュ、ボルドーはフランスワインの二大産地だ。マコンは、そのなかの地域名。シャルドネは白葡萄、メルローは赤葡萄の品種名。赤葡萄は黒葡萄、と表現することもある。カタカナの名前が出て来ると、地名や品種名なのか、生産者名なのかわからなくなって、「ワインはややこしい飲みもの」と思い込んでしまう人が多い。少なくとも、この辺りの言葉はしっかり把握しておいたほうがいい。
 なぜ、シャルドネ種とメルロー種なのかは、本書を読んでいただくとして、ユニークな卓見であることには、間違いない。

×月×日 今年最初の朝日名人会。「開口一番」は、柳亭市馬の弟子、市助。3月から4代目入船亭扇蔵を襲名して真打に昇進が決まっている入船亭遊一の「干物箱(ひものばこ)」、三遊亭歌武蔵の「蔵前駕籠(くらまえかご)」、桂文珍「萬両」で中入り。桂文治(11代)の「味噌蔵」、柳亭市馬の「妾馬(めかうま)」でお開き。文治は、やたら声を大きく張り上げるだけ。じっくり聞かせる芸ではない。
 帰路、広尾の天ぷらと蕎麦の店「傳心」へ。名残の沙魚(ハゼ)、走りの空豆などを堪能。アマダイの「松かさ揚げ」が良かった。締めは、越前大野産の蕎麦粉を使ったせいろ。天ぷらを揚げるのは、渋谷の「天松」、自由が丘の「㐂」にいた上田さん。元気な姿は、ひさかたぶり。

×月×日 大相撲の初場所は横綱の白鵬が33回目の優勝を果たして、史上最多の優勝回数となった。やはり強さが群を抜いている。
 その陰で、元小結の豊真将(ほうましょう)が引退を決めた。内臓の病気もさることながら、昨年の名古屋場所で横綱の日馬富士と対戦したときの怪我の影響が大きい。
 勝負にはかならずしも強いとは言えなかったが、正しく丁寧な礼儀作法と所作の美しさに人気があった。師匠の錣山(しころやま)親方(元関脇寺尾)をして、「尊敬する」とまで言わしめたのだから、立派なものだ。白鵬も、豊真将の礼儀と所作の美しさをぜひ見習ってもらいたい。
 「銀座百点」2月号の嵐山光三郎さんと相撲解説者の北の富士勝昭さんの「百点対談」が面白い。角界の裏話は、ほとんど表に出てこない。「神事」と「興行」の両側面をどう天秤にかけるのか、そのバランスが難しい。
 北の富士さんは、「今の力士たちは、幕内も序ノ口も上下関係がまったくないルンルン気分のお友だち。休日はゲーム三昧、なにかあるとケータイで親と話している」と嘆いている。
 千秋楽でカド番の大関、豪栄道がすでに9勝を挙げ、勝ち越しを決めている琴奨菊に勝って、ようやく勝ち越しとなった。付き人が涙を見せて、喜んでいたそうだが、哀しい話だ。

×月×日 中野の「ふく田」で、ワイン仲間8人の新年会。兵庫県浜坂港産のズワイガニを2ハイ。ヤガラの蕪蒸し、蓮根の霙(みぞれ)鍋。牡蠣をしゃぶしゃぶ風に食べる。冬野菜の魅力を存分に味わった。
 ワインは、サロン02、モエ・シャンドン・グラン・ヴィンテージ06、ペリエジュエに始まって、ムルソーの59。これは出版社に勤めるTさんの誕生年ワイン。
 マルセルダイスのシュネンブルグ。グランクリュ01。アルザスのリースリング種など数種の混醸。シャトー・モンブスク白の99。
 赤は、ボーヌのプルミエクリュ89、シャトー・ベイシュベル90など、8人で10本。
 料理代よりワイン代の方が3倍くらいになっているに違いない。

×月×日 池波正太郎さんは1986年に、「天災は別として、私が恐ろしくおもうのは動乱、戦乱、テロと犯罪の増加だ」と書いた。残念ながら、その杞憂(きゆう)が現実のものになった。
 亡くなって五年後の95年には阪神・淡路大震災、2011年には東日本大震災が起こった。
2001年9月11日には、アメリカで同時多発テロがあり、今年はイスラム国で日本人2人が拘束され、どうも湯川遥菜(はるな)さんは殺害されたようだ。
 アメリカは、身代金の要求には、応じないという強固な信念がある。日本は、人命第一と考え、身代金を払って交渉してきたケースが多い。どちらが、良いとか、悪いといった問題ではなく、国家と国民の伝統と価値観の相違としか言いようがない。それにしても、安倍首相のパフォーマンスが少し調子に乗り過ぎた感は否めない。
 政府は昨年末、後藤健二さんの留守宅へ届いた身代金要求の事実を承知していたのだろうか。外務省と警察庁に留まったまま、官邸には届いていなかったら、事態は重大だ。危険な目に曝されている邦人がいるにもかかわらず、「反イスラム国」の立場を鮮明にしたのだから。メディアの側も、「無関心」だったのではないか。年末に行われた総選挙が影響したのかもしれない。
 池波さんは晩年になってから、よく海外へ旅行したが、近いうちに、海外旅行を楽しめなくなる事態が起こるだろう、と言っていた。これも、不幸に予想が的中したことになる。

×月×日 テニスの錦織圭選手が、4大大会の一つ、全豪オープンで活躍(ベスト8)しているが、なんとも騒ぎ過ぎだ。いくらNHKが放映権を取ったからといって、連日のように「錦織人気」を煽っているのはいただけない。なにも試合の前日に訪れた日本料理店まで取材して、食事のメニューまで報道することはない。しかも、ニュース番組だ。
 今にも、優勝するといった盛り上がりだが、 そう簡単に4大大会のタイトルを取れるものではない。錦織選手に無用の圧力を掛けているようなものだ。(15・1・27)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。