第135回 自民党大会、澤野久雄『卓上流浪』、神楽坂「紀の膳」、お別れの会、桜湯

×月×日 自民党は結党60年を迎え、党大会を開いた。朝日新聞(3月9日朝刊)の見出しには、「1強首相 染まる自民」とあった。「合意形成よりトップダウン」と脇にある。安倍首相の方針による「憲法改正」が前面に出てきた様子がうかがえる。
 なぜ、トップダウンがまかり通るのか。記事を読むと―。
<背景には、得意としてきた公共事業や社会保障など再配分の財源が乏しくなったことに加え、小選挙区比例代表並立制の導入で、公認権を握る執行部の力が増し、明確な政策のもとに党がまとまる文化が定着してきていることがある。>
 引用が長くなったが「文化」とは恐れ入った。「政治」を「文化」で論じられては困る。たかだか10年か20年程度のことで、「文化」はないだろう。続いて、記事は、農協改革をまとめた稲田朋美政調会長と二階俊博総務会長の2人にスポットを当てている。
 稲田氏は、「農協は農業者から見放されている」とまで発言し、かなり強引な手法で農協改革を推進した。
<農林族議員から反発を受けたが、首相は稲田氏を「ジャンヌ・ダルクのように改革に取り組んだ」。>
 この文章も、どこかおかしい。なんで、かぎ括弧内の引用というか、談話の文章をかぎ括弧で止めて、終止符(句点)を打つのか。主語は、「首相」だが、その述語がない。日本語の特徴として、主語はしばしば省略されることはあっても、述語はなかなか省略しにくい。述語の代わりに、談話を持ってきて、留めるのは新聞記事の最近の悪しき傾向である。
 この記事には、「切り込み隊長」とか「絶滅危惧種」とか、俗耳に入りやすい言葉が用いられている。読み物風にして、分かりやすい政治記事を模索しているのだろうが、それこそ好悪は別にして「政治部文化」の衰退ではないのか。

×月×日 先日、神田の古書店で買い求めた澤野久雄の『卓上流浪』(1974年・平凡社、装幀・栃折久美子)を読了する。今でもある国民栄養協会が出している月刊誌「食生活」の1970年の前半に連載されたエッセイだ。食べ物について書かれたものかというと、そうでもあるし、そうでもない。
 書名の脇に、―だれか居る食事どき―というサブタイトルが付いている。古めかしい厳格な父の教えで、「食べ物と金銭について書くことは、小さい頃からのタブー」だったという。酒も嗜まないし、自分の味覚に自信もない。本書は澤野が知り合った先輩や友人たちを通して、食べ物に関することを語らせている。
 出版社の講演旅行で小林秀雄と九州を回った時だ。小林は毎日、河豚料理を食べて酒ばかり飲んでいる。明日は東京へ帰るという夜、また河豚で酒を飲んでいた小林は、澤野に向かうと不意に、「君は……酒をちっとも飲まないのか」と言い出した。「どうも体に合わないらしいので……」と、言い訳めいたことを言って逃げようとすると、「君、酒の飲めない小説家なんて、にせものだよ」と、斬りこまれた。
 澤野は、「このひとことには弱った」と正直に書いている。「絡み酒」の権化みたいな小林は、酒席で多くの人を実際に泣かしているのだから、無理もない。
 飲めない人は飲めないのだ。アルコールに弱い人に向かって、酒を強要するほど、酒品の悪いものはない。今なら、「アルハラ」という言葉もあるのだが。

×月×日 日曜日の時分どき、法事の帰りに神楽坂で狙っていた鰻屋が満席(予約をしなかったのが失敗だったのだが)なので、「紀の膳」に飛び込む。甘味処の老舗として知られる名店だが、釜飯と鴨の雑炊がある。
 酒類を置いてないのが、玉に瑕(きず)だが、腹ふさぎには、軽くて丁度良い。甘味処だから、当たり前だが、食後には、蜜豆、葛きりなどが揃っている。
 ご飯ものの定食料理からうどん蕎麦、ラーメンに酒、お汁粉まで、なんでもそろっている飲食店を「雨風食堂」という。関西には、昔から有る言葉のようだが、スキー場の食堂を思い浮かべてもらえば、話が早い。さすがに、酒を置かないのが、「紀の膳」の見識だ。

×月×日 最近は高齢化社会の影響もあって、葬儀のスタイルも変わってきた。新聞の死亡記事を見ていても、「葬儀は近親者で行われた。近くお別れの会が開かれる予定」と書かれてあるのが目につく。ところが、この「お別れの会」が行われないケースが、しばしばある。
 日時が決まると、新聞に詳細が掲載されるのが通例だ。「近く」とあるから、もうそろそろだろうと思って、気を付けて見ていても、いっかな行われない。遺族と関係者の間で意見の食い違いがあったり、故人が多方面で活躍していた場合など、所属団体や友人たちが、「仲間割れ」して、一悶着起きるケースもあるようだ。
「三国志」に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉があるが、没後に友人同士で喧嘩が始まったのでは、故人は浮かばれない。
 その昔さる著名な女流作家から、「あなた、作家と歌舞伎役者の葬式は必ず出なさい」と教えられた。出席者を良く見ていると「面白い場面」が必ずあると言うのである。
 若くして亡くなった当のご本人の葬儀にも、もちろん出席したが、別に「面白い」ことは無かった。
 さまざまな噂に包まれた人ではあったが、私も若かったので、気が付かなかっただけかもしれない。

×月×日 NHKの朝7時のニュースで、小田原のおかめ桜が満開になったと、中継していた。若い男のアナウンサーが、「結婚式などのおめでたい席に出される桜茶です」と、花の塩漬けを作っているるる様子を説明していた。
「桜茶」ではない。「桜湯」が正しい。お茶は、「お茶を引く」、「お茶を濁す」、「茶々を入れる」などと言って、お祝いの席に相応しくないところから、「忌み言葉」として避けるのだ。例えば、「おちゃっぴい」は、「お茶を引く」から、生まれたというのが定説だ。
 最近はお茶の販売店のほうも、「手前どもはお茶屋ですから」といって、わざわざ商品名を「桜茶」として発売しているところもあるようだ。だから、緑茶に桜花の塩漬けを入れるもの、と勘違いする人もいるらしい。嘆かわしい限りだ。
 八重桜の蕾(つぼみ)を塩と梅酢で漬けこむのが本来で、お湯に入れれば、桜の花びらが華麗に広がり、ほのかな花の香りと梅酢の色が楽しめる。塩がきつければ、軽く湯洗いすれば良い。これぞ、日本の桜の文化なのだ。(15・3・18)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。