第140回 柳亭市馬の「雑俳」、愛川欣也氏逝く、「田中みな実のあったかタイム」、小島功の訃報

×月×日 有楽町のよみうりホールで、「よってたかってもりもり 有楽町スペシャル15春」なる落語会。開口一番は、林家正蔵の弟子で、間もなく二つ目になる林家なな子の「転失気」。柳亭市馬「雑俳」、三遊亭兼好「お見立て」で、中入り後は春風亭一之輔「茶の湯」、柳家三三「宿屋の仇討ち」と続いた。
 「雑俳」は、長屋の八五郎が横丁の隠居の家に行って、題を出して五、七、五で遊ぶという前座噺だが、市馬は、「初雪や 大坊主小坊主、おぶさって転んで頭の足跡、おそなえかな」という八五郎の句をすっ飛ばしてしまった。すぐに気が付いて、しどろもどろでごまかした。
 さあ、大変、その後の連中から、「楽屋で泣いていた」、「勉強し直して、きちんと出来るようになるまで、高座では歌わない、と反省していた」などと、いじられ通し。

×月×日 ついひと月前には、テレビの「出没! アド街ック天国」の司会をしていたタレントの愛川欣也さんが、亡くなった。肺がんを「風邪」と称して、公表しなかったそうだ。
 各メディアは、こぞって、「妻のうつみ宮土理さんとおしどり夫婦で知られ……」と書いている。別に、故人を傷つける意図は全くないが、再婚の夫婦を「おしどり夫婦」と呼ぶのは、前の奥さんと二人の子供さんの立場を考えたら、どうしても、しっくりこない。
 古い言葉だが、前妻は「糟糠(そうこう)の妻」で、それこそ「おしどり夫婦」といわれた仲だった。別に面識はないけれども。

×月×日 TBSラジオの「田中みな実のあったかタイム」という番組から出演依頼。「すし屋での処し方」などについて話す。拙著『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)を読んでのことらしい。
 すしなんて、人様に迷惑さえかけなければ、別に決まりはなく、好きなように食べれば良い。最近の人たちは、「検索」をクリックすれば、すべてについて「正解」を教えてくれると思っている。世の中には、「正解」がないほうが多いのだ。
 こちらはゲストなのに、担当者から「田中みな実へ何か質問していただけると幅が出ます」と、お願いされた。初対面で何にも知らない人に聞くようなことはないし、できない。テレビやラジオの人たちは、自分達の都合しか考えないようだ。

×月×日 漫画家の小島功さんが亡くなった。私が勤めていた新聞社からの仕事は、「断らないように」と、秘書に命じていた。ご本人から伺った話しだ。いつも穏やかな笑顔を絶やさない印象がある。
 2012年3月に漫画家の千葉督太郎さんの「偲ぶ会」でお会いしたのが、最後だった。後輩の面倒見もよく、多くの人から慕われていた。
 小島さんを中心にして「独立漫画派」が結成されたのが1947年というから、弱冠19歳だった。創立時のメンバーは馬場辰夫、関根義一、中島弘二、八島一夫の各氏らに、大阪のイワタ・タケオ氏も1949年に上京して、活動を共にした。畏友、岩田一平さんの父君である。やがて、井上洋介、茨田茂平、長新太、安岡アキラ、赤川童太氏らの青年漫画家やイラストレーターが加わった。
 1950年代末期に小島さんは、戦前からある「日本漫画集団」に加入し、独立漫画派は解散する。小島さんの漫画集団加入を知ったメンバーは、悔し涙にくれた、と伝えられる。1964年には加藤芳郎、杉浦幸雄さんらと日本漫画家協会の設立に尽力した。

×月×日 プロ野球もたけなわになってきた。ほとんどの試合が衛星放送やケーブルテレビで中継され、ネットでも観ることが出来る。某テレビ局のアナウンサーは、ホームでタッチアウトになったプレーを「封殺(ふうさつ)されました」と話していた。封殺は「フォースアウト」で、「タッチアウト」は、「刺殺(しさつ)」だ。
 戦争中に英語を禁止し、すべて日本語に言い換えた名残だから、「日本製野球用語」は徐々に使われなくなり、誤用が広まって行くのかもしれない。
 例えば「野選」は、「野手選択」の略で、「フィルダース・チョイス」のことだが、もはや使われなくなってきた。(15・4・22)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。