第136回 『ロッパ随筆 苦笑風呂』、天ぷらとワイン、八紘一宇の驚き、映画「パリよ、永遠に」

×月×日 古川緑波の『ロッパ随筆 苦笑風呂』(河出文庫)を読む。底本は、『苦笑風呂―ロッパ随筆』(雄鶏社、1948年7月刊)で、戦争が終わってから、さまざまな雑誌などに寄稿したものがほとんど。内容は、演劇批評家に対する反駁から、映画に関するエッセイなど、多岐に渡る。
 ロッパは明治36年、宮内省侍医で貴族院議員の加藤照麿男爵の六男として生まれた「お坊ちゃま」で、「殿様」だった。早稲田大学在籍中から映画に熱中し、文藝春秋の菊池寛が創刊した「映画時代」の編集に携わる。大正16年、23歳だった。赤字続きで廃刊となったが、ロッパは単独で経営に乗りだす。これが失敗し、父が遺した「巨万の富」を失う。
 この経歴から見ても、単なる「お笑い芸人」ではない。インテリと上流階級という自負があり、それが良くも悪くもロッパの芸風と人間味を作り上げた。負けず嫌いな性格も、多くの敵を作った。
 ロッパは、「何でも屋」と自称し、芝居では、老け役、若い役から女形までこなした。文章も、底本の「あとがき」に、わざわざ「役者の余技ではない。僕の本業の一つ」と記した。イヤミと取る人もいるだろう。読書も好み、文芸評論家気取りの文もある。晩年は、経済的にも恵まれず、多くの支援者が去り友人たちを失った。喜劇と悲劇が交錯する「ロッパ研究」の貴重な資料だ。

×月×日 広尾の天ぷらと蕎麦の店「傳心」で、天ぷらとワインの会。現在、天ぷらの専門店で、ワインを置いてない店は無いと言っても差支えない。日本料理の中でも、天ぷらが最もワインに合う。ワインジャーナリストの山本昭彦さんは、来日したワイン生産者に和食を出すと、寿司にクエスチョンマークを付ける人は居ても、天ぷらに付ける人は皆無だと言う。
 やはりワインは、オイリーな料理に合うのだろう。かといって、すき焼きになると、甘味が勝ってしまう。和食は、さまざまな食材が異なった調理法で何種類も供される。一皿ごとにワインを選んでいくのは、理想だが不可能に近い。
 ブーブクリコのロゼ、マムのブランドブラン、ブルゴーニュはミクルスキーのクレマンに始まって、甲州の千野ソレイユ(11)、レオン・ベイエのリースリング(11)、シャルロパンのシャブリ1級(12)、ミシェル・クトーのプュリニーモンラッシェ(04)、コート・ド・プロバンスのロゼが3本、締めはシャンボールミュジニーの1級(ロベール・グロフィエ 07)で、もり蕎麦。
 山菜はコゴミ、タラの芽、蕗の薹。禁じ手だが、特別にカマンベールとズッキーニを揚げてもらった。

×月×日 こういうのを、亡霊というのだろう。まさに柳の木の下から現れたのは、参議院予算員会での三原じゅん子とかいう議員の「八紘一宇(はっこういちう)」なる発言。最近、こんなに驚いたことはない。
 同級生や二、三年下には、名前に「紘」という字が付いた知り合いが多い。有名人なら、中村紘子、石井紘基(故人、政治家)、加藤紘一、藤田紘一郎(寄生虫学者)など、いずれも昭和10年代後半の生まれだ。「八紘一宇」から、一字拝借したものだ。
 はなはだ勝手で失礼きわまりない想像だが、自分の名前になにがしかの「負い目」というか、「忸怩(じくじ)」、「嫌悪感」があったのではないか、と思っている。私は、敗戦時6歳でしかなかったが、それでも戦争の記憶はしっかりと残っている。
 最後の別れになるかもしれないから、両親の顔をはっきりと覚えておきなさい、と姉からいわれて、二人で両親の郷里、福井県へ疎開した。あの思いを、子孫に経験させたくはない。

×月×日 渋谷の「ル・シネマ」で映画「パリよ、永遠に」。舞台は、1944年8月25日のパリ。占領中のドイツ軍はホテル・ムーリスに司令部を置いた。司令官はコルティッツ。
 ヒトラーの命令は、パリを破壊して瓦礫(がれき)の町にせよというもの。ベルリンが廃墟となり、パリだけが美しい街であり続けるのが許せない、というのだから、狂気以外の何ものでもない。それが戦争なのだ。
 ドイツ軍は、セーヌ河に架かる橋やノートルダム大聖堂、オペラ座、ルーブル美術館などに爆薬を仕掛け終わった。橋は、「ポン・ヌフ」一脚だけを残したところに、ドイツの奸計(かんけい)が感じられる。後は司令官の命令を待つだけだった。
 その時、コルティッツ司令官の部屋に、パリで育った中立国スウェーデンのノルドリンク総領事が秘かに入ってきた。
 外交官の交渉術を駆使して、コルティッツ司令官の指令を留めようとする。パリ壊滅が戦略的に何の価値も見いだせないのは、コルティッツも理解している。しかし、もしヒトラーの命令に背けば、ドイツにいる妻子の命はない。
 連合軍やレジスタンスが、徐々に勢いを盛り返してパリに近づいていた。主義と思想が異なる軍人と外交官が、「パリを守り、市民の無駄な死を避ける」という一点で胸襟を開き、心情が通じていく。
 史実に基づいた芝居を映画化したもので、いうなれば「二人芝居」に近い。降伏し、英軍の捕虜となったコルティッツ司令官は、1947年に釈放され、妻子とも再会を果たしたという。(15・3・25)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。