第143回 『サザエさんの東京物語』、シネマ落語、「ゴブラン会」、マスコミ志望の学生へ講義、善戦の錦織圭選手、人情噺「塩原多助一代記」

×月×日 長谷川洋子さんの『サザエさんの東京物語』(文春文庫)を読む。著者は長谷川町子の妹。長谷川家は戦後の「女性の時代」をけん引した核弾頭みたいな存在だが、その三姉妹と母親の「女系家族」に潜む「愛憎」の苛烈と粘着性は、凄まじいばかり。「平和ボケ」以前には、各家庭に「内乱」があったのだ。
 長谷川町子の実像を知る貴重な資料でもある。戦後の日本家庭生活史と女性史は、長谷川町子と向田邦子を抜きにしては語れない。

×月×日 東銀座の東劇でシネマ落語「落語研究会 昭和の名人第八回」。三遊亭圓生の「首提灯(くびちょうちん)」、桂文樂の「明烏(あけがらす)」、春風亭柳朝の「粗忽(そこつ)の釘」、桂文治(10代)の「廿四孝(にじゅうしこう)」。
「首提灯」は、シュールでナンセンスな噺。有り得ない所作をいかにも有りそうに演じるところが落語の一つの魅力だ。
「からすカァーで夜が明けます……」というのは、落語の常套句で、「明烏」には欠かせない。だが、文樂は使ってはいない。
「粗忽の釘」は落語のある種の定番。ばかばかしさを備えた人間が周囲に居そうだから、いつまでも受けるのだろう。

×月×日 創立以来「相談役」を任じている「ゴブラン会」の例会で、乾杯の挨拶を依頼される。食を創造する人、食を提供する人、食を愛する人たちの「ネットワークの会」も発足23年となる。
<最近は、大変な和食ブーム。先日も、デパートの食料品売り場で、ヨーロッパの料理人らしき人たちが、昆布や鰹節を一所懸命に研究していた。
 こういう傾向は、ひとつの文化だから、「ハイ、今日から和食を取り入れましょう」といって、一朝一夕に浸透するわけはない。中村勝宏会長、大和田幸雄副会長を初めとする先駆者の活躍があり、そこに若い人たちが続いて行った。中村会長の年代もまた、よき先輩の教えに従って来たから、現代に連綿として継続、発展している>
 といった主旨を述べて、酒杯を揚げた。

×月×日 慶應義塾大学のメディア・コミュニケーション研究所の特別講義(シーエー・モバイル寄付講座「モバイル・コミュニケーションⅠ」の講師に招ばれた。
 前週は元読売新聞の滝鼻卓雄氏の担当だったが、アンケートを取ったら、三割の人が「新聞を読まない」と答えたそうだ。「一次情報」を何から得るかというと、テレビが最も多かった。それでいて、マスコミ関係に就職したいというのだから、何をかいわんやだ。テレビ局に就職して、「お笑い番組」を作りたい人が多いという。
 それはともかく、「文章の極意」について話す。もちろん、文章の極意なんてものは、そう簡単にある訳ないし、あればこちらが聴きたいくらいのものだ。
 しかし昨今の学生は、クリックで「正解」を求める癖がついているから、安直に「極意」を知りたがる。なんと、大教室の最上段までびっしりと500名近い受講生が集まった。
 あらかじめ、「コンビニ」というテーマで800字の作文を書いて、提出してもらった。
 就職試験の作文は、「冒頭の一行」で決まるといってもいいほど、「書き出し」が得点に大きく左右する。
 まだ、数枚を読んだだけだが、「書き出し」はこんな具合だ。
<コンビニエンスストアといえば、24時間開いており、必要なものは大抵揃う、大変便利な店である>(Y・Sさん)
<地元の駅前に、またコンビニができた。>(M・Iさん)
<「コンビニ」という言葉をきいてなにをおもいうかべるだろうか。>(T・Kさん)
 意外性が無く、誰でも知っていることを書いても、面白くない。これらの作文では、平均点までは行っても、合格点は難しい。
 800字の作文の中に、「コンビニ」という言葉がいくつ出て来るか、数えさせてみると、10か所以上、出て来る作文が結構ある。「コンビニ」という文字を使わなくても、「コンビニ」という題の作文を書けるのだ。かなりの上級テクニックだけれども。これは、友人同士で、書いた作文を批評し合って、切磋琢磨するしか道はない。
 さらに最も大切なことは、文章を発表する時に、恥ずかしがらないことだ。

×月×日 テニスの「BNLイタリア国際」で、錦織圭選手は、第一シードで優勝したノバク・ジョコビッチ選手に準々決勝で敗れ、ベスト8に終わった。
 残念ながら、ジョコビッチ選手の実力は抜きん出て、錦織選手との差は歴然とある。「惜敗」と新聞の見出しにあったが、そうかなあ。「善戦」とまで言えるかどうか。1セット取ったことだし、同じユニクロ同士だから「善戦」としておこう。

×月×日 有楽町「マリオン」の朝日名人会。
 春風亭朝也の「やかんなめ」、橘家圓太郎「野晒(ざら)し」、桂歌丸「塩原多助一代記―青馬(あお)の別れ」、柳亭市馬「廿四孝(にじゅうしこう)」、柳家さん喬「寝床」。
 朝也の「やかんなめ」は、噺の内容があまり綺麗ではないし、今の時代にはそぐわない。
 歌丸は三遊亭圓朝作の長尺人情噺を熱演したが、丁寧に説明し過ぎたせいか、予定より20分も伸びた。本所で炭屋として成功した塩原多助の成功談で、圓朝が友人の絵師から聞いた実話といわれる。
 封建社会の底辺にあえぐ民衆に近代社会の「幻想」を抱かせたといえるかもしれない。19世紀末には歌舞伎座でも上演され、また小学校の修身の教科書に取り上げられた。家族崩壊、郷里出奔という社会問題は、いつの世にもあるのだろうが、この「塩原多助」という「時代のヒーロー」も、そのうちに消えていくだろう。(15・5・20)

重金敦之(しげかね・あつゆき)

1939年東京生まれ。元朝日新聞社編集委員。「週刊朝日」編集部在籍時に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一など多くの作家を担当した。大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。食の分野にも造詣が深く、料理に携わる人たちからの信頼も厚い。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、食生活ジャーナリストの会、各会員。『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)のほか、『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』『愚者の説法 賢者のぼやき』(いずれも左右社)。最新刊に『食彩の文学事典』(講談社)、『ほろ酔い文学事典』(朝日新書)。